夜の散歩へ行こう

「ご飯、置いとくね。食べきれなかったら、残してね」

「ありがとう。本当に、助かるよ」

「気分はどう?」


どう、と言われても、気分は良くない。

四六時中不安が脳内を駆け巡る。身体は鉛のように重たい。寝ても覚めてもただ苦しい。そんな状態が良い気分だとは到底言えなかった。

とても心配そうに、母はしている。目元に皺、所々見える白髪、細い腕には今までの歴史が垣間見え、母も歳をとったのだなと思う。そんな母を、心配させている自分が、実に情けなかった。


「まぁ、良くなってるよ、きっとね。」

「そう… 次郎、あのね、別にどうということではないんだけど…」

「どうしたの?」

「あのね、お母さん、聞いちゃったんだ、その、独り言」


ああ、カミュとの会話か。母にはカミュの声は聞こえない。私がカミュと話している様は、傍から見たらひとりでぶつぶつエアコンに向かって何かを話しているように見えるだろう。後ろから、カミュの笑いを噛みしめる声が聞こえる。うるさい奴だ。本当に。


「お母さんね、あなたの病院を変えようと思ってるの。ちょっと、今の次郎にはいろいろ治療が必要だと思うの」

「そうだね、けど、もう少し様子を見てからにしよう。薬も効き始めてると思うし」「そう、そうね…」


母はそう言って、部屋を出ていく。扉がぱたんと閉まった時、カミュの笑い声が部屋中に響いて来た。


「次郎、本当に頭おかしくなったと思われたね。かわいそうに、僕が親なら座敷牢に幽閉しちゃうかも」

「そろそろ黙ってくれないか?エアコンのくせにちょっと口がすぎるぞ。俺はお前のせいで狂人扱いされてるんだ、どうしてくれる?」

「文句があるなら壊してみな?今頃熱中症で野垂れ死だよ」


減らず口を叩くカミュ。それをただ聞く私。口答えするのも面倒だ。私は、母が作ってくれた夕食に手を付けることにする。鮭と目玉焼き、少しのサラダと納豆、そしていつもなぜか出されるイカの塩辛。多くは食べられない。うつと言う病気は、食欲まで奪っていく。ゆっくりと、ゆっくりと胃の中へと流し込む。


「美味しい?」


カミュは笑うことに飽きたのか、急に母の食事に対しての感想を聞いて来た。


「お母さんが作ってくれたことがうれしい、という感情はある」

「美味しくないの?」

「…正直、味がしないんだ。困ったことに」

「あらら、それは大変」

「そう、鬱って大変だろ?」

「そうだね、実に大変って感じ、うん、大変、そうとしか言えない」


カミュはそう言った限り、鼻歌をふふんと歌ってみせて、まるでこの部屋に誰もいないかのように振る舞ってみせた。

私はほとんど残った食事を部屋の外に起き、そしてすぐにベットに横になった。辛い。何も口を通ろうとしない。もう随分と前からそうだった。


「食ってすぐ寝ると牛になるって。そのまま寝ててよ、牛になるところ見ててあげる」

「そんなに食ってないから牛にならないよ」

「次郎さ、外、行ってみたら?」

「外?」

「そう、昼間に外はいけないでしょ?夜散歩、してみたら?ますます狂人って感じ!」

「おいおい…」

「嫌だった?」


悪くない提案だな、と思った。

家族が寝てしまった後に、ゆっくりと外を歩く。

ぐっすりと寝るためにも運動は必要だ。悪くない。

私はカミュの提案をのむことにした。しかし、カミュの言う通り狂人扱いされないようにしなくては。何かゴミでも漁るような行為をしていたら大変だ・・・。


時間はまだある。

夜が更けるまで、私はベットで再び身体を休めることにした。

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