美女と魔獣
アヴァロキア聖王国、ダグウェル公爵領、ホープズクロス。
二本の大旅道の
街の中心付近は常設の市場になっている。この区画は家屋の建造が禁止されている代わりに、公爵に利用料さえ払えば誰でも商いが出来るのだ。そちらの方が安定した収入が見込めるという判断だろう。″聖王国一金儲けの上手い男″と
立ち並ぶ屋台には、大陸中から運ばれてきた商品が満載されている。エルナトーレ共和国の夜光真珠、フダラク山国連邦の火源石、リューンヘイム王国のエルフの織物──だが、ここに
市場区画の
中心に座すのは一人の吟遊詩人だ。色取り取りの華麗な
吟遊詩人が銀色の弦楽器をかき鳴らすと、弦から虹色の光の粒子が
観客たちがどよめく。ここまで鮮明な幻像を目にするのは初めてだったろう。並の吟遊詩人では、薄っぺらい影を浮かび上がらせるのが精々なのだ。
吟遊詩人が弦楽器をかき鳴らしつつ、朗々と前口上を張り上げる。
「さてさて、本日語らせて頂きますは、世にも美しき〈心の彩珠〉の物語。無事に語り終えられますよう──セリアーザよ、我にご加護を!」
ホープズクロスに集うのは、商品ばかりではない。
物語もまた、大陸中から集うのだ。
*
心の彩珠、それはセリヴェルド七大秘宝の一つである。
持ち主の想いに呼応して、その色合いを変化させるという。持ち主が怒りに燃えれば、業火のような真紅に。持ち主が悲しみに沈めば、深海のような群青に。持ち主が恋を知れば、乙女の頬のような薄桃に。
だが、心の彩珠の真の美は、持ち主が複数の想いを抱いた時に現れる。虹の
建国王アヴァロクが王妃ルザリアに贈ったとも、現在はダグウェル公爵夫人が所有しているとも
仮に実在するなら、その価値は百万シャルを下らないという心の彩珠は、いかにして誕生したのか。
時は神々の遊戯時代。人々が未だ自我に目覚めず、神々の駒に甘んじていた時代。
イルドーラ大陸の片隅に小さな王国があった。その名は伝わっていないにも関わらず、王女フェクトゥーナの名は現代まで伝わっている──それ程までの美女として。
秋風に揺らぐコガネムギ畑のような黄金の巻き毛、木漏れ日にきらめく森の泉のような深緑の瞳、肌はオルドーゼ湖に遊ぶ風獣シロタエドリの羽毛よりも白い。
優れた歌い手でもあり、フェクトゥーナがその澄んだ
だが、何より
フェクトゥーナが成人すると、各国の王子からの求婚が殺到した。結納金代わりに三つの宮殿を贈ろうとした王子もいた。炎獣カリュウモドキを討伐した豪傑の王子もいた。詩才で名高い上に絶世の美男子の王子もいた。
しかし、フェクトゥーナは全ての求婚を断ってしまった。この身は信仰に
半分は本当だったが、半分は方便だった。美しいだけでなく、賢くもある彼女は予見していたのだ。誰と結婚したとしても、他の王子たちは納得しまい。自分を我が物にしようと、争いを起こすだろうと。
だが、フェクトゥーナの覚悟は無駄になってしまった。彼女を諦められない隣国の王子が、軍勢を率いて彼女の国に攻め込んだのだ。
「結婚が無理なら、国ごと征服してやる。王妃が無理なら、
悲劇はさらに拡大する。抜け駆けさせてなるものかと、他の王子たちもフェクトゥーナの国へ侵攻したのだ。彼女を守るという名目で。
国中で軍勢と軍勢がぶつかり合った。軍馬が畑を踏み荒らし、火矢が村々を焼き払った。フェクトゥーナが設立した孤児院も
嘆き悲しんだフェクトゥーナは、祭壇に
「私をセリヴェルドで最も醜い獣に変えて下さい。そうすれば、あの人たちも諦めがつくでしょう」
果たして、フェクトゥーナの祈りは届いた。
一条の流星がフェクトゥーナを撃つや、その肉体は小山の如く盛り上がり、十三本の手足をでたらめに生やし、ありとあらゆる汚物を混ぜた色合いの毛皮に覆われた。その顔容に至っては、もはや表現のしようもない醜さだった──なにせ、直視した者は
変わり果てたフェクトゥーナの姿に、王子たちは恐れ
多くの血と涙を流しつつ、ようやく平和が戻った故郷を見届け、フェクトゥーナは辺境へと姿を消した。それはエルナトーレの孤島とも、スィーナーン砂漠のオアシスとも言われている。
その道中を目撃する者もいたが、彼らのほとんどは慌てて目を背けてしまった為、気付くことはなかった。
さしものセリアーザも忍なかったのであろうか。フェクトゥーナの心の美しさを、醜い魔獣の肉体に封じてしまうのは。女神は心を映し出す宝石──即ち、心の彩珠をフェクトゥーナに与えた。そして、その輝きを
フェクトゥーナから心の彩珠を奪おうとした
ルザリア王妃やダグウェル公爵夫人に関する言い伝えが本当なら、どこかの誰かが成功したのだろう。
*
吟遊詩人が語り終える。
醜い魔獣とその胸元で輝く宝石の幻像が、虹色の粒子に分解されて散っていく。観客たちは賛美の拍手と口笛を惜しまない。吟遊詩人の足元に置かれた革袋が、投げ入れられたシャル銀貨で一杯になる。
吟遊詩人は最前列で耳を傾けていた幼女にささやいた。
「お嬢さん、この物語は
「うーん」
幼女は小首を
「ヤな女の話?」
一瞬の沈黙を挟み──観客たちが爆笑する。
吟遊詩人は苦笑しつつ、幼女の頭を
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます