第54話

 倉田美香子



 蒼真が死んだ時、悲しみと空虚さで全てがイヤになった。

 病院に入院している間も何度も何度も死にたいと考えた。

 それでも死ぬわけにはいかない。彼の意思を継ぐのはわたししかいないから。

 わたしはいつも自分のことがよく分からなかった。なにをしても親の名前が出てくる。

 政治家倉田健吾の娘がわたしの名前だった。

 わたしの努力は全て無駄で、全てが親のおかげのように思えた。

 そんな偉大な父もボランティアを始めると存在を恥じるようになった。

 必死に働いてもホームレスになってしまう。そんな今の日本を作り上げた一端に間違いなく父はいた。

 だけど血は捨てられない。どれほど否定してもついてくる。

 自らに嫌悪感を抱きながらも生きていくしかなかった。

 そしてそれは蒼真も同じだった。話を聞くと蒼真もあまり父親のことが好きじゃないらしい。

 どれだけ努力しても結果が出るのは環境のせいなのではと思ってしまうそうだ。

 常に下駄を履かせられた人生のせいで本当の自分が一体どれほどのものか分からない。

 同じ悩みを持つ人と会えたのは初めてだった。

 蒼真はいつも明るくて周りを楽しませる。だけどどこか寂しげで、そこに惹かれる自分がいた。

 彼を求める理由が分かった時、わたしは運命を感じた。

 この人しかいない。そう思った。

 だからホテルにも行ったし、処女も捧げた。

 彼のためならなんでもしたい。なんでもできる。心の底からそう思った。

 わたしはそれを何度も蒼真に伝えた。蒼真はいつも「ありがとう」と言ってくれたけど、本当のところは信用してもらえてなかった。

 どうしたら自分の気持ちを受け入れてくれるのか?

 それを蒼真に尋ねると少し考えて彼はこう答えた。

「例え僕が死んでも僕のために協力してくれるなら、僕はずっと君の側にいるよ」

 それがどういう意味か分かったのは彼が立て籠もりに殺されてからだった。

 犯人が捕まり、両親に連絡を取ろうと鞄の中にあるスマホを探していると見たことのない封筒が入っていた。

 そこには一通の手紙と鍵が入っていた。手紙にはこう書かれていた。

『今でも僕のことを愛してくれているならその鍵を使ってほしい』

 手紙には隣県の住所も添えられていた。

 刺されたわたしは病院に運ばれ、傷口を縫う手術をし、他にも検査を受けた。

 入院中、わたしは何度も彼からの手紙を読み返した。

 心にぽっかりと空いた穴。それを埋めるのは彼しかいない。

 蒼真を取り戻すためならなんでもできる。

 そう心に誓ったわたしは退院後、書かれていた住所に向かった。

 そこにあったのは古いアパートだった。鍵を回して中に入ると居間にあるテーブルの上にUSBメモリが置かれていた。

 わたしはそれを手に取るとすぐに家に戻った。

 USBメモリの中にはいくつかの映像ファイル。そしてまた手紙が入っていた。

 手紙にはファイルの使い方とこれからわたしがすべきことが事細かに書いてあった。まるでこうなることが全て分かっていたかのように今世間で起きていることも予想されていた。

 やっぱり蒼真はすごい。こんなに尊敬できる存在は他にいない。蒼真と少しでも長く一緒にいたい。ずっと側にいてほしい。

 蒼真を思うだけで私の心に幸せが満ちていった。

 そしてなによりそんな蒼真を殺した世の中が憎くて仕方がなかった。

 その後、わたしは内定が決まっていた有名商社に就職した。

 この商社は新人の内から積極的に世界を回り、経験を積んでいく。

 これは彼の計画には打って付けだった。

 前に内定を複数もらってどこに行くか悩んでいると彼に相談した時、この商社がいいと言っていたのはこんな状況を見越してなのかも知れない。

 研修を終えたわたしは出張先の現地で友達を作り、仲良くなった人に家に泊まってメールをしたいとパソコンを借りた。

 そのパソコンに彼に託された映像ファイルを仕込み、それが数ヶ月後に配信されるよう予約する。同時にウィルスにも感染させ、いつでもハッキングできる状況にすれば警察にはそちらを疑わせることができる。

 映像が配信されるころにはわたしは日本に帰っているから現地の警察も追い切れない。

 なにより数ヶ月前に数分だけパソコンを貸したことなど人はほとんど覚えてないだろう。

 左派系の政党を応援している人物を選べば疑いの目はそちらに向かい、わたしはノーマークになる。少なくとも日本の警察と情報を共有するまではしないはずだ。

 全て蒼真の計画通りだった。わたしはそれを粛々と実行に移した。

 わたしが彼のために生きれば生きるほど彼を感じることができた。彼はまだすぐそばで生きているみたいに思えた。

 蒼真は既に種は撒いたと手紙に書いていた。あとは水を上げ続ければいいだけとも。

 そして現実はその通りになってきている。

 わたしは今一ヶ月のニューヨーク出張を終え、日本に戻る飛行機に乗ると綺麗な青空を眺めている。

 離れ行く北米大陸を見つめながら大きくなったお腹を優しく撫でた。

 蒼真の意思はたしかに紡がれている。

 そしてどんなことがあってもわたしはこの子の父親を犯罪者にはしたくない。

 そのためにもできることは全てするつもりだ。

 例え蒼真が死んでもいつまでも彼の意思は残り続けた。

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