栄光なき戴冠式
シエト帝国、帝都シエトゥリア、
シエト建築の頂点、千の列柱の宮殿、
皇帝の私室に通じる廊下を、オムディアス皇子は独り歩み行く。
金糸で飾られた真紅の長
その全てが
だが、彫像たちは静かに
オムディアスは苦笑する。呼吸するように暗殺を警戒している自分に。
(もう暗殺を恐れる必要はないのに)
父帝はつい先日に崩御した。弟の第二、第三皇子も、数年前に事故死している。彼らは未婚だったので──
代々の皇帝の彫像たちを、次々に通り過ぎる。偉大なる建国帝ケイゼリオス一世、その息子二世、孫の三世──血族だけあって、顔立ちは皆よく似ている。だが、それ以上に底流に潜むものが受け継がれていると、オムディアスには思えてならない。
巧みに人間を
(彼らも手を汚してきたのだろうな──兄弟の血で)
第二、第三皇子の死因は飛空艇の墜落──という事になっているが、実際はオムディアスによる暗殺だ。信頼できる
誰も自分を疑っていないとは、オムディアスには思えない。だが、父帝は何も言わなかった。皇帝の
兄弟同士の暗殺合戦は皇子の宿命──むしろ、その試練を生き延びた皇子こそ、次代の皇帝に
間違っていると、彼は常々思っていた。
平民の兄弟たちは一丸となって家を支える。
そう語るオムディアスに、弟皇子たちは『兄上の
兄にはとっくに見破られているとは露知らず、弟皇子たちは
オムディアスは弟皇子たちの魔の手を、
──そうも言っていられなくなったのは、イクシーナを妃に迎え、レムディアスが誕生したからだ。
忙しくて
結局、彼も兄弟殺しの業からは逃れられなかったのだ。
*
廊下が終わる。
帝国の紋章が刻まれた大扉は、皇帝の私室への入口だ。オムディアスも入るのは初めてだ。紋章の中央に描かれた眼が、じろりと彼を見下ろす。
「我はシエト帝国皇帝、運命をその手に握る者」
父帝の遺言書に記されていた合言葉を告げると、大扉が
その向こうに広がっていたのは、意外に質素な部屋──栄光宮殿の基準で見れば──だった。誰に見せる訳でもない部屋を、飾り立てても意味はないということか。徹底的な合理主義者であった父帝らしい。
目立つ家具は
オムディアスは眉間にしわを刻む。この冠の奪い合いで、どれだけの血が流されてきたことか。
「「皇位継承おめでとうございます、殿下」」
銀の仮面の宮廷司祭長と、黒い仮面の宮廷魔術士長、台座の左右に控える二側近が、祝辞を
(本当なのだろうか──)
彼らが不老不死の魔人であり、建国帝の時代から生き続けているという噂は。仮面を被る真の理由は、中身が代替わりしていると見せ掛ける為だという。
「「それでは、帝冠をどうぞ」」
司祭長と魔術士長が黄金の冠──帝冠を差し示す。皇位継承者がこれを被れば、
帝冠を手に取ったオムディアスは、改めて犠牲者を
(彼らの死を無駄にはしない──私は必ず)
皇子同士の殺し合いを止めてみせる。
レムディアスしか皇位継承者が居ない現状を、元老院が安泰だと認めるはずもない。イクシーナとの間に──あるいは側室を迎えて──
息子には断じて、自分と同じ業を背負わせない。
「ぐっ──!?」
激痛がオムディアスを襲った。帝冠から無数の
白目を
(何故、
無限の闇がオムディアスの意識を覆う。彼が最期に
*
オムディアスの双眸に焦点が戻り、全身の痙攣も収まる。
帝冠に掛けたままだった両手をゆっくりと下ろし、全身鏡に向き直る。そこに映る自らの姿を認め──にやりと口元を吊り上げる。本人は笑ったつもりかもしれないが、牙を剥き出す地獣ガロウか何かにしか見えない。
オムディアスに忠誠を誓う臣下たちは、主君がこんな表情を浮かべる様など想像も出来ないだろう。
「「陛下、
さして案じている風でもない司祭長と魔術士長に、オムディアス──否、新皇帝ケイゼリオス四十世もまた平然と応える。
「何十回と繰り返したのだ、もう慣れたわ──ほう?」
ケイゼリオス四十世が面白そうに眉を上げる。
「オムディアスの奴、そのようなことを考えておったか」
「「どのような?」」
「皇子同士の殺し合いを止めたいと──くくく、全く
司祭長と魔術士長に手伝わせて、皇帝の正装である紫の
「魔動像兵団の準備は?」
「「整いましてございます」」
「飛空艇団の準備は?」
「「整いましてございます」」
「──〈
「「万事整いましてございます」」
「
身成を整えたケイゼリオス四十世は、司祭長と魔術士長を従えて大扉を開く。
「戯曲家気取りの神々から、自由を勝ち取る戦を──!」
*
戴冠式の簡素さとは対照的に、新皇帝の就任
──皇妃となった母イクシーナの隣で、遠見鏡を見つめるレムディアスもその一人だった。
「ああ、あの人はとうとう皇帝になってしまった──」
母は少女のように我が身を抱えて震えている。彼女は夫を恐れていた。皇帝に即位する為に、実の弟たちを殺した冷血漢だと。
だが、レムディアスの見解は違っていた。叔父たちの死の真相は、父による暗殺の可能性が高いのは確かだ。だとしても、彼はその理由を非情の一言で済ませたくはなかった。
七歳の誕生日の宴でのことだった。臣下たちの祝辞攻めが一段落し、久しぶりに父と二人きりになる時間があったのだ。
父はぼそりと言った。弟が欲しいか、と。
レムディアスは迷わず
返事に
『弟が生まれたら、仲良くしてやるが良い』
その瞬間、レムディアスは己に誓ったのだった。自分だけは父を信じようと。
それなのに──。
父の顔が遠見鏡に大写しになった瞬間、レムディアスは生まれて初めて「
今の父の顔付きは──。
(そっくりだ──お祖父様とも、
*
それから十数年後──。
ケイゼリオス四十世は闇の神メーヴェルドに魂を売り渡し、セリヴェルド史上五人目の魔王となった。自国民からは〈神皇帝〉、他国民からは〈魔皇帝〉と呼ばれた彼は、セリヴェルド征服の野望を
人間の国家が魔王の手駒になるという、前例のない事態──後世に〈
ケイゼリオス四十世の皇子レムディアスは父親の片腕を務め、〈暗黒騎士〉〈串刺し皇子〉〈焦土将軍〉等と
ちなみに──。
歴代の皇帝と異なり、ケイゼリオス四十世はレムディアスの他に子を儲けなかった。不老不死の魔王と化した皇帝に、後継者は最早必要なかったのだろう。
その事実をレムディアスが知っていたのか否かは、歴史学者の間でも意見が分かれている。
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