おばあちゃんオーディション(4)


 居間にも仏間にも、他の部屋にも、どこにもいない。

 完全にひとりぼっち。

 置いていかれた?

 私一人を残して、みんな他の撮影現場に移動したの?

 なんてひどい。


「ひっ!!」


 いないとは思いつつ、トイレやお風呂場も確認した私の目に飛び込んできたのは、老婆だった。

 風呂場の鏡の前に、老婆が立っている————それも、ひどく驚いた表情で……


「いやああああ!!」


 老婆と目が合った瞬間、私は腰を抜かしてしまった。

 こんなにはっきりと、幽霊を見たのは初めてで、逃げ出したいのに、動けない。


「……って、え?」


 怖かったけれど、改めて鏡の方を見ると、老婆の姿はない……というか————


「そんな……なに、よ、これ————」


 鏡の向こうに、いるにはいるの。

 でも、それがあまりに私の動作とリンクして、そこでやっと気がついたわ。

 この老婆は、鏡に写っている私だと。


 でも、私はまだ還暦になったばかり。

 それなのに、この老婆は八十代、いや、もしかしたらそれ以上もっと上に見えた。

 顔中シワとシミだらけで、口角が下がり、背中も曲がっている。

 どうして、こんな姿に……?


 私はただ言われたまま、あの部屋で待機しながら美子の設定資料に目を通していただけ。

 こんな地肌が見えている薄い白髪のかつらも、おばあさんに見えるような特殊メイクをした覚えはない。

 髪を引っ張ったら痛いし、シミもシワも、なんど指でこすっても消えなくて、シャワーで流しても、何をしても私の姿は、見知らぬ老婆になっていた。


「なんなの、これ……一体、どういうことなの……?」


 髪も服もべちゃべちゃに濡れたまま立ちすくしていると、突然、背後から見知らぬ女の声がする。


「あ、ちょっと、おばあちゃん! 何してるの!? ダメじゃない、お風呂に入るなら、ちゃんと服を脱がないと!!」


 振り返ると、セーラー服を着た女の子が立っていた。


「だ、誰!?」

「誰って、ひどいなぁ、もう。また孫の顔忘れちゃたの?」

「孫……? 私に孫なんて————」


 よく見れば、セーラー服の胸元に『山坂』の刺繍。

 そして……


「歩美だよ! おばあちゃん」



 * * *



「あらあら、またおばあちゃん、服を着たままお風呂に入ってたの?」

「私にも、誰っていうんだよ? ひどいよねぇ」

「……」


 私は温かいお茶をすすりながら、黙って様子を伺うしかなかった。

 だって、さっきまで誰もいなかった居間と台所に、普通に人がいるのよ?

 人が出入りするような音は聞いていないし、自分を歩美だと名乗ったセーラー服の女の子は、本当に私を自分のおばあちゃんだと思っているようで、その母親らしき女も、私を姑だと思っている。

 それも、かなり痴呆の進んだ老人だと。

 私は、本当に誰だかわからないから、誰かと訪ねただけなのに。


「ママぁ、タカちゃんおなかすいたぁ」

「あらあら、もう少し待ってねぇ、すぐできるからねぇ」


 実はオーディションが始まっているのだろうかとも思ったけど、それだったら、私のこの姿は一体どうなっているのか説明がつかない。

 それに、このおそらく孫の孝役の子役だって、さっきの顔が歪んで見えた男の子とは、明らかに顔が違う。


 私が家中を探し回った時は、今、コンロの上に置かれているような鍋やフライパンもなかったし、まな板の上で刻まれているキャベツも存在していなかったはず。

 居間のソファーでは、おそらく父親————美子にとっては長男の肇らしき中年の男が座ってテレビを見ている。

 それも、さっきから見ているテレビが古い。


 私が若い頃にやっていた懐かしい番組の再放送にしては、CMも古い感じがする。

 ビデオなら早送りをすればいいのに、チャンネルは変えても、早送りはしない。

 まるで、今現在放送されているものを見ているかのようだった。


 その肇の隣で、ただ一点を見つめてぼーっとしているのが、おそらく、美子の夫である正一郎。

 ということは、私は美子?

 やっぱり、これは撮影中なのかしら?


 どこかにカメラが仕込んである……とか?

 ドッキリ番組的な何かか?


 扉の隙間とか、観葉植物の間にカメラがないか確認しようと立ち上がるけど、その度に、おばあちゃんは座っていて、と、歩美に腕を引かれて止められる。

 確かめたいことがたくさんあるのに、知りたいことがたくさんあるのに、行動を制限されるという苦痛に耐えて、みんなの会話から状況を整理するしかなかった。


 でも、どんな仮説を立てても、私の体がこうなってしまっている理由に説明がつかない。

 何か妙な薬を飲まされたとか、眠らされている間に……なんてこともありえない。

 本当に、私はただ、設定資料を読んでいただけで————


「いただきまーす!」


 そうこうしているうちに、食卓の上には、美味しそうな夕食が並ぶ。

 みんなが席について、手を合わせた。

 けれど、私はまったく箸をつける気にもなれない。

 気がつけば、いつの間にか外は日が落ちて真っ暗になっていた。


 みんなが食事をし、家族団欒をやっている。

 全部知らない話だ。

 歩美の学校で起きた出来事とか、孝の幼稚園でお遊戯会をやるだとか、親戚のだれだれの娘が結婚するらしいとか……

 脚本にも、設定資料にも書かれていない、まったく知らない、私には関係のない家族の会話。


「それで、お隣の井浦さんがね……」


 その会話の中に、井浦の名前が出て来るまでは。

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