血が流れぬ島(前編)

 ※残酷な表現を含むエピソードです。自己責任で閲覧えつらんして下さい。


 *


「海賊だぁっ! 海賊が攻めてきたぞ!」


 十四歳のコンシータがその叫びを聞いたのは、ネジレバナナとミルクヤシのジュースで昼食を済ませた直後のことだった。


(いたずら者のファビオあたりが、また騒ぎを起こしてるんじゃ──)


 最初はそんな風に疑っていた。だが、荒々しい怒号や、手火砲ピストーラの発射音、甲高かんだかい女性の悲鳴──幼馴染のパミーラの声だった気もする──が響くに至って、コンシータもようやく悟った。生命の危機が間近に迫っていると。


 カザネラ島の主要産業は夜光貝珠の養殖だ。その保管のため、個人宅でも隠し部屋を設けるのが一般的である。コンシータが移動式の棚をずらし、その背後の隠し部屋に滑り込むのとほぼ同時に。


「ヒャッハァ! お宝は何処どこだぁ!?」


 何者かがどやどやと家に乱入した。そいつらが食卓をひっくり返し、皿を割る音に身をすくませながら、コンシータはひたすら光の女神セリアーザに祈っていた。


(外出中の両親が無事に帰りますように。そして、自分もこのまま隠れおおせますように──)


 永遠にも思える時間が過ぎた。気付けば外は静まり返っていた。恐る恐る隠し部屋から顔を出すと、案の定、部屋は荒らされ放題だった。調度品が散乱し、母の手いのカーテンも切り裂かれている。だが、襲撃者──海賊たちの姿はない。


 しばらく待ってみたが、両親は一向に帰らない。村の誰かが訪ねて来ることもなかった。光の星セラエノは水平線下に沈みつつある。このままでは、一人で夜を迎える羽目になる。不安に駆られたコンシータは、とりあえず村の広場へ行ってみることにした。無論、可能な限り警戒はした上で。


 父の所有する養殖場の関係で、コンシータの家は村外れに位置している。周囲には南洋の木々が茂っており、ここからでは村の様子は解らない。だが、その匂いには嫌でも気付かされた。広場が近付くにつれて濃くなる、びた鉄のような匂い──。


 その発生源は、広場に着いた瞬間に判明した。


「うっ」


 広場の至る所に転がる、村人たちの死体、死体、死体──そこから流れ出る血の匂いだったのだ。コンシータはひとたまりもなく、昼食を吐き戻してしまった。


 小さな村のこと、死体のほとんどが知人のものだった。しかも、無残でない死に様は一例もない。果物屋のマカレアおばさんが、船大工のパレアスおじさんが、村一番の秀才のアベラルドが、耳を切り落とされ、鼻をぎ落とされ、目をえぐられ 苦悶くもんの表情を浮かべたまま死んでいる。


 共通点はもう一つあった。全員が荒縄で縛り上げられている。


(海賊に拷問ごうもんされたんだわ──貝珠の隠し場所を聞き出すために)


 まさか両親も? そう思うと、居てもってもいられなかった。死体たちに放置をびながら、コンシータは両親を探した。その最中も、生存者には一人も出会えなかった。村の賑わいは消え失せ、風獣シミバエの耳障みみざわりな羽音が響くばかり。


(昼まではいつも通りだったのに──何もかも)


 コンシータは信じられなかった。日常とは、こんなにもあっさり崩れてしまうものか。


「母さん!?」


 神殿の前で、うつ伏せに倒れている姿を発見する。他の村人同様、荒縄で縛られてはいるが、一見して解るような怪我は負っていない。コンシータは慌てて駆け寄り、母を抱え起こした。


「母さん、大丈夫──」


 母の顔を見た瞬間、コンシータの呼び掛けが絶叫に変わる。


 それは母ではなかった──顔の皮をがれた母の死体だった。き出しの歯茎はぐきが笑っているように見えるのが、尚更なおさらおぞましい。コンシータは放り出しつつ後退あとずさる、母にすまないと思う余裕もなく。


 背中がミルクヤシの木にぶつかる。ぎいぎいという不吉な音が頭上から響いた。何故なぜだろう、正体には薄々気付いていたのに、コンシータは何かに操られるように見上げてしまった。


 予想通りと言うべきか──。


 荒縄で首を吊られた父の死体と、ばっちり視線が合ってしまった。犬のようにだらんと舌を垂らして──無骨な父のこんな表情、生前は一度もコンシータは見たことがなかった。


 コンシータはもはや叫びすら上げられず、その場にへたり込む。現実を受け止める器が飽和に達し、何も感じない。


「生き残りはっけ~ん」


 等とおどけながら、あちこちの物陰から剣呑な目つきの男たちが現れても、コンシータはぼんやり見返すだけだった。全員が手火砲や舶刀カットラス──船乗りがよく使う、短めの曲刀──で武装している。物語から抜け出してきたような海賊たち、それも悪役として描かれる連中だ。


 海賊の一人が舶刀を見せびらかしながら近付いてくる。その刀身は血でべったりとれていた。


「お嬢ちゃ~ん、いい子だから貝珠の隠し場所を教えてくれよぉ~。教えてくれれば」


 見逃してやる、とでも言われるのかと思っていたら。


「楽ぅに殺してやるぜえええ?」


 他の海賊たちがゲラゲラと笑い転げる。何がそんなに可笑おかしいやら、コンシータにはさっぱりだが──それでも一つだけ解った。こいつらが両親や村の人々を拷問し殺害した時も、遊び半分だったに違いない。


 何だかコンシータまで笑いたくなってきた、その時。


「危機一髪ジャンピーノ、金貨の山をぶち抜いて~♪」


 海賊たちの馬鹿笑いにまぎれるように、かすかな歌声が聞こえてきた。まだ完全に声変わりを終えていない少年の声。ジャンピーノとは伝説の〈青の大海賊〉のことか? シエト帝国に立ち向かい、エルナトーレ諸島を共和国にまとめ上げた──同じ海賊でもこいつらとは真逆の大英雄だが。


「だ、誰だ!?」


 海賊たちが気付くのと、茂みから何者かが立ち上がるのはほぼ同時だった。


 燃えるような赤髪の少年だ。歳はコンシータと同じくらいか。美形というタイプではないが、団栗眼どんぐりまなこ愛嬌あいきょうのある顔立ちだ。コンシータにも見覚えがない。少なくともこの村の住民ではない。


「【華麗なる黄金弾オロ・ロットラ】!」


 彼の手に握られた手火砲から、破裂音と共に放たれた火弾が──海賊たちの足元に命中する。外れた? 一同がそう思ったのも束の間。


「うわああああ!?」


 火弾が黄金の輝きと化して炸裂さくれつする! じゃらじゃらと響く音から、コンシータはそれが舞い散る金貨だと気付いた。海賊たちは金貨のつぶてに眼を潰され、あるいは股間に痛撃を喰らわされ、驚愕と苦悶の絶叫を合唱させる。


「逃げるぞ!」


 赤髪の少年はコンシータの手をつかみ、問答無用で走り出す。引きずられて転ばない為に、とりあえず彼女も続いた。海賊の一人が股間を押さえながらうめく。


「ぐ、ぐおお、船闘技だとぅ?」


 聞いたことがある。正確には〈エルナトーレ流船闘技〉──エルナトーレの船乗りの中には魔術のような技を使う者がいるのだと。原理はコンシータには想像も付かないが。


 ただ、同時に思い出していた。今は亡き祖母が聞かせてくれた、ジャンピーノの冒険譚ぼうけんたんだ。金貨の山を手火砲で弾け散らし、取り囲む敵を一掃したという──そう、たった今、この赤髪の少年がやってみせたように。


「俺はラッサ、君は!?」

「コンシータ──」


 赤髪の少年ラッサに名乗り返した途端、名前を核にコンシータの人格が復元され始める。そう、私はコンシータ、カザルネ島に住むごく普通の女の子。夜光貝珠の養殖を営む両親と三人暮らし──。


 ──だったが、ついさっき孤児になった。


「あ、あわわ」


 ラッサが慌てる、コンシータの目からあふれ出す涙を見て。だが、今はそれで良かったのだ。彼女が抜けがらのままでは、きっとラッサの足手まといなってしまうから。


「小僧、どこの船のモンだ!?」


 不意打ちから立ち直った海賊たちが、手火砲を乱射しながら追ってくる。ちなみに、火弾から変じた金貨の山は、跡形もなく消え失せている。″金″の言霊ことだまの集合に呼応した、刹那せつなの投影に過ぎないから──とは、これまたコンシータには知るよしもないが。


(怖い)


 コンシータはようやく当たり前の感覚を取り戻す。ラッサという救い手が現れ、生き延びる可能性が生まれたからこそ。


「とりあえずカザルネ島を離れよう! こっちの入江に仲間の船が停泊してる!」


 操り人形のようにではなく、ちゃんと自分の頭でも考えてから、コンシータはうなずきを返した。確かに、今はそれしかない。ラッサが何者かは気になるが、少なくとも助けてはくれたのだし。


 海賊たちの怒号を背に、二人は走る、走る、走る。


「きゃっ」

「しっかり!」


 火弾がコンシータの肩をかすめ、転びそうになったところをラッサが支える。手足の太さは彼女と大差ないが、全身が若鹿のようなしなやかな筋肉に覆われている。


「あ、ありがとう」


 するりと礼が言えたことに、コンシータ自身が驚いていた。ラッサのおかげで、想像以上に自分を取り戻していたらしい。


「──本当に」


 改めて、コンシータはそう付け加えた。だが、当のラッサは何故なぜか──。


「いいんだ──せめて、これぐらいさせてくれ」


 暗い横顔でそう答えた。どういう意味かとコンシータが尋ねる前に。


「おおっとぉ、逢引デートを邪魔しちまったかな、お二人さ~ん?」


 よりにもよって、吊り橋上で行く手を海賊にふさがれてしまう。しかも、背後からも追っ手が迫りつつある。


(どうしたら──)


 ラッサが先程の船闘技──【華麗なる黄金弾】を使っても、どちらか一方しか倒せない。そして、残った方にハチの巣にされるだろう。いっそ、川に飛び込むか? 無駄だ、この川に火弾をさえぎる程の深さはない。万事休すか。だが──。


「ジャンピーノの舶刀、七つの宝玉散りばめて~♪」


 川のせせらぎに紛れるように、ラッサが小声で歌っている。そのんだ歌声には、焦りも諦めも混じっていない。


「気を付けろ! その小僧は船闘技を──」

「【豪華なる囮の刃ルホソ・フィロ】!」


 追っ手側の警告は、一瞬だけ遅かった。ラッサがさやから抜き放った舶刀が、七色の輝きを放ち──。


「「「おおっ!?」」」


 海賊たちがどよめく、ラッサの舶刀の豪華さに。純金製のつかに紅炎石や碧氷石を散りばめ、止めに柄頭には大粒の極光石をあしらっている。一体、どれぐらいの価値になるのだろう。


(あれ? でも──)


 コンシータは内心で首をかしげる。ラッサが舶刀を帯びていたのは覚えているが、あんな豪華なこしらえだったろうか?


「取って来おぉぉいっ!」


 ラッサが舶刀を川に投げ込む。骨に飛びつく犬のように、前後の海賊たちが川に飛び込んでいく。コンシータは呆れて見送る。海賊とは言え、いくら何でも浅ましすぎやしないか。


「へん、強突ごうつく張りにこの技はよく効くな~」

「よ、良かったの? あんな高価そうな物を」

「いいって、実際は安物だから」


 まがい物ということだろうか? コンシータにはよく解らなかったが──ただ、一つだけ確かなのは、ニッと白い歯を見せて笑うラッサの姿に、彼女は一瞬だけ──本当に一瞬だけだが、両親の無残な死に様も、先の見えない明日も、全て忘れていたという事実だ。


「ほら、あれが俺たちの〈青の嵐アスル・トルメンタ〉号だ!」


 木々の合間から、入江に浮かぶ一せきの船が見え始めた。流線型の船体に三本の帆柱ほばしらを備えた、素人目にも速そうな船だ。甲板かんぱんには大火砲カニョンがずらりと並び、武装した船員がっているのも見えた。確かに、あの船に逃げ込めば、海賊たちも手出しは出来なさそうだが──。


(あの船って──)

「さあ、もうひと踏ん張りだ!」


 一抹いちまつの不安を覚えたコンシータが、それでもラッサに続こうとした、その時。


「残虐非道のドルマッティ、逆らう奴は皆殺し~♪」

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