第7夜②
「なぜ、息子の名前を……」
「説明する必要がある?」
「っ、申し訳ございません!」
沙那のはったり混じりの取りつく島もない態度を見て、上手く『全てを知られている』と誤解したらしく、左近は床に額づき、自身の『罪』を告白した。
「私が、香合わせの香を盗み、殿舎の床下に、女御さまを呪詛する文箱を仕込みました。どちらも、右大臣さまから命じられました」
呪詛の件は、沙那は寛高以外の誰にも話していない。
文箱の中身を見せていないから、文箱を見つけ出した雑色ですら、中身が呪詛だったという確信は持てていないだろう。その中身を左近が知っていること自体が、左近が呪詛に関わっていることを示している。
「どうして、そんなことをしたの?」
「……お恥ずかしながら、息子の良直が、京の民に暴力を振るったところを、検非違使に捕らえられまして。見逃してほしければ、左大臣さまを裏切るようにと。罪人として名を残されては、息子の将来も、私たち家族の出世も、全て希望が無くなりますから。保身のためです」
「そう……」
それは、沙那が予想したとおりの答えで、驚きは無い。
『保身のため』という身勝手な動機を述べた左近は恐縮しきっていて、後は煮るなり焼くなり好きにしてくれと、本心から反省の弁を述べて沙汰を待っている――ように見える。
「反省しているの?」
「ええ、ええ、もちろんでございます!」
「それなら、私に協力してくれるわよね?」
「もちろん。できることなら何でも……!」
「――じゃあ、どうして嘘をつくの」
「は……」
ぴしゃりと言い放つと、左近はぽかんと口を開けていた。先程の『答え』で騙しきれると踏んで、それを前提とした綿密な計画を練っていたのだろう。
「私は全てを知っているの。この期に及んで嘘でごまかせるなんて、思うんじゃないわ」
「っ、嘘など吐いておりませんっ!」
「それじゃあ聞くけれど。あなたの息子は、左大臣家の家司だったけれど、今はその役職から外されたそうね」
調べた通りの事実を淡々と告げれば、左近は身体を強張らせた。まさか、そこまで知られているとは思っていなかったのだろう。
「備後権介の職は、立派に勤めてきたそうじゃない。評判も上々で。これから左大臣さまの威を借りて、もっと良い職にもつけてもらえるはずだったのに、残念ね」
「いえ……息子には、元々、分不相応な役目でしたから……」
「若くして家司に任ぜられるくらい、優秀だと左大臣さまにも評価されていたのに? ねえ、どうして、いきなり役職を外されてしまったのかしら」
「それはっ、今回のことと関係ないことでっ」
「あら。何でも協力すると言ったじゃない」
自分の言葉を違えるの? そんなことをされると、あなたの言葉を全部疑わないといけなくなるけれど。――言外に脅した沙那の目の前で、左近がごくりと唾を呑み込んだ。
「解任されたのは、息子が、左大臣さまの不興を買ったからで」
「あら。検非違使に捕まった件も然り、あなたの息子は、短い期間に不祥事を二回もやらかしたのね?」
「違……っ」
「それじゃあ、家司を辞めさせられても仕方がないわね」
聞き分けのない子どもに言い聞かせるように、意地悪く嘲るように。
沙那は、紅を引いた唇を、意識的に引き上げた。
「――あなたの息子って、よっぽどお馬鹿さんで、悪い人なのね」
「そんなことっ! 息子は、お天道さまに顔向けできないことなんて、何ひとつしておりませんっ!」
悲鳴のような叫びは、子を思う母の心が軋む音だったのだろう。
理不尽な悪口を浴びせられかけた左近が堪らず抗議した声を、沙那はしっかりと聞き取っていた。
「悪いことをしていないのなら、息子さんは何をしたの?」
「っ……」
「息子さんは、左大臣家の家司から解任されている。何か、左大臣さまの機嫌を損なうことをしたことは事実よね。問題は『左大臣の機嫌を損なうこと』が何だったのか。検非違使に捕まえられた不祥事のことだとしたら、それって、左大臣さまも既に『大江良直が罪を犯した』ことを知っているってことでしょう?」
右大臣派が左近を脅すためには『良直が罪人であることを他の誰にも知らせない』という条件を出さなければ、取引が成立しない。
いずれにしても良直が罰される結果が変えられないのなら、左近があえて左大臣を裏切る動機は無くなるからだ。
「そもそも、左大臣さまが、息子さんを家司からは解任しながら、まだ左大臣家に留め置いていることも、おかしいわ。気に食わなくて辞めさせたのに、遠ざけたいわけではないようで」
その答えには見当がついている。そして、そのことに左近も気づいた頃だろう。
震える彼女の前で、沙那は一語一語を区切って告げた。
「次は無いわよ。あなたの息子は、何をしたの?」
震える唇が、ゆっくりと開くのを待った。
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