第7話
メンバー・石丸冬馬
自分は一体なんのために産まれてきたのだろうか?
私は今までの人生の中で何度かこの問いを自分自身にぶつけてきた。
貧しさを理由にいじめられた中学時代。進学を諦めた高校時代。上司にひたすら怒られた会社員時代。そして今。
苦しい時、心の片隅にはずっとこの問いがあった。
私の父親はクズだった。全うに働いていた時代もあったが、怪我で仕事を辞め、酒浸りになり、私と母さんに暴力を振るいだした。
母さんは中学生になった私と家を出て、女手一つで育ててくれた。
貧しかったが今思えば唯一と言っていいほど幸せだった。
これ以上苦労はさせらないと私は高校を卒業後に地元の企業に就職したが、そこはいわゆるブラック企業だった。
ノルマを達成できなければ人権がない。本当にそう思っているかのように上司は社員を責め立てる。
同期はほとんど辞めた。だが私は辞められなかった。転職しても変わらない気がしたし、なにより母さんが心配する。
だから我慢して働いた。その結果過労で倒れた。
それでも私はすぐに退院して職場に復帰した。
怖かった。自分も父親みたいになるんじゃないかと思ったから。
酒に溺れ、何かを憎んで生きるのが恐ろしかった。
なにより一緒に住んでいた母親にばかり働かせるのが申し訳なかった。
だから私は働き続けた。
青春なんてない。高校時代を含めれば二十年間。ひたすら働いた。
真面目に生きていればいつかは幸せになれると信じていたから。
だがそれは間違いだと気付いた。
母さんが事故で亡くなった。
事故と言ったがおそらく自殺だった。でなければ赤信号から飛び出してトラックに轢かれはしないだろう。
あとで分かったことだが、母さんには借金があった。
初めて聞いた時は嘘だと思った。母さんは真面目な人間だし、生活費が足りなくて多少借りることはあっても返せない額を借りるような人ではなかったから。
しかし母さんの借金は三百万もあった。
貸し手の銀行は私にこう告げた。母さんは投資をしていた、と。
そんなことをする人じゃない。なにかの間違いじゃないのかと思ったが、銀行は証明書を見せてきた。
母さんは貯金の二百万と銀行から受けた融資の三百万を不動産融資に注ぎ込んでいた。
もちろんそんな額ではまともな不動産は買えない。調べてみると母さんがしていたのは不動産の共同所有だった。
何人かで一つの不動産を借り、その家賃を人数で割った分の金額が毎月振り込まれる。
その額はある程度見込めるため、借り入れをしても低金利ならすぐにプラスになるというものだ。
だが実際母さんが買ったのは立地も設備も良くない物件だった。そんな物件では当然家賃収益は知れている。人が住まない期間も随分あったらしい。
だが家賃は振り込まれなくても融資を受ければ金利を払わなければならなくなる。
工場勤務の母さんはそれを自分の給料から払っていたが、何年経っても元本は減らず、それどころか投資をしていた仲介会社が倒産してしまった。
物件は共同保有のはずだったが、実際は仲介会社が買い上げたものを貸す形だったので抵当に取られ、母さんには借金だけが残った。
簡単に言えば騙されたのだ。
銀行は仲介会社が火の車なのを知っていて母さんに投資を勧めた。
母さんは銀行が言うなら大丈夫だろうと信じて貯金を崩し、借金まで背負って慣れない投資をした。
将来のために。おそらくそこには私のことも含まれていただろう。
優しい人だった。誰のことも信じられる良い人だった。
しかしそれが裏目に出た。
この問題はマスコミにも取り上げられ、話題になったが、銀行は内部調査をすると言うだけで大した責任は取らなかった。
担当していた部門の幹部が辞職したと言うが、その人は自分が十年働いても手に入らない退職金を手にしたと言う。
一方は信じて失い、一方は騙して得た。それなのに救われも罰せられもしない。あまりにも理不尽だった。
きっと母さんは生きることに疲れたのだろう。
二十五歳で私を産み、愛した男には殴られ、女手一つで子育てをした。その子供は給料が少なく、いつまで経っても実家から出られない。おまけになけなしの貯金も奪われ、借金まで背負った。
三百万くらいなら私がどうにかしたのに。母さんだってどうにかできたはずだ。
だけど、心が保たなかった。
気持ちはよく分かる。毎日ギリギリで生きているんだ。尊厳なんてあったもんじゃない。
少しでも気を抜けばそこにあるのは死だけだ。
気持ちの糸が切れれば死を選んでしまっても不思議じゃない。
だけどこれが本当に正しいことなのか?
こんなことが許されるのだろうか?
母さんを騙した銀行は潰れず、今も営業を続けている。関わった人達の多くはおそらくまだ働いているだろう。
法律は私らを助けず、それを有利に使える者だけが恩恵を得る。
こんな社会が本当に正しい社会なんだろうか?
憤りを感じつつも虚しくなる。
ずっとそんな社会だったじゃないか。弱者は弱者らしい振る舞いを求められ、それに応えるしかない社会だ。
学生時代もバイトの時も、会社員になってからも、いつだって私は力に支配されてきた。
今更それに怒っても無駄だ。私には力も知力もないのだから。
だけどそれなら私は一体なんのために産まれてきたんだ?
そう考えた時、私はなにもかもが無意味に思え、会社を辞めた。
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