第3話
将軍の立派なお屋敷に着いた。たくさんの従業員が迎えるなか、執事がユディスの貧弱な荷物を受け取った。
お屋敷は大きくて広くて宮殿のように立派だった。救国の将軍は家屋敷を建てたり美術取集するのが好きなようだった。屋敷の中には絵画や大理石の像、素晴らしい美術品に家具調度で一杯だった。
初めて会ったメルハイム将軍は黒い軍服を着た大きな男だった。
ユディスは将軍に会って驚いた。将軍にはオバケが一杯憑いている。真っ黒な影から赤い影、紫の影に灰色の影、その顔も悪戯者から悪い顔をした者から、悲し気な人まで沢山だ。あまりに沢山で将軍本人の姿がよく分からない。
「よく来てくれた、私はコンラート。コンラート・フォン・メルハイムだ」
「将軍様にご挨拶申し上げます。先のホラント伯爵が娘ユディスと申します」
ユディスがロザンネから下げ渡された染みのついたつんつるてんのドレスを摘まんでカーテシーをすると、メルハイム将軍は執事に顎を杓った。
将軍の後ろにいた執事がユディスの前に出て「こちらへ」と案内する。ユディスは嫌われたのかしらと悲しくなった。ここを追い出されたらどうしようと思うと胸が塞がってしまう。アーベルと一緒に昇天できたらとまで思った。
「こちらでございます」と執事に案内された部屋は明るくて広かった。執事の後ろから侍女がついて来る。
「今日からこちらでお過ごしくださいませ。それから使用人を紹介いたします。こちらが侍女長のルテル夫人。その後がユディス様付きの侍女でコニーです」
上品な貴婦人とユディスより年上の茶髪の侍女が紹介された。
「よろしくお願いいたします」
「私は執事長のニールセンと申します。何かあれば私をお呼びください。ではルテル夫人、お願いしますよ」
執事長のニールセンはユディスを侍女たちに預けると部屋を出て行く。
オバケは使用人たちには憑いていないようだ。はぐれオバケが時たまふわりと部屋を横切って行く。
「それではまずお風呂に入っていただきましょう。ユディス様こちらでございます」
ルテル夫人が先頭になってユディスは着ていた服を剥ぎ取られ、お風呂に入れられた。お風呂から出るとシャボンで身体の隅々まで綺麗に洗いあげられ、髪を入念に梳かされ、香油でマッサージされ足の指のつま先まで綺麗に磨き上げられた。その後柔らかな素材のゆったりしたドレスを着せられた。
食事は小さな食堂でメルハイム将軍と一緒にとった。相変わらずオバケがびっしりと隙間なく憑いていて、彼の顔は見えない。
「何か足りないものはあるか?」将軍が威厳のある声で聞く。
「いいえ、ございません」
「そうか、しばらくこの屋敷で暮らしなさい。後のことはまた考えよう」
「はい」
しばらくがどのくらいか分からないが、今すぐ追い出されることはないようだった。
ユディスの屋敷のオバケは薄青くて優しくて重さも感じなかったが、目の前にいる将軍に憑いたオバケは黒いのや赤いのや紫のや色々である。話はするのだろうか。アーベルが『話をする時は誰もいないのを確認してからね』と言っていた。普通の人にはオバケは見えないし話もできないと聞いている。
ユディスはメルハイム将軍がどんな顔をしているのか見てみたいと思ったけれど、顔を見るのは難しそうだ。
屋敷に来て少し慣れると家庭教師が来て勉強を始めた。勉強は外国語から歴史、地理、行儀作法、ダンス、楽器など多岐に渡っていて、ルテル夫人からも屋敷の整え方、調度品の目利き、花の活け方、お茶の種類など種々雑多な知識を教えて貰う。下働きの下女の仕事ばかりをさせられていたユディスは、オバケたちと話すことでかろうじて令嬢としての知識を仕入れていたが、目の前に貴族の見本のような夫人がいて実践してみせてくれる事で世界が開けて行く。
将軍は忙しいようで、時々あの黒いオバケたちを憑けてどこかに出かけるのを見た。あんなに沢山憑けて大丈夫かしらとユディスは思う。悪い人ではないみたいだし、何とかできないだろうか、話すだけでも──。
昼間は勉強で忙しいけれど、夜になって宛がわれた広い部屋のベッドに眠ると、何となく寂しい。
(アーベルさんたちはちゃんと昇天されたかしら)
ぼんやりとそんなことを考えていると、いきなり目の前に黒いもやのような顔が広がった。
「きゃあ」
ユディスはベッドから飛び起きた。
『貴様、やっぱりオレが見えるのだな。もう少しだと思ったに俺の邪魔をするな』
黒いオバケが意味の分からない事を言いながら向かってくる。
「こっちに来ないで!」
ユディスは読みかけの本をオバケに向かって投げる。本はオバケを通り過ぎて壁に当たって落ちた。いや、落ちるかと思ったがフワフワと浮かんでいる。ゆっくりと傍らの机に乗せられた。ユディスはベッドから飛び降りて机に向かった。青い影が両手を広げて受け止める。
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