第1話 ジム


身体の柔軟さを後天的に獲得するには、かなりの努力が必要である。

また、人間と言う生き物は腹に、内臓に脂肪を溜めやすくできていて、その脂肪を落とすことで前屈がしやすくなるようにできているらしい……。

ここまではベッドの上で確認済み。

ではこれから何をすればいいか。

簡単である、運動と食事制限だ。

そして、日々の柔軟、これを並行してこなすのだ!


と、息巻いてみたものの、減量なんかには無縁であるものだから、記憶の底に積み重なったチラシの山から、初心者歓迎の文字が大々的に踊るジムの広告を見つけ出し、ジムへと赴いた次第である。


「ジム体験にお越しのワタナベ様〜」


少し間延びした声で呼ばれ、軽く返事すると、受付横のカウンターに腰をかけるように促される。


「本日、体験入会を担当させていただきます。コバヤシと申します〜よろしくお願いします」


コバヤシを名乗る少しふくよかな…いや、ふくよかでは語弊がある。筋肉、そう筋肉で武装した上に薄らと乗る脂肪が、明らかに戦いを連想させるレベルのガタイの良さ…なんだ、女性に対して失礼な物言いにならないような…うん、そうだかっこいい体つき。かっこいい体つきである。

そんな女性が淡々とジム内の説明をこなしていく。


城内で3番目の大きさと説明されたジムは、映画館ほどの広さに、様々な器具が清潔感を纏って鎮座している。

シャワールームやロッカーなどを一通り案内され、ふとトレーニングルームに目をやると、その中で何人かがトレーニングに勤しんでいる……

みれば皆、身体つきが良く自信に満ち溢れている。

おそらくこの中に、入会目的がセルフ◯ェラの人はおるまい…。


「ワタナベ様は、どのような理由で身体を鍛えようと思ったんですか?」


体がぴくりと跳ねるが、動揺することはない。

この質問は聞かれることを想定済みである、今後自分がジムで、一般人を装う為の儀式みたいなものである。


減量と怪我防止のための柔軟と答えり、30過ぎて血圧も心配になってきましてね。と小粋なおっさんトークも忘れない。


「そうなんですね〜、どうですか?お時間あるようでしたら少し運動していきませんか〜」


入会前にお試しもできるのか器具の使い方なんかも知っておきたいな…


ぜひお願いします。器具の使い方などいまいちわからないもので…

答えるや否やコバヤシは顔を明るくして、「今トレーナーさん呼んできますね!サトウさん!サトウさん〜!」と事務所の方へ行ってしまった。なんだ、コバヤシさんが担当してくれるんじゃないのか…いや、決して残念ではないが?


「ワタナベさんですね?トレーニング担当させて頂くサトウです。」


目を見開いてしまった。体つきは一見すると細身に見えるが、ボディスーツに張り付いた筋肉を見れば、とてつもなく鍛えあげられているのが素人でもわかる。

「細身でお恥ずかしいですが」

何を謙遜していらっしゃる。おまけに顔がいい、均整の取れた顔立ちに少し細い目、短くまとまった髪型も清潔感を感じる…おまけに制汗剤のいい匂いがする、ちくしょうめ。


「どちらかと言うと、怪我のケアや予防がメインでして…柔軟、ストレッチ等が専門です。」


あ、なるほど、おっさんが怪我の防止の為と言ったからコバヤシさんが采配してくださったんですね。


「では、器具の説明から」


館内に置いてある器具をそれぞれ見ながら一通りのレクチャーを受ける。

受けるのだが…

キツイ…あまりにもキツイ。説明しながら軽くって言ったじゃないか。


「やはり、肉体労働やっていらっしゃるだけあって、基礎的な筋肉が非常に整ってますね」


いやいやいや、まだ体験入会なんですが!?これは本格的なトレーニングではないのでしょうか!?


2時間ほど運動をこなして横隔膜が突き上げる嗚咽に耐えながらストレッチエリアに辿り着く。


「器具の説明は以上となります、入会後もわからないことがあれば、いつでも言ってください」


悪魔は角も美しいものだったか…

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