聖騎士の誕生
いかにアヴァロキア聖王国の治安が良いとは言え、それは他の国々と比較しての話だ。
偉大なる双子王・剣王と聖王の威光も、国土の隅々にまでは及ばない。聖都ヴァルドに続く巡礼道ですら、時には闇の種族が出没することもある──このように。
「ゲーッヘッヘッヘッ!」
「ギーッヒッヒッヒッ!」
何がそんなに楽しいやら、けたたましく笑いながらゴブリンどもが木陰から飛び出す。
若き騎士デュライス・リムロットは、冷静に
待ち伏せには気付いていた。ブライトウィンに強行突破させることも出来たが、それでは次の通行者が襲われてしまうかもしれない。仮にも民の守護者として、それは見過ごせない。
馬上の利をあえて捨てた理由は二つ、
ブライトウィンの背に残ったイリリカは、見返す瞳で「信じている」とデュライスに応える──が、その奥の怯えまでは隠せていない。無理もない。光の女神セリアーザの託宣を受けた聖女とは言え、十六歳の少女である。それも、つい最近まで修道院で暮らしていた箱入り娘だ。戦闘の経験などあるはずもない。
(しっかりしろ──今、こいつを守れるのは、俺だけなんだ)
「心配すんな、実戦なんて
イリリカを
奇声を上げながら、ゴブリンの一匹が短剣でデュライスに襲いかかる。だが、わざわざ届くまで待ってやる義理はない。鋭い踏み出しと共に、デュライスの片手半剣が半月を描き、不釣り合いに大きいゴブリンの頭を切り飛ばす。
すかさず、
一撃目で生じた下半身の
「ドラァ!」
「ギュゲェッ!?」
背後から忍び寄ろうとしていた三匹目のゴブリンの鼻面に、強烈な後ろ回し蹴りを炸裂させる。騎士としては少々はしたない戦法だが、優雅に戦っている場合ではない。
この一連の攻防に要した時間、約三秒。
「デュライス、後ろ──え」
イリリカが警告を発しようとした時には、その原因は既に緑色の
デュライスの白馬騎士団の紋章が描かれた
『
父の教えは、身に染み込んでいたようだ。デュライスは思わず舌打ちする。
「ギーッ、ガムガウシダ!」
最後の一匹が、ゴブリン語で
そいつは奇妙な格好をしていた。ぞろりとした黒い
ゴブリンはしばしば、人間の文化の醜悪なパロディを演じている。闇の神メーヴェルドによって、人間の矛盾や偽善を映す鏡として創造されたからだ──と唱える学者もいる。
司祭ゴブリンがワナネズミの頭蓋骨を握り潰すと、足元の空間がぐにゃりと
(魔術か!? 一体どんな──)
イリリカの目には、その内部から噴煙のように湧き出すものが見えていた。
「″闇″の
聖職者としては当然だが、彼女は言霊を見ることが出来る──いわゆる、智慧の目と呼ばれる感覚の持ち主だ。だが、光の星セラエノが中天に輝く真昼に、
空間の穴からぬうと頭部が
(ネズミ?)
ではないことは、そいつの全身が
「気を付けて、悪魔です!」
(げぇっ!?)
一人だったら迷わず逃げているところだ。まさか、こんな所で遭遇するとは。
悪魔──闇の種族の頂点に立つ者たち。神々の
天使と同じく
(まままあ、ゴブリンごときに召喚されるぐらいだし、悪魔と言ってもせいぜい家畜級だろ)
悪魔としては最下級、上級の同族からは家畜扱いされる者たちである──とは言え。
「うひっ!?」
竜巻のように振り回される大鎌は凄まじい迫力だ。巻き
『敵の大きさに
(くそっ、分かってるよ)
大鎌を振り切った瞬間を狙って、
残る手段は──。
(あの技を使えば──いや、でも、あいつの前で──)
イリリカのすがるような
それが一層辛い。
『誰かを守る為に戦う。それこそが騎士の
(だぁっ、やりゃあいいんだろ、クソ親父が!)
片手半剣を高く真っ
深呼吸一つ、目を細め、意識を澄ませる。
セリヴェルドは実体の世界である
だが、
多くの人々に知られ、世代を超えて語り継がれる伝説は、真智界に言霊の構造体──伝説構造を構成する。そして、伝説構造は物質界に投影され、配役や状況を変えつつも、その内容を繰り返し再現し続ける。勇者と魔王の戦い、聖人が起こす奇跡、身分違いの悲恋、兄弟王子の王位継承争い、秘宝を巡る冒険──。
(───!)
デュライスは軍馬の
アヴァロキアで最も有名な伝説と言えば、何と言っても建国王たるアヴァロクの伝説だろう。〈魔皇帝〉ケイゼリオスを倒してセリヴェルドを救ったかの勇者は、騎士のみならずアヴァロキアの全男子の憧れだ──デュライスだって例外ではなかった。
カッと空色の
「メーヴェルドの下僕ども、我が剣の輝きを見よ!」
ゴブリンとの
そして。
「【
技名を鍵に、刀身を門に、物質界に
「ギイイィッ!?」
悪魔の巨体がぐらりとよろめき──。
「ギャブッ!?」
その背後で高みの見物を決め込んでいた司祭ゴブリンが、無残にも下敷きになる。
すかさず、デュライスの
落鳥の構えからの全体重を乗せた一撃が、ネズミ型悪魔の口に突き立った!
ネズミ型悪魔は全身を
デュライスは念のため警戒を続けるが、周囲からは木々のざわめきしか聞こえない。それを確かめ、ようやく片手半剣を
思わず
「すごいです、デュライス! あれがアヴァロキア流聖剣技なんですね!」
伝説構造に無為に操られるのではなく、
聖王国の騎士たちに伝わる闘技であり、剣を媒介にアヴァロクの伝説構造を物質界に投影させる──簡単に言えばそんな原理だ。〈
曰く、一振りにしか見えない剣筋で、巨体のオーガーを頭部・上半身・下半身に斬り分けた。
曰く、火獣カリュウモドキの頭部に突き立てた剣に、雷を落として倒した(この伝説に関しては〈黒の大魔術師〉ザーハルが放った雷の術が偶然当たった、という説も根強いのだが)。
先程デュライスが放った【聖剣破眼光】は、アヴァロクが刀身の反射光で敵の目を
「お若いとは言え、さすがは騎士様でいらっしゃいますね──あの、デュライス?」
イリリカの声に徐々に不安の色が混じっていく。デュライスが顔を真っ赤に染め、小刻みに肩を震わせていることに気付いて。
「どうなさったんですか──あっ、もしやお怪我を!? 治癒の祈りが必要ですか──」
「だあああぁ、恥ずかしいいいぃぃ~!!」
「えええええ!?」
頭を抱えて絶叫するデュライスに、イリリカも驚愕の叫びで応えるしかない。
「あ、あの、
「やめろおおお、
聖剣技の習得には、剣の
「何なんだよ、我が剣の輝きを見よ~って!? お、おまけに、技名を叫ばないと発動しないとか──」
前口上や技名の宣言、どれも伝説構造との一体化を高める手順である。一説には、アヴァロクの息子の初代剣王イヴァロク一世が、父の言動を参考に編み出しとされる。つまり、建国当時の人々にとっては恥ではなかったのかもしれないが、
価値観だって移り変わろうというものだ。
「じゃ、じゃあ、どうして聖剣技を習得したんですか?」
「し、仕方ねーだろ、騎士の家に生まれちまったんだから」
(ガキの頃は平気だったんだけどなぁ、アヴァロク様ごっこ)
むしろ、アヴァロク役の取り合いで、友人と
今はイリリカしか見ていなかったから良かったものの、これが衆目の前だったら──考えるだけでも
亡き父なら、どう助言しただろうか──デュライスは想像を止めた。
(どうせ『耐えろ!』としか言わねーんだ、あの唐変木の
「でも──」
なおも
(デュライス、あなたは)
私を守る為に戦ってくれた、恥ずかしさに耐えてまで。それって、ちっとも──。
(恥ずかしくないと思いますよ)
こうして、また一人。
アヴァロクの技と
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