姉さんの日記(5)


『……おとーちゃん』


 三日後には泣き声も、鼻をすする音も、着崩れの音すらしなくなった箱の中から、五日目の夜、声がする。

 成功したんだ。

 ついに、ついに優一が戻ってきた!


『もーいーよ』


 二人でかくれんぼをしたことを思い出して、涙が出た。


「おう、そうかそうか、今、出してやるからな、優一」


 釘を一つ一つ引き抜いて、蓋を開ける。

 子供一人が入るには十分な大きさの箱から出て、優一は眩しそうに目を細めた。


「優一、やっと、やっと……」


 せっかく蘇ったのに、涙で視界が歪んでよく見えない。

 嬉しくて、嬉しくて、小さな体を抱きしめる。

 そうだ。

 この感覚だ。


「おとーちゃん、苦しいよ」

「優一、優一ぃ」


 何度も名前を呼んで、涙が枯れるんじゃないかと思うくらいに泣いて……

 井浦が様子を見に尋ねてこなければ、きっとこのまま俺は泣きつづけていたことだろう。


「いやぁ、うまく行ったようで、よかったですね」

「あぁ、お前が協力してくれたおかげだ! ありがとう! ありがとう!」

「いえいえ、それより、優一くんをお風呂に入れてあげたらどうですか? なんだかまだ、腐ったような臭いがしていますし」

「ん? そうか?」


 鼻水で鼻が詰まってよくわからなかったが、井浦がそういうならと俺は優一と一緒に風呂に入った。

 狭いアパートの風呂場だが、優一はまだ小さいから、このくらいで十分だ。


 体を洗ってやりつつ、俺は優一に色々聞いてみた。

 死んでいる間、一体どこにいたのか。

 天国や地獄はあったのか。


「知らない。でも、神様はいるよ」


 優一はそう言って、ふふふと笑った。

 この笑顔を、俺は一生守っていこう。

 今度こそ、絶対に間違いは起こさない。


 そう思っていたのに、この優一はたったの三日しか保たなかった。

 翌朝には、ただの痩せこけた子供の死体になっていた。


 何が悪かったのか。

 俺はまた何か間違えたのか。

 考えを巡らせながら、優一だったものを床下に埋めた。


 霊感のある子供……本当に、この子はそうだったのだろうか?

 井浦に相談しようと部屋から出ると、アパートの目の前にパトカーが止まっていることに気がついた。

 そして、101号室の玄関先で、刑事らしき男が二人、何か話している。

 慌てて部屋に戻り、テレビをつけると、俺があの子を見つけたデパートで子供が行方不明になっている件がニュースになっていた。

 捜査の手が、俺の方に伸びている。


 刑事たちは、目撃情報がないかこの町の一軒一軒に聞いて回っているらしかった。

 まだ、俺だとはっきりわかっているわけではない。

 なんとかごまかして、その場はやり過ごしたが、こんなことは、もうやめようという諦めるきっかけには十分だった。


 それから俺は、普通に生きることにした。

 優一のことを忘れたわけじゃない。

 ただ、普通に。

 なんの傷も抱えていない、生活のために仕事をして、金を稼ぐ。

 医者に禁酒をすすめられて、煙草の本数も減らした。


 あまりしていなかった他者との交流もするように努めた。

 友人とも、以前と同じように頻繁に会うようになった。

 これでいい。

 俺は頭がおかしかっただけだ。

 自分が犯した罪には蓋をして、毎日を過ごした。


 一度、友人が孫を連れてアパートに遊びに来て、床下を見られてしまったが、友人は、俺をせめたりはしなかったのが、唯一の救いだった。

「自分があの日記を返してしまったせいだ。決して返すべきじゃなかった」と、申し訳なさそうに頭を下げられた。

 警察に自首でも勧められるかと思ったが、そうもしなかったのは、あいつも興味があったからなんだ。

 蘇りの儀式に。


 三日間だけではあったが、優一が蘇った話を興味深そうに聞いていたんだ。

 そういう奇妙なものが好きなところは、学生時代から何も変わっていないようだった。


 俺も、友人も、どこか狂っている。

 同じ人間だ。



 * * *


 あれから二十年。

 俺は相変わらず、104号室に住み続けた。

 年号も平成から令和に変わる。

 不景気ではあったが、一応全室埋まっていたこのアパートも、今は隣の103号室の住人だけになってしまったそうだ。

 頻繁に住人が入れ替わるため、今は隣の住人が男なのか女なのかも覚えていない。


 しかし、さすがにこのアパートも俺と同じで、だいぶ老朽化してきた。

 そろそろ取り壊した方がいいんじゃないかという話が出ていると、契約更新の話をしに来た管理会社の人間が言っていた。

 もう、潮時なのかもしれない。

 重い腰を上げて、俺はこのアパートを出ようと思った。


 そうして、不動産会社で俺のような老人でも住める手頃な値段の物件を見せてもらおうとしたのだが————


「……井浦?」


 一年も住まずに引っ越して行ったかつての隣人が、その不動産会社にいたのだ。

 あの頃と、何も変わらない姿で。


「ああ、家下さんじゃないですか。お久しぶりですね」


 あの頃と変わらない、好青年。


「本当に井浦なのか!? いやぁ、何一つ変わってないじゃないか!!」


 あれから二十年も経っているというのに、俺はすっかり爺さんになってしまったが、井浦は若いままだった。

 あの頃と、本当に、何一つ変わって————



「お前一体、いくになった? まるで歳を取ってないように見えるが……」


 井浦はにっこりと微笑み、


「さぁ、いくつに見えます?」


 そう言ったような気がする。



 残念ながら、その後、俺はどうやって家に帰ったのかまるで覚えていない。

 気がついた時には、俺はどこかに頭を強くぶつけて、動けなかった。

 最後に覚えているのは、104号室の玄関に置いてある靴箱の下の隙間。


 捨てられずにそこに押し込んだまま、隠してあった三足の小さな子供の靴と梅子姉さんの日記だった。





【姉さんの日記 了】

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