聖騎士の誕生

 いかにアヴァロキア聖王国の治安が良いとは言え、それは他の国々と比較しての話だ。


 偉大なる双子王・剣王と聖王の威光も、国土の隅々にまでは及ばない。聖都ヴァルドに続く巡礼道ですら、時には闇の種族が出没することもある──このように。


「ゲーッヘッヘッヘッ!」

「ギーッヒッヒッヒッ!」


 何がそんなに楽しいやら、けたたましく笑いながらゴブリンどもが木陰から飛び出す。


 若き騎士デュライス・リムロットは、冷静に片手半剣バスタードソードを構える。愛馬ブライトウィン──アヴァロキアでも希少な地獣タキャクウマ──のくらからは、とうに降りた上で。


 待ち伏せには気付いていた。ブライトウィンに強行突破させることも出来たが、それでは次の通行者が襲われてしまうかもしれない。仮にも民の守護者として、それは見過ごせない。


 馬上の利をあえて捨てた理由は二つ、矮躯わいくのゴブリン相手では剣が届きにくいし、何より同乗者を危険にさらさないためだ。デュライスはちらりと背後をうかがった。


 ブライトウィンの背に残ったイリリカは、見返す瞳で「信じている」とデュライスに応える──が、その奥の怯えまでは隠せていない。無理もない。光の女神セリアーザの託宣を受けた聖女とは言え、十六歳の少女である。それも、つい最近まで修道院で暮らしていた箱入り娘だ。戦闘の経験などあるはずもない。


(しっかりしろ──今、こいつを守れるのは、俺だけなんだ)


「心配すんな、実戦なんて余興リクリエーションみたいなモンさ──訓練に比べりゃあな」


 イリリカをはげます為に、白馬騎士団に伝わる冗談を飛ばしていたデュライスだったが、段々げっそりした顔になっていく。騎士団の地獄の行軍演習を思い出してしまったらしい。イリリカを聖都に送り届けよという女神の命に従ったのも、さっさと実戦に移りたかったから──という理由も、含まれない訳ではない。


 奇声を上げながら、ゴブリンの一匹が短剣でデュライスに襲いかかる。だが、わざわざ届くまで待ってやる義理はない。鋭い踏み出しと共に、デュライスの片手半剣が半月を描き、不釣り合いに大きいゴブリンの頭を切り飛ばす。


 すかさず、手斧ハチェットを手にした別のゴブリンが襲い掛かる。生意気にも、デュライスの片手半剣が向いていない角度から。だが、彼の目に焦りはない。ゴブリンが連携を得意とする──それも仲間を捨て駒にするたぐいの──ことぐらい、騎士にとっては常識だ。だからこそ、威力の高い斬り落としではなく、次撃に繋げやすい横ぎを選択した。


 一撃目で生じた下半身のひねりを利用し、返す刃で二匹目のゴブリンを斜めに斬り下ろす。さらに、その回転力を殺さぬままに──。


「ドラァ!」

「ギュゲェッ!?」


 背後から忍び寄ろうとしていた三匹目のゴブリンの鼻面に、強烈な後ろ回し蹴りを炸裂させる。騎士としては少々はしたない戦法だが、優雅に戦っている場合ではない。


 この一連の攻防に要した時間、約三秒。


「デュライス、後ろ──え」


 イリリカが警告を発しようとした時には、その原因は既に緑色の血反吐ちへどをまき散らしながら吹っ飛んでいた。まりのように転がってきたところを、すかさずブライトウィンがひづめで踏み潰す。


 デュライスの白馬騎士団の紋章が描かれた外套マントは、未だ渦を巻くようにひるがえったままだ。


剣戟けんげきは流れだ。自ら生み出し、主導権を握った者が勝つのだ』


 父の教えは、身に染み込んでいたようだ。デュライスは思わず舌打ちする。


「ギーッ、ガムガウシダ!」


 最後の一匹が、ゴブリン語でわめいている。響きからして「ええい、使えん奴らめ!」といった類の意味か。少なくとも「よくも仲間を!」ではない。


 そいつは奇妙な格好をしていた。ぞろりとした黒い長衣ローブに、筒型の帽子──おそらく、聖都派の司祭を真似ている。だとしたら、首から下げている地獣ワナネズミの頭蓋骨ずがいこつ聖印パナギアのつもりか。


 ゴブリンはしばしば、人間の文化の醜悪なパロディを演じている。闇の神メーヴェルドによって、人間の矛盾や偽善を映す鏡として創造されたからだ──と唱える学者もいる。


 司祭ゴブリンがワナネズミの頭蓋骨を握り潰すと、足元の空間がぐにゃりとくぼんで穴になる。


(魔術か!? 一体どんな──)


 イリリカの目には、その内部から噴煙のように湧き出すものが見えていた。


「″闇″の言霊ことだまが──!?」


 聖職者としては当然だが、彼女は言霊を見ることが出来る──いわゆる、智慧の目と呼ばれる感覚の持ち主だ。だが、光の星セラエノが中天に輝く真昼に、何故なぜ″闇″の言霊が湧き出す?


 空間の穴からと頭部がのぞく。イリリカが見た″闇″の言霊の発生源が。


(ネズミ?)


 ではないことは、そいつの全身があらわになるまでもなく分かった。ネズミは全長3メトもないし、禍々まがまがしいフォルムの大鎌サイズを握っていたりしない。何より、背中に風獣チスイバネのような皮膜の翼が生えている。


「気を付けて、悪魔です!」

(げぇっ!?)


 一人だったら迷わず逃げているところだ。まさか、こんな所で遭遇するとは。


 悪魔──闇の種族の頂点に立つ者たち。神々の遊戯ゆうぎ時代が終わった後も、彼らは相変わらず人間たちをおびやかし、そして誘惑し続けている。創造主たるメーヴェルドに背徳はいとくと破滅の物語をささげるために。その外見は様々だが、背中に備えた皮膜の翼だけは共通している。


 天使と同じくなかば生物、半ば概念である彼らには、空間がさして制約にならない。普段はセリヴェルドの南極にあるという万魔宮パンデモニウムに住んでいるが、召喚されれば真智界アエティールを介してどこにでも出現できる。それも瞬時に。


(まままあ、ゴブリンごときに召喚されるぐらいだし、悪魔と言ってもせいぜい家畜級だろ)


 悪魔としては最下級、上級の同族からは家畜扱いされる者たちである──とは言え。


「うひっ!?」


 竜巻のように振り回される大鎌は凄まじい迫力だ。巻きえを喰った木々がいともあっさり伐採ばっさいされていく。襲い来る死の旋風から、デュライスは飛び退すさり続けるしかない。


『敵の大きさにひるむな。デカい奴ほど力任せで、パターンは単調だ』

(くそっ、分かってるよ)


 大鎌を振り切った瞬間を狙って、ふところに飛び込むか? いや、成功したとしても相手は悪魔だ。蹴りやによる突きで反撃する程度の知能はあるだろう。そのどちらもか弱い人の身には脅威だ。


 残る手段は──。


(あの技を使えば──いや、でも、あいつの前で──)


 イリリカのすがるような眼差まなざしが、おのれの背に注がれているのが分かる。きっと彼女の目には、自分は〈白の聖騎士〉アヴァロクのように見えているのだろう。


 


『誰かを守る為に戦う。それこそが騎士の真髄しんずいと心得よ』

(だぁっ、やりゃあいいんだろ、クソ親父が!)


 片手半剣を高く真っかかげる──刀身を己の視界から外す為に。


 深呼吸一つ、目を細め、意識を澄ませる。


 セリヴェルドは実体の世界である物質界プレーンと、言霊の世界である真智界から成る──ある程度の教育を受けた人間であれば常識だ。両界は表裏一体の関係であり、お互いに影響を与え合うという法則も──まあ、概念としては知っているだろう。


 だが、伝説構造テンプレートに関しては──歴史学者か吟遊詩人でもなければ、知ったとしても実感が沸かないだろう。


 多くの人々に知られ、世代を超えて語り継がれる伝説は、真智界に言霊の構造体──伝説構造を構成する。そして、伝説構造は物質界に投影され、配役や状況を変えつつも、その内容を繰り返し再現し続ける。勇者と魔王の戦い、聖人が起こす奇跡、身分違いの悲恋、兄弟王子の王位継承争い、秘宝を巡る冒険──。


(───!)


 デュライスは軍馬のいななきや、騎士たちの勝鬨かちどきを聞いた気がした。達人であればアヴァロクの姿がはっきり見えるそうだが、未熟者の自分にはこれが精一杯だ。だが、確かに感じる。自分が何か、巨大な存在の一部になったようなこの感覚は──伝説構造との一体感だ。


 アヴァロキアで最も有名な伝説と言えば、何と言っても建国王たるアヴァロクの伝説だろう。〈魔皇帝〉ケイゼリオスを倒してセリヴェルドを救ったかの勇者は、騎士のみならずアヴァロキアの全男子の憧れだ──デュライスだって例外ではなかった。


 カッと空色の双眸そうぼうを見開く。


「メーヴェルドの下僕ども、我が剣の輝きを見よ!」


 ゴブリンとの前哨戦ぜんしょうせんで高まった闘志に、真智界の伝説構造が呼応する。そこに内包ないほうされる無限の″光″の言霊のごく一部が、デュライスの片手半剣に注ぎ込まれる。


 そして。


「【聖剣破眼光ソード・フラッシュ】!」


 技名を鍵に、刀身を門に、物質界にあふれ出す。即ち、視界を白一色に染める程の、凄まじい閃光と化して。


「ギイイィッ!?」


 にごった血色の眼をかれた悪魔が、苦悶くもん咆哮ほうこうを上げる。闇雲に武器を振り回し続けて、視力が戻るまで時間を稼ぐ──という戦法を編み出される前にと、デュライスは地をすべるように駆け、すれ違い様に悪魔の脚部を切り裂く。

 

 悪魔の巨体がぐらりとよろめき──。


「ギャブッ!?」


 その背後で高みの見物を決め込んでいた司祭ゴブリンが、無残にも下敷きになる。


 すかさず、デュライスの脛当てグリーブに覆われた足が地を蹴り──。


 落鳥の構えからの全体重を乗せた一撃が、ネズミ型悪魔の口に突き立った!


 ネズミ型悪魔は全身を痙攣けいれんさせつつ、黒い砂と化して風に散っていく。奴を構成していた″闇″の言霊の拡散が、物質界からはそのように見えるのだ。


 デュライスは念のため警戒を続けるが、周囲からは木々のざわめきしか聞こえない。それを確かめ、ようやく片手半剣をさやに戻す。


 思わずらしたため息を、イリリカは安堵あんどのそれだと思っているのだろう。ブライトウィンの背から飛び降り、ゴブリンどものむくろおののきながらも駆け寄ってくる。


「すごいです、デュライス! あれがアヴァロキア流聖剣技なんですね!」


 伝説構造に無為に操られるのではなく、おのが目的の為に利用することは可能か──そんな試みの一つが、アヴァロキア流聖剣技である。


 聖王国の騎士たちに伝わる闘技であり、剣を媒介にアヴァロクの伝説構造を物質界に投影させる──簡単に言えばそんな原理だ。〈黎明れいめいの五勇者〉の中でも、リーダーであるアヴァロクは特に鮮烈な伝説が多い。

 

 いわく、高速の横薙ぎで生み出した真空の刃で、シエト帝国の飛空艇を撃墜した。


 曰く、一振りにしか見えない剣筋で、巨体のオーガーを頭部・上半身・下半身に斬り分けた。

 

 曰く、火獣カリュウモドキの頭部に突き立てた剣に、雷を落として倒した(この伝説に関しては〈黒の大魔術師〉ザーハルが放った雷の術が偶然当たった、という説も根強いのだが)。


 先程デュライスが放った【聖剣破眼光】は、アヴァロクが刀身の反射光で敵の目をくらませたという伝説を再現する技だ。聖剣技の中では初級の技だが、それでも十代で習得している騎士は少ないだろう。


「お若いとは言え、さすがは騎士様でいらっしゃいますね──あの、デュライス?」


 イリリカの声に徐々に不安の色が混じっていく。デュライスが顔を真っ赤に染め、小刻みに肩を震わせていることに気付いて。


「どうなさったんですか──あっ、もしやお怪我を!? 治癒の祈りが必要ですか──」

「だあああぁ、恥ずかしいいいぃぃ~!!」

「えええええ!?」


 頭を抱えて絶叫するデュライスに、イリリカも驚愕の叫びで応えるしかない。


「あ、あの、揶揄からかってなんかいないですよ? 私は本気で──」

「やめろおおお、尚更なおさら恥ずかしいわあああ!」


 聖剣技の習得には、剣の鍛錬たんれんのみならず、アヴァロクに関する伝説も詳細に学ぶ必要がある。身も心もかの勇者に成りきる為だ──大人が真面目にアヴァロクごっこをしている、他流派からはしばしばそう揶揄やゆされる。


「何なんだよ、我が剣の輝きを見よ~って!? お、おまけに、技名を叫ばないと発動しないとか──」


 前口上や技名の宣言、どれも伝説構造との一体化を高める手順である。一説には、アヴァロクの息子の初代剣王イヴァロク一世が、父の言動を参考に編み出しとされる。つまり、建国当時の人々にとっては恥ではなかったのかもしれないが、生憎あいにくそれから二百年近く経過している。


 価値観だって移り変わろうというものだ。


「じゃ、じゃあ、どうして聖剣技を習得したんですか?」

「し、仕方ねーだろ、騎士の家に生まれちまったんだから」

(ガキの頃は平気だったんだけどなぁ、アヴァロク様ごっこ)


 むしろ、アヴァロク役の取り合いで、友人と喧嘩けんかする程だったのだが──自分も大人になったということか。


 今はイリリカしか見ていなかったから良かったものの、これが衆目の前だったら──考えるだけでも眩暈めまいがする。しかし、このまま旅を続ければ、いずれその試練は訪れるだろう。


 亡き父なら、どう助言しただろうか──デュライスは想像を止めた。


(どうせ『耐えろ!』としか言わねーんだ、あの唐変木の朴念仁ぼくねんじんのコンコンチキは)

「でも──」


 なおも擁護ようごしようとするイリリカに、ブライトウィンがさえぎるように鼻面を突き出す。ブンブンと首を横に降って──「これ以上恥ずかしがらせたら、あいつがチェステの街に逃げ帰りかねない」と言っているように見える。仕方がないので、続きは心中でだけ呟く。微笑ほほえみと共に。


(デュライス、あなたは)


 私を守る為に戦ってくれた、恥ずかしさに耐えてまで。それって、ちっとも──。


(恥ずかしくないと思いますよ)


 こうして、また一人。


 アヴァロクの技とほまれを受け継ぐ、若き聖騎士が誕生した。

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