栄光なき戴冠式

 シエト帝国、帝都シエトゥリア、栄光宮殿ドムス・グローリア──。


 シエト建築の頂点、千の列柱の宮殿、御影みかげ石と白大理石の大伽藍がらんともたたえられる皇帝インペラトルの居城にて。


 皇帝の私室に通じる廊下を、オムディアス皇子は独り歩み行く。


 金糸で飾られた真紅の長絨毯じゅうたんの左右には、代々の皇帝たちの彫像が立ち並んでいる。光の女神セリアーザの末裔まつえいである証として、背中からは天使のごとく翼が生えている。


 その全てが魔動像ゴーレムであることは公然の秘密だ。侵入者が通過しようとすれば、死の眼光でき滅ぼすという。帝国一の剣豪と名高いオムディアスの顔にも、さすがに緊張が走る。


 だが、彫像たちは静かにたたずむのみだ。父帝ケイゼリオス三十九世からの引き継ぎは、ちゃんと済んでいるようだ。


 オムディアスは苦笑する。呼吸するように暗殺を警戒している自分に。


(もう暗殺を恐れる必要はないのに)


 父帝はつい先日に崩御した。弟の第二、第三皇子も、数年前に事故死している。彼らは未婚だったので──寵姫ちょうきは山程に居たが──、残る皇族は最早、自分と七歳の息子レムディアスのみだ。これ以上減ったら、帝国そのものが傾き兼ねない。そんな暴挙に及ぶ者は、少なくとも帝国内には居ないだろう。


 代々の皇帝の彫像たちを、次々に通り過ぎる。偉大なる建国帝ケイゼリオス一世、その息子二世、孫の三世──血族だけあって、顔立ちは皆よく似ている。だが、それ以上に底流に潜むものが受け継がれていると、オムディアスには思えてならない。


 巧みに人間をよそおっている、隠しきれぬ非人間性──とでも言えば良いのか。オムディアスは自嘲じちょうする。今や、自分も同じ顔をしているのだろうと。


(彼らも手を汚してきたのだろうな──兄弟の血で)


 第二、第三皇子の死因は飛空艇の墜落──という事になっているが、実際はオムディアスによる暗殺だ。信頼できる間諜スパイを飛空艇に忍び込ませ、浮遊機関の制御呪文を改竄かいざんしておいたのだ。帝都を離れた瞬間、全ての機能を停止するように。


 誰も自分を疑っていないとは、オムディアスには思えない。だが、父帝は何も言わなかった。皇帝の諮問しもん機関である元老院セナトゥスも無反応だった。第二、第三皇子の近衛兵団プラエトリアニでさえ、あっさり彼の指揮下に再編された。だが、理由を考えると安堵あんどは出来なかった。


 兄弟同士の暗殺合戦は皇子の宿命──むしろ、その試練を生き延びた皇子こそ、次代の皇帝に相応ふさわしい。そんな風潮が栄光宮殿ではまかり通ってしまっているのだ。それも、オムディアスが生まれる以前から。


 間違っていると、彼は常々思っていた。


 平民の兄弟たちは一丸となって家を支える。何故なぜ、皇族もそうしない? 国家とは読んで字の通り、家庭の延長線上にあるものではないか。


 そう語るオムディアスに、弟皇子たちは『兄上のおっしゃる通りです』と口をそろえた。第二皇子は疑惑を、第三皇子はあなどりを、従順の仮面の裏に隠して──いるつもりで。


 兄にはとっくに見破られているとは露知らず、弟皇子たちは執拗しつようにオムディアスの暗殺を試みた。食物に毒を盛る、別荘に放火する、魔動像に襲わせる──否、彼らが愚かだったとは、オムディアスは思わない。栄光宮殿において異質なのは、むしろ自分の方だ。


 オムディアスは弟皇子たちの魔の手を、ことごと退しりぞけ続けた。その剣技と英明さ、したってくれる臣下たちの献身を頼りに。幾度も命を落としかけながらも、彼は決して弟皇子たちに報復しなかった。いつかは、彼らも解ってくれると信じて。


 ──そうも言っていられなくなったのは、イクシーナを妃に迎え、レムディアスが誕生したからだ。


 忙しくてろくに会えずにいるとは言え、否、ゆえにこそ掛け替えのない家族。自分が死ねば、息子も後を追わされるかもしれない。残された妻もどうなるか知れない。さしものオムディアスもそれだけは耐えられなかった。


 結局、彼も兄弟殺しの業からは逃れられなかったのだ。


 *


 廊下が終わる。


 帝国の紋章が刻まれた大扉は、皇帝の私室への入口だ。オムディアスも入るのは初めてだ。紋章の中央に描かれた眼が、じろりと彼を見下ろす。


「我はシエト帝国皇帝、運命をその手に握る者」


 父帝の遺言書に記されていた合言葉を告げると、大扉がきしみを上げて開いていく。


 その向こうに広がっていたのは、意外に質素な部屋──栄光宮殿の基準で見れば──だった。誰に見せる訳でもない部屋を、飾り立てても意味はないということか。徹底的な合理主義者であった父帝らしい。


 目立つ家具は天蓋てんがい付きの寝台と、白大理石の枠にはめ込まれた全身鏡、そして杯型の小さな台座。その上には、絡み合うコウテイジュの葉をかたどった、黄金の冠が安置されている──代々の皇帝の額を飾っていた品だ。


 オムディアスは眉間にしわを刻む。この冠の奪い合いで、どれだけの血が流されてきたことか。


「「皇位継承おめでとうございます、殿下」」


 銀の仮面の宮廷司祭長と、黒い仮面の宮廷魔術士長、台座の左右に控える二側近が、祝辞を斉唱ユニゾンする。この部屋への入室を許されている数少ない人物だ。身元を特定されるのを防ぐためと称して、素顔は皇帝にしか見せない。代々の皇帝の左右には、常に彼らがひかえていたという。


(本当なのだろうか──)


 彼らが不老不死の魔人であり、建国帝の時代から生き続けているという噂は。仮面を被る真の理由は、中身が代替わりしていると見せ掛ける為だという。


「「それでは、帝冠をどうぞ」」


 司祭長と魔術士長が黄金の冠──帝冠を差し示す。皇位継承者がこれを被れば、戴冠たいかん式は完了する。セリヴェルド最大の国家の戴冠式とは思えぬ素っ気無さだ。この形式を厳守するよう、父帝の遺言書にも記されていた。


 帝冠を手に取ったオムディアスは、改めて犠牲者をしのぶ。自分をかばって死んだ臣下たち、解り合えなかった弟たち、墜落させた飛空艇の乗員たち──。


(彼らの死を無駄にはしない──私は必ず)


 皇子同士の殺し合いを止めてみせる。


 レムディアスしか皇位継承者が居ない現状を、元老院が安泰だと認めるはずもない。イクシーナとの間に──あるいは側室を迎えて──予備スペアの皇子をもうけるよう求めてくるだろう。


 息子には断じて、自分と同じ業を背負わせない。


 双眸そうぼうに決意をみなぎらせ、オムディアスは帝冠を被る。まずは栄光宮殿の価値観を変えなければ。その為にはもっと平民から人材を登用して──彼が早くも構想を描き始めた、その時。


「ぐっ──!?」


 激痛がオムディアスを襲った。帝冠から無数のとげが生えて、頭蓋ずがいに食い込んだ──かのような。慌てて脱ごうとするも、身体は石化したかのように動かない。


 脳髄のうずいに流れ込む悪夢のような光景──帝都から一斉に飛び立つ飛空艇団──そこから放たれる雷砲が地上を焼き尽くす──すらりと並べられた他国の王たちの首級しるし──打ち壊されるセリアーザの女神像──代わりに建てられる皇帝の彫像──世界地図を塗り潰す帝国の版図──。


 白目をき、全身を痙攣けいれんさせるオムディアスを、司祭長と魔術士長は無反応で傍観ぼうかんしている。こうなることを、あらかじめ知っていたとしか思えない。


(何故、此奴こやつらが私を──!?)


 無限の闇がオムディアスの意識を覆う。彼が最期に幻視た光景は、妻と息子との、ついに実現しなかった家族水入らずの一時──。


 *


 オムディアスの双眸に焦点が戻り、全身の痙攣も収まる。


 帝冠に掛けたままだった両手をゆっくりと下ろし、全身鏡に向き直る。そこに映る自らの姿を認め──にやりと口元を吊り上げる。本人は笑ったつもりかもしれないが、牙を剥き出す地獣ガロウか何かにしか見えない。


 オムディアスに忠誠を誓う臣下たちは、主君がこんな表情を浮かべる様など想像も出来ないだろう。


「「陛下、玉体おからだの制御に問題はございませんか?」」


 さして案じている風でもない司祭長と魔術士長に、オムディアス──否、新皇帝ケイゼリオス四十世もまた平然と応える。


「何十回と繰り返したのだ、もう慣れたわ──ほう?」


 ケイゼリオス四十世が面白そうに眉を上げる。


「オムディアスの奴、そのようなことを考えておったか」

「「どのような?」」

「皇子同士の殺し合いを止めたいと──くくく、全くさかしくもい奴よ」


 司祭長と魔術士長に手伝わせて、皇帝の正装である紫の大法衣ダルマティカに着替えながら、ケイゼリオス四十世はやり取りを交わす。掛け合い歌のように、節すら付けて。


「魔動像兵団の準備は?」

「「整いましてございます」」

「飛空艇団の準備は?」

「「整いましてございます」」

「──〈万魔殿パンデモニウム〉への根回しは?」

「「万事整いましてございます」」

平民プレブス貴族パトリキも、千年掛けて骨抜き済み──この身体が老いる前には始められよう」


 身成を整えたケイゼリオス四十世は、司祭長と魔術士長を従えて大扉を開く。


「戯曲家気取りの神々から、自由を勝ち取る戦を──!」


 *


 戴冠式の簡素さとは対照的に、新皇帝の就任行列パレードは帝都中がお祭り騒ぎだった。


 きらびやかな儀礼用の鎧姿の近衛兵団を率い、数十頭の馬型魔動像が引く大戦車が凱旋がいせん通りを行く。その上で手を振る新皇帝の姿に、帝都民は熱狂的な歓声で応える。いや、行列の様子は、遠見鏡を通して全帝国民が注目しているだろう。


 ──皇妃となった母イクシーナの隣で、遠見鏡を見つめるレムディアスもその一人だった。


「ああ、あの人はとうとう皇帝になってしまった──」


 母は少女のように我が身を抱えて震えている。彼女は夫を恐れていた。皇帝に即位する為に、実の弟たちを殺した冷血漢だと。


 だが、レムディアスの見解は違っていた。叔父たちの死の真相は、父による暗殺の可能性が高いのは確かだ。だとしても、彼はその理由を非情の一言で済ませたくはなかった。


 七歳の誕生日の宴でのことだった。臣下たちの祝辞攻めが一段落し、久しぶりに父と二人きりになる時間があったのだ。


 父はぼそりと言った。弟が欲しいか、と。


 レムディアスは迷わずうなずこうとして──母がその事態を何より恐れている事実を思い出す。将来、自分の子同士が殺し合うことになるから──とまではさすがに解らなかったが、ぼんやりとは察していた。


 返事にきゅうしているレムディアスに、父は『案ずるな』と告げた。口元に笑みをたたえて、眼差まなざしだけは真剣に。


『弟が生まれたら、仲良くしてやるが良い』


 その瞬間、レムディアスは己に誓ったのだった。自分だけは父を信じようと。


 それなのに──。


 父の顔が遠見鏡に大写しになった瞬間、レムディアスは生まれて初めて「戦慄せんりつが走る」という感覚を知った。彼は栄光宮殿の至る所に飾られている、先祖たちの彫像を思い出していた。


 今の父の顔付きは──。


(そっくりだ──お祖父様とも、ひいお祖父様とも、初代皇帝とも──)


 *


 それから十数年後──。


 ケイゼリオス四十世は闇の神メーヴェルドに魂を売り渡し、セリヴェルド史上五人目の魔王となった。自国民からは〈神皇帝〉、他国民からは〈魔皇帝〉と呼ばれた彼は、セリヴェルド征服の野望をかかげ、各地に帝国軍を侵攻させる。


 人間の国家が魔王の手駒になるという、前例のない事態──後世に〈黎明れいめい大戦〉と呼ばれることになる戦乱の始まりである。


 ケイゼリオス四十世の皇子レムディアスは父親の片腕を務め、〈暗黒騎士〉〈串刺し皇子〉〈焦土将軍〉等と仇名あだなされた。後にケイゼリオス四十世を打倒した〈黎明の五勇者〉の前にも、何度も立ちふさがったという。


 ちなみに──。


 歴代の皇帝と異なり、ケイゼリオス四十世はレムディアスの他に子を儲けなかった。不老不死の魔王と化した皇帝に、後継者は最早必要なかったのだろう。


 その事実をレムディアスが知っていたのか否かは、歴史学者の間でも意見が分かれている。

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