第30話
藤ノ宮。
記憶の底に刻まれていたその名に怒りはなかった。
根底にあったのは『華族』という身分への諦めだったが、それ以上に轢かれかけたという実感がいまいち湧かなかったせいもある。
千鶴子や白木にそれを伝えたところで今更だし、特に怪我もしなかったため気にはしていないのだが。
―――それとこれとは、別問題だ。
零との間に遮る物は何もなく、桜子は容赦なく検分の目に晒された。
「女学生……?」
何故平民がここにいるのか、と目が如実にそう語っている。
だが、桜子を見た零が示す反応はそれだけだ。
初めて会う人間を見るような目に桜子は唖然とする。
桜子にとっては忘れ難い記憶も、この男にしたら取るに足らない出来事だったのか。
注がれる鋭い眼差しに堪えきれず、思わず視線を逸らす。
そんな桜子の複雑な心情など知る由もなく、千鶴子は鬼のような無邪気を発揮した。
「そうだわ零。桜子さんを送って差し上げて頂戴。帝国軍人たる者、善良な市民を守るのが役目でしょう?」
もう夜も近いし、と。
それはもう、見事な笑顔だった。
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