第5夜①

 主上は承香殿の女御を再び召してから、一夜たりとも傍から離すことはない――誰の目にも明らかな寵愛の復活に、宮中人は『左大臣派の勝利が確定したか』と噂した。


「羨ましいご寵愛ですわねえ」


 当の承香殿の内部でも、今後、主人が寵愛を失って没落することはないと考えたからだろう、女房たちは明るく賑やかだ。

 左近たち事情を知る古参の女房の顔には、喜びよりも安堵の色が濃いようだが、事態を歓迎していることには違いがなかった。

 もちろん、実際の『お召し』は、彼女たちが想像するものとは異なっていたわけだが。


「見て! 雛子から文が届いたの!」

「ひなこ……って、梅壺の女御からっ!?」


 二人きりになる寝所は、密談に向いている。

 沙那がその日に届いたばかりの文を渡すと、寛高はぎょっとして目を見開いていた。


「どうやって仲良くなったんだ……?」

「さあ? 私は何もしていないけれど、やけに感謝してくれているみたいなの」


 気づけば『お姉さま』と呼ばれていたりと、懐かれているようだが、心当たりはない。

 気恥ずかしいが、好意を向けられて悪いことはないからと、なあなあに受け入れている――と言えば、理解できないものを見る顔をされた。何故なのか。


「香合わせの時、こちらが用意した香を、梅壺に先に掘り起こされて盗まれたのだけれどね」

「ああ、あれはそういうことだったのか。俺が渡した香を使ったと聞いたから、何か不測の事態が起きたとは思っていたが」

「ちゃんと御礼を言えていなかったわね。あらためて、あなたのおかげで助かったわ。……でも、秘伝の配合の香を渡してくるのは、止めてちょうだい。私も説明ができなくて困ったの、冷や汗をかきながら知ったかぶりしていたわ」

「はは」


 笑いごとではない。彼の説明不足を責めているのである。沙那はじとりと彼を睨みつけた。


「それに、あんな由来の物を場に出されたら、出どころが主上だって喧伝しているようなもの……まさか、それが分かっていて差し入れたの?」

「もちろん。俺は承香殿に肩入れするつもりだと言っただろう?」


 確かに言っていた。だからこそ、当日、彼が梅壺だけ訪れたことに不満を抱いたのだけれど。後から考えてみれば、『寛高』として沙那と面識がある彼が急に現れて、沙那が予想外に取り乱すことを案じたのだろう。

 彼にできる最大限の『肩入れ』が香の差し入れだったのだ。


(駄目だ、嬉しい。……もう、私ったら何を考えているの!)


 そこまでの協力をしてくれたのは、彼が愛する紗子の居場所を守るためだったと分かっているけれど、胸がじわりと熱くなる。

 まるで『私のため』に動いてくれたみたいだと勘違いしてしまいそうだ。

 沙那は都合のいい考えで茹だりかけた頭を、ぶんぶんと振って冷ました。


「話を戻すとっ、雛子は、あの香をどうやって手に入れたか、知らなかったらしいの」

「……同情を買うために嘘をついているんじゃないか?」


 寛高の疑念ももっともだ。

『自分は事情を知らされていなかったから減刑してほしい』という主張だと思うのが普通だけれど、雛子の文は異なっていた。


「『自分は悪くない』というのではなくて、『承香殿の用意したものを盗んできたことは分かっていた。でも、女房を買収して香を調合する前の材料を横流しさせたんだと思っていた。完成品を盗んだのは知らなかった』って書いていたのよ」

「言われてみれば確かに……直前に掘り起こすのは、承香殿に代えの物を用意する時間を与えない意味では有効だが、梅壺側も危ない橋を渡ることになる。もし直前に香を奪うことに失敗したら、梅壺の負けが確実になるのに、その間、何の手立てもしないなんて楽観的すぎる」


 広大な庭のどこに香壺が埋められているかも分からない状態で、心当たりを全て掘り返すことは夜を徹しても不可能だ。

 買収して埋めた場所は分かったとして、香壺を予定より早めに掘り出すことになっていたら、入手できないかもしれない。

 その危険性を看過することは、賢い策とは思えなかった。


「あくまでも、私の想像だけれど……もしも、対策を取らないことに理由があるとしたら。香を奪った犯人は、承香殿の香壺を埋めてある場所もいつ掘り返すかも、分かっていたんじゃないかしら。だから、対策なんてしなくても確実に入手できる自信があった」


 それが意味することは、香合わせの手配を任されて、極秘事項を知らされていた者の中に、梅壺に与した裏切り者がいたという事実だ。


「承香殿の上位の女房の中に、内通者がいる」

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