混迷、そして黎明(前編)

 高原の支配者、名馬の産地として名高いチェステ王国は、その歴史に幕を下ろそうとしていた。


 シエト帝国の飛空艇から放たれた雷弾が、王都を囲む市壁に大穴を穿うがつ。恐るべき威力であった。加えて、市壁上には大弩弓バリスタなどの対空兵器も準備されていたのだが、その射程の遥か彼方から雷弾は飛んできた。まさしく、勝負にもなっていない。


 王国側の頼みの綱は、雷弾は連射出来ないという点だが──無論、それは帝国軍も折り込み済みだった。


「結界部隊、損傷箇所かしょふさげ──うわあああ!」


 門番長の悲鳴は、市壁の穴から雪崩なだれ込む帝国軍にかき消される。彼とて歴戦の兵士、敵が投槍ピルム帝国式板札鎧ロリカ・セングメンタータで武装した帝国兵であったら、もっと冷静に対処したであろうが。


 オーク、ゴブリン、オーガー、トロールにライカンスロープ──敵のほとんどは、闇の神メーヴェルドの下僕たる闇の種族だった。人間たち光の種族など、食料としか思っていない連中だ。兵士たちの抵抗にひるむどころか、かえって興奮している。


 活きのいい獲物だ、さぞうまかろうと。


 城門前広場はたちまち殺戮さつりくの場と化した。切られ、貫かれ、そして食われる兵士たちに、飛空艇が雷弾で追い打ちをかける。闇の種族と人間の技術、その双方が猛威を振るう。鮮血が飛び散り、死が咲き乱れる。


「皆の者、誇りを持て!」


 駿馬しゅんめ騎士団のクライス・リムロット団長は、必死に部下たちを鼓舞こぶする。自らも地獣タキャクウマを駆り、片手半剣バスタードソードで地獣クモザルのような怪物を切り伏せる。


 もっとも、本物のクモザルは体長3メトもないし、毒の息を吐いたりしないし、何より皮膜の羽など生えていないが。おそらくは悪魔──闇の種族の頂点に立つ者たちだ。


(こんな連中を従えているとは──やはり、あの噂は本当なのか)


 闇の種族の包囲がせばまる。リムロットも部下たちも一歩も退かない。全員がとっくに覚悟を決めていた。


 最早、王都の陥落かんらくは避けられない。だが、これで平和ボケした教王領も、帝国の脅威を悟らざるを得ないだろう。地方の残存勢力と神殿騎士団が力を合わせれば、王都の奪還も夢ではない。その日に備えて、自分たちが今成すべき使命は──そう、一匹でも多く奴らを道連れにすることだ。


 愛する妻子に別れを告げ、リムロットが部下たちと共に突撃しようとした、その時。


「他愛ない──これでは腕試しにもならんな」


 不吉な声が響いた、戦の喧騒けんそうすら押し退けて。


 闇の種族の群れが、ぴたりと動きを止める。のみならず、さっと左右に割れる。気の所為せいか、奴らが怯えているように見えるのは。卑屈なゴブリンはともかく、凶暴なオーガーや戦鬼のトロールまでもが。


 闇の種族の群れの只中を、漆黒の板札鎧と紫の外套マントをまとった男が歩いてくる。緊張感など欠片かけらもない、ゆったりとした足取りで。リムロットは我が目を疑った。男のひたいで輝く、からみ合うテイオウジュをかたどった黄金の冠を見て。


 それはまぎれもなく、シエト帝国の最高権力者の証だった。


皇帝インペラトル──自ら戦場に!?」


 全帝国軍の指揮官、天上帝都シエトゥリアの支配者、そして今やセリヴェルド全土に覇を唱えし者、ケイゼリオス40世は不満げに言った。


「それは古い称号だ。帝国民からはこう呼ばれておる──神皇帝ケイゼリオス、と」

「何が神だ、こんな連中と手を組んでおきながら!」


 シエト帝国の皇族は、光の女神セリアーザの末裔まつえいを自称してきた。元より他国民に信じる者は少ないが、改めてリムロットは僭称せんしょうだと確信した。


「本当だったのだな──皇帝が魔王と化したという噂は!」


 魔王、それは闇の神メーヴェルドの代理人であり、その力の一部と闇の種族の指揮権を与えられている──おのれの魂を代償に。歴史上、魔王は幾度いくども出現し、光の種族への大侵攻をひきいてきた。セリヴェルドを主にささげるために。


 だが、過去の事例と比べても、今回の魔王は由々ゆゆしき脅威だ。何故なぜなら、ケイゼリオスは魔王であると同時に、シエト帝国の皇帝でもあるのだから。人間の手駒もさぞ豊富であろう、


「我が威光の前では、闇の種族すら平伏すのだ──で、帝国民は納得したぞ?」

「信じられるか!」


 そう、リムロットは二重の意味で信じられなかった。帝国民とて人間のはず、このような雑な口車に乗せられるものか、と。


 答えは間もなく明らかになるが。


「では、なんじらは魔皇帝とでも呼ぶが良い。どちらにせよ、同じことだ」


 ケイゼリオスが外套を広げると、その手に握る黒い杖があらわになる。おそらくは死の杖メーヴェルザー──メーヴェルドが魔王に与える杖であり、己の力をセリヴェルドに送る為の端末だ。


「皆の者、絶好の好気だぞ! 皇帝さえ倒せば──」

「おいおい、矛盾しておるぞ」


 リムロットの激励げきれいはあっさり断ち切られる、ケイゼリオスが初めて見せた笑みによって。死を覚悟していたはずの部下たちも、冷や汗を噴き出させている。それは飢えきっていた地獣ガロウが、ようやく獲物を見つけた──そんな笑みだった。


「余を魔王と認めたのであろう──人の手で倒せるとでも?」


 死の杖の先端から、視界を紅蓮ぐれんに染めつつ火柱が吹き上がる。それはたちまち天高くそびえ、雲をき乱しながら渦を巻き──火焔かえんの蛇へと具現化する。城の主塔キープにぐるりと巻きつけそうな巨大さの。


 ケイゼリオスが神皇帝と呼ばれる理由を、今こそリムロットは悟った。帝国民はだまされている訳ではない。自分たちの皇帝が女神の子孫などではないと解っていても、従わざるを得ないのだ。その神のごとき力に。その思い描く神話に。


 火焔の蛇を呆然と見上げる騎士たちとは対照的に、ケイゼリオスはますます満足気だ。そう、彼の大望の準備段階は、セリヴェルドの生けとし生ける者全てが、自分に逆らいたいとすら思えなくなること──とりあえず、その端緒たんしょは開けたのだから。


 力を見せ付けることは、他国民にも十分に有効だ、と。


「我が名はケイゼリオス! 神皇帝であり、魔皇帝である! 従う者には恩寵おんちょうを、逆らう者には破滅を! そして──」


 火焔の蛇の咆哮ほうこうまぎれさせながら、ケイゼリオスはこっそり続きをつぶやいた。常人にはおよそ発想すら不可能な、自らの最終目標を。


「世界の作家気取りの神々を、その座から引きずり堕ろしてくれようぞ」


 *


 教王領、聖都ヴァルド。


 大神殿前の広場に詰めかけた群衆の顔には、不安と期待がせめぎ合っていた。


 セリアーザ教団の総本山──聖都派にとっては──であるこの都市にも、シエト帝国の動向は伝わっていた。飛空艇団が可能にしたその侵攻速度は電撃的で、砂漠の王国スィーナーンを皮切りに、隣国チェステもあっさり征服。程なく教王領も戦火に巻き込まれるのは、火を見るより明らかだった。


 人々は口々にうわさした。曖昧模糊あいまいもことした恐怖に、せめて何らかの形を与えようと。


『──皇帝が魔王になったらしい』

『──息子のレムディアス皇子も、各地で殺戮を繰り広げているらしい』

『──征服された国の民は、全て闇の種族に喰われたらしい』


 そして、自ら増幅させた恐怖に震え、光の星セラエノに向かって祈るのだった。


『ああ、セリアーザ様、一刻も早く勇者をお選び下さい!』


 勇者──セリアーザより魔王討伐を命じられた者。女神の力を宿す聖剣セリアーダムを手に、歴代の魔王たちをことごとく破ってきた。人間のみならず、あらゆる光の種族にとっての希望である。


 だと言うのに、いまだ勇者の出現は確認されていない。その理由に関しても人々は噂した。勇者に相応ふさわしい人間が、セリヴェルドの何処どこにもいないのだ──。否、教王領の腐敗ぶりにお怒りになって、我々を見捨てられたのだ──。


 そんな時だった、教王マルギオン13世からの重大な告知が下されると、聖都中に知らせがあったのは。


 神殿騎士が神殿前広場につどう人々に宣言する。威嚇いかくするように。


静粛せいしゅくに! 教王猊下げいかのお出ましである!」


 教王が枢機卿すうきけいたちを引き連れて、大神殿の露台バルコニー上に姿を現す。白の大法衣スーターナをまとい、宝玉を散りばめた三重冠トリレグヌムかぶったその姿に、群衆のすがるような視線が注がれる。


(そんな目で私を見るな)


 教王は大神殿に逃げ戻りたい衝動をこらえて、曲がった腰を伸ばし、必死に威厳のある表情を保った。音量増幅の指輪を起動し、準備しておいた台詞セリフを朗読する──途中までは。


「信徒たちよ、シエト帝国と魔皇帝の噂は聞き及んでいよう。だが、案ずるなかれ。昨晩、我はセリアーザより託宣たくせんたまわった!」


 ここで群衆がどよめくのは予想通り、枢機卿たちがぎょっとしているのも──無理もない、予定では「セリアーザを信じて勇者の出現を待て」とさとすだけのはずだったのだ。さえぎられまいと教王は一息に続ける。


「我こそは勇者たらんとする者よ、座して託宣を待つなかれ! 自ら帝国に挑み、その武勲ぶくんもって、聖剣セリアーダムに選ばれよ!」


 群衆は水を打ったように静まり返っている。教王は苛立ちを抑える。ええい、駄犬どもめ。そんなに導いて欲しいなら、飼い主の命令ぐらい理解しろ。要するに──。


「要するに、誰でも勇者になれるってことか、頑張れば?」

「で、でも、そんな人いるかしら? だって、魔皇帝と戦うんでしょう?」

「魔皇帝だけじゃねえぞ、闇の種族や帝国軍とだって──」


 こっそり安堵あんどする教王。一応、意図は伝わっているようだ。まあ、奴らが戸惑うのも無理はない。歴代の勇者は全て、最初からセリアーザに任命されている。勇者候補という概念など存在しなかったのだ、これまでは。


 ──初めて聞かされた時は、自分も困惑した。


「セリアーザは信じておられる。人々を救う為には、命さえ惜しまぬ。そんな勇者候補たちが、セリヴェルドには数多あまたいると。女神と子らに祝福あれ、アーラム以上!」


 後世の記録では、ここで群衆がセリアーザの御名を大歓呼し、早くも幾多いくたの勇者候補が名乗りを上げたとある。だが、実際に大神殿前の広場を満たしていたのは、無秩序なざわめきばかりだった。


 *


「猊下、これはどうしたことですか!?」


 枢機卿たちを振り切り、教王は私室に引きこもる。


 そこでようやく、全身の緊張を解いた。よろよろと天蓋てんがい付きの寝台に腰掛ける。ごろりと投げ出した三重冠を見ていると、今更いまさらながらに恐ろしさが沸き上がってくる。


(本当にこれで良かったのか)


 シエト帝国と魔皇帝の脅威は、教王とて重々承知している。初代教王マルギオン1世は、元は帝国の宮廷司祭だった。彼が皇帝崇拝に反抗してこの地に移り住んだことが、教王領の始まりなのだ。奴らにとっては、まさに目の上のたんこぶであろう。侵攻して来ないはずがない。


大分裂シスマ〉で異端派が乱立、枢機卿たちは権力争いにかまけ、神殿騎士団すら形骸化けいがいかしつつある。現状の教王領では、帝国軍の攻勢には到底持ちこたえられまい。勇者には一日も早く出現してもらわねば。それは確かなのだが──。


「何を怯えておる」

「ひっ」


 教王は腰掛けたまま飛び上がる。見られているとは、薄々解っていたにも関わらず。


 いつの間にか、部屋に光り輝く人影が立っていた。その頭上には光輪ニンブスが浮かび、背からは七対十四枚の翼が生えている。まとっているのは簡素な長衣トガだが、たった今り上げたかのような純白さだ。その全てが輝きを発している。


 白金にきらめきつつ、ゆるやかにうねる長髪。繊細せんさいそうなとがったあごに、完璧な稜線りょうせんを描く鼻梁びりょう。下品に飲み食いする様など想像も出来ない優美な口元は、微笑ほほえんでいれば誰もが見惚みとれるに違いない──が。


 教王を見据える灰色の双眸そうぼうには、何の感情も宿っていない。あたかも、路傍ろぼう石塊いしくれを見るがごとく。


「命じた通りにしゃべったのであろう」

「お、おおせのままに、パランゼム様!」


 教王は今にも床にいつくばりそうな卑屈さだ。だが、無理もない。相手は天使──悪魔と対になる、光の種族の頂点に立つ者たちだ。セリヴェルドの北極にそびえる〈至天の塔ジッグラト〉を拠点に、セリアーザの代理人として活動している。


 名も無き下級天使ならともかく、パランゼムの名は聖典にも記されている──天使たちの長、権威と秩序の守護天使、セリアーザの次にとうとい存在として。

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2025年12月12日 20:00 毎週 金曜日 20:00

語られのセリヴェルド 紙倉ゆうた @ykamikura

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