第9夜④
今、自分は、寛高から『愛している』と言われたらしい。
現実をじわじわと認識して、我に返った沙那の口からは言葉がまろび出た。
「な……んでっ!? 紗子がいるのにっ!」
「最初に出てくるのがそれか? 紗子とは、恋愛関係ではないと言っただろう」
呆れたように寛高は言うけれど、こちらの身にもなってほしい。
思い返してみれば、確かに彼は言っていた。『紗子とは幼馴染のようなものだ』とか何とか。
だが、年頃の男女が頻繁に同衾していて、その間に何も無いわけがないだろう。寝物語に世間話をするにしたって、話題の方が続かずに先に尽きるはずだ。それでもまだ『純粋に話だけをしていた』と言い張るなら、いったい何を話していたのか、教えてほしいものである。
それに、何よりも、沙那が『寛高は紗子のことを本当に大切に思っているのだ』と確信したのは――。
「だってっ、あなたは、紗子のことを熱心に探していたじゃないっ! あなたは、紗子には自分の他に想い人がいるって知っていたのに、それでも探すくらい、諦めきれないくらい、紗子のことが好きなんだと思って……」
「心を許した友人を大切にすることがおかしいか? 沙那だって、従妹のために、宮中に潜り込んで、大立ち回りを演じて、大変なことばかりしているじゃないか。普通は、『ただの従妹』のためだけに、そこまでできないと思うがな」
「そう……かもしれないけれど」
それを言われると、沙那の行動の方が異常なように思えてくる。
それでも寛高と紗子との間の奇妙なほどの仲の良さについては、まだ納得できないところもあるけれど……と首を捻っていた沙那は、自分の名が呼ばれるのを聞いた。
「どうした、沙那?」
「そういえば、なんで、あなたが、私の名前を……?」
女人の名前は、親兄弟の他には、夫になる相手にしか教えないものだ。
当然ながら、沙那が寛高に対して自分の名を教えたことはない。彼だって沙那のことを『宰相の君』と呼んでいたのに、どうしてその名を呼ぶのか。いつの間に名前を知られていたのだろう。
問いただすように、じっと怪訝な目を向けると、寛高は端的に教えてくれた。
「紗子から聞いて知った。『沙那という名のやんちゃな従姉がいる』と。知ったのは何年前だったか……紗子と出会ってからそれほど時間は経っていなかったと思うが」
「もうっ、あの子ったら! どうして、その程度の付き合いの人に、勝手に教えちゃうのよ!」
「……『その程度の付き合いの人』で悪かったな。名を知った責任をとって、沙那の夫になるとしよう」
「待って!」
迫る彼を押しのけるために彼の胸に突っ張った手を、逆に取られて、ぐいと引き寄せられた。彼の声が吐息とともに、至近距離から、沙那の耳孔に吹き込まれる。
「沙那、俺はちゃんと言ったぞ」
「ひっ!」
「俺は、『沙那が好きだから結婚したい』と言った。ここまで言えば、俺が『どうして沙那の言葉をもう一度聞きたがったか』も分かると思うが」
もしも、彼が言うことが本当だとしたら。
彼が、沙那のことを好いていて、結婚したいとまで思ってくれているのなら。
沙那の『寛高を取らないで』という醜い独占欲の表れた言葉を聞きたがる理由は、沙那には一つしか思い浮かばなかった。
「……好きです。私は、あなたのことが」
「ああ」
私は、危機を助けてくれたあなたのことが好き。
私の話を聞いてくれたあなたのことが好き。
他人のために慮り、悲しみ、怒ってくれるあなたのことが好き。
だからこそ、あなたの好きなところが全て『紗子を探し出すため』に向けられていると知ったとき、寂しく感じてしまった。その想いが自分に向けられたら、と不相応な夢を見てしまった。
「あなたが、紗子の夫でも、好きになった。紗子は、私よりもずっと女らしいし、あの子が妃であった方が、あなたは幸せでいられると思う。私なんかが横恋慕しても、迷惑なだけだってことも分かっています。それでも、私は、あなたを誰にも譲りたくないと思ってしまいました」
沙那が『ごめんなさい』と頭を下げると、微かな笑い声が聞こえた。
くくっと喉の奥を鳴らすような、心の底から愉快そうな響きだ。
「何を言っているんだ?」
「え?」
自分は何か変なことを言っただろうかと、寛高を見返すと、彼は、この時ばかりは、にやにやと意地の悪さの滲む笑みを浮かべていた。
「俺は、紗子から『やんちゃな従姉』の話を聞いて、沙那のことが気になっていたんだぞ? まあ、実物は、噂以上のじゃじゃ馬だったがな」
「それは悪うございましたねっ!」
「いや? 噂以上の気風の良さに惚れ直した、と言ったんだが」
「へ……」
さらりと『惚れ直した』なんて言われたものだから。
まず、彼から『惚れられていた』こと自体に実感が湧かなくて、沙那は聞き慣れない言葉を素直に受け取ることもできなかった。かちんこちんに固まって立ちすくむ沙那の顔の近くに、また、彼の顔が近づいてくる。
「っ、待っ!」
「待たない」
抗議の言葉は、彼に堰き止められてしまった。
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