第37話
本日刺繍の授業のために借りたという部屋は、
時々訪れるミシェル様とニコライ様が、よく使用している談話室だそうだ。
部屋の前にたどり着くと、二人はそっと繋いだ手をはなした。
離れた手の寂しさを紛らわすように、ニコライは勢いよくノックをする。
中から元気よくミシェルが顔を出す。
「お待ちしておりましたわ、マリーベルさま。
お兄様、待ちくたびれましたわ。今度はお兄様が席を外してくださる?」
「ちょっとミシェル……!っておい!
マリーベルさま、そ、それでは後ほど」
ミシェルは開口一番にそう告げると、ニコライの背中を押して部屋から半ば強引に追い出した。
「マリーベルさま、どうぞ、そちらにおかけくださいませ。」
私は呆気にとられたものの、気を持ち直してソファーへとふわりと腰をおろした。
「私ね、紅茶を淹れるのも得意ですのよ。熱いのでお気をつけて、さぁ、どうぞ、マリーベル様」
ミシェルは、慣れた手つきで、紅茶を注ぐ。
久々に紅茶を飲む気がするわ。
とてもいい香り。
紅茶を淹れ終えると、ミシェルはソファーへと腰をおろす。
紅茶を飲む仕草も綺麗。
思わず目が惹きつけられて、見惚れてしまうわ。
ミシェルは薄紫のドレスを身に纏っている。その首元には、レースと華奢なアクセサリーがあしらわれている。ハーフアップにした髪型と、淡い色合いの装いがあいまって、本人の美しさを一層引き立てている。
本当に、妖精のようだわ。
「こうして、お話するのは初めてですわね。
お噂は、かねがね伺っておりますわ」
「……ミシェルさま。
噂といいますのは……あく、悪女という噂のことでしょうか」
悪女と口に出すことが憚られて、口籠る。
もしかして、そのことでお叱りを受けるのかしら。
社交の場で交流をしないから、この機会に?
何か言いたいことがあるのかもしれないわ。
胃がギュッと締め付けられるのを感じながら、マリーベルはミシェルの返事を待った。
「まぁ、マリーベルさま、違いますわ。
どうか、そんなに緊張なさらないでくださいな。
私が伺った噂、と言いますのはアーサーさまからですわ。」
「え⁉︎ アーサーさまから……?」
極力考えないように、頭の隅に置いていた現実を思い出す。
常に気に病んでいたことなのに、ミシェル様に言われるまであまり頭をよぎらなかった。
どうしてかしら。
最近はニコライ様といることが多いから。
きっと神殿での生活が、心に安らぎを与えてくれているのね。
眉間にシワを寄せたアーサー様の顔が思い浮かぶ。
常に怯えて泣いているどうしようもない悪女、とでもおっしゃっているのかしら。
「うふふ、マリーベルさまは、素直なお方ですのね、お顔に現れてましてよ。
マリーベル様は、何か勘違いされていますわ。
どうか、ご安心なさって。
アーサーさまは、マリーベルさましか眼中にありませんわ。
ご自分の中に閉じ込めてしまいたい、と言うほどに。ふふふ、それは、別の意味でちょっと心配ですわよね」
「……? アーサーさまが私のことを?」
ミシェル様は、何か誤解されてるのではないかしら。
何もできないダメな私を、矯正することに集中されているだけだと思うのだけど。
かなり厳しいお顔をされていましたし、それほど私にイラついているのでしょう。
顔に泥を塗るなともおっしゃってましたし……
「まぁ、このお話は、また後ほど。本日は、お兄様より刺繍をお願いされておりますの。
誰かに……あぁ、そうでしたわね。こちらでは全て自分でしなければなりませんものね。」
ミシェルは立ち上がると、少し離れたテーブルにある裁縫道具を一式持って戻る。
「マリーベル様、良ければこちらをお使いくださいませ。
まずは、簡単なモチーフからはじめましょうか。」
ミシェルは、基本である針への糸の通し方からゆっくり丁寧にマリーベルへと指導を始めた。
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