第4夜③

「御文をお預かりいたしました」


 厳めしい顔をして、帝からの文を手渡してきた左近は、すでに内容に目を通しているのだろう。


「――『あなたと女御の話をしたい』と」


 耳で聞いた通りの言葉がそこに綴られていることを確認して、沙那は思案した。


(ついに、頭を下げて詫びる用意ができたってわけね)


 紗子のこと。雛子のこと。

 女御への接し方が適切ではなかったと詫びるつもりなのだろうと考えて、納得したのだ。


「……ねえ、何なの、この物々しい準備は?」


 ところが、事態は異なる様相を呈してきた。

 着せつけられた艶やかな五衣唐衣裳は、確かに正装ではあるものの、流石にかしこまりすぎではないだろうか。女御二人が互いの財力を見せつけ合って張り合った香合わせの時だって、衣装は小袿姿で足りたのに。

 沙那が疑問を口にすると、左近はこともなげに告げた。


「当然でしょう、主上の寵を賜るのですから、不備があっては恥ずかしい思いをなさるのは、あなたですよ」

「はぁっ!? 何を言ってるのっ!? 主上は『女御の話をしたい』と仰ったでしょう!?」


 これはただの非公式の訪問のはずだ。それがどうして、『寵愛』だの何だのと帝に取り入る話になるのか。


「私は、ただ、あの子の話をするつもりだったの!」

「夜に、清涼殿で、お話を?」


 一語一語を区切り『うぶですわね』と嘲笑する左近を見ると、自分の考えの方が間違っているのかと思えてくる。

 沙那は答えを探すようにうろうろと視線を彷徨わせながら、必死に言い募った。


「だって……主上は、女御さまのことを一途に愛していらっしゃるのよ?」

「ええ。だからこそ、女御さまのお身内に惹かれていらっしゃるのでしょう」

「何それ……」


 意味が分からない。『愛している相手と似た女に惹かれる』というのは『愛』ではなくて、『浮気心』に過ぎないと思うのだけれど。


「私と紗子は、別の人間なのよ。私のことを気にかけるのが『紗子に似てるから』って理由なら、そんなのっ、無礼千万だわっ!」


 沙那と紗子は違う。

 沙那には紗子ほどの覚悟は無いし、彼女の覚悟を支えたであろう『帝への愛情』も無い。

 紗子からそれほどの愛を向けられておきながら、当の帝は『顔が似ていれば他の女でも構わない』と思っているとしたら、紗子があまりに可哀想ではないか。

 責め立てる沙那に、左近はじろりと視線を送ってきた。


「では、あなたはお召しを断って、紗子さまをさらに窮地に追い込むおつもりですか?」

「え?」

「主上は、表向きには『承香殿の女御』をお召しになられたのです。それを断ったとなれば、世間の非難は、全て『女御』に向くでしょう」


 なんという強情な女だろう、と。皇子を産んでもいないのに、帝の寵愛を盾に居丈高な態度を取る悪女だ、と紗子の名前が貶められる。


 ――それでは、あの子が帰る場所を守れない。


「……準備を、続けてください」


 覚悟を決めた沙那は、ぎゅっと目を瞑った。


「来たか。待っていたよ、姫」


 その夜、帝の座す御殿へと向かった沙那に、几帳越しに穏やかな声がかけられた。

 沙那とてなかなかに無礼な態度を取っていた自覚はあるが、帝が怒るどころか不機嫌な態度すら見せないところを見ると、相当に我慢強いか優しい人なのは間違いない。

 そういうところに紗子は惹かれたのかもしれないと思いつつ、単刀直入に切り込んだ。


「このようなお戯れは金輪際お止めください」

「何故?」


 問いかける声には、優しいだけではなくて揶揄うような色が混じった。不思議と、どこかで聞いた響きがある。


「夫が妻を呼ぶことは自然なことだろう?」

「っ、主上の妃は、承香殿の女御さまでしょうっ!」

「今は、姫が、承香殿の女御だろう?」

「恐れながら、女御さまと私は全く違います。女御さまは、主上をお慕いしていたようですが、私には、主上の良さが全く分かりませんっ!」

「ぶっ!」


 空惚けた様子にいきり立つ沙那は、吹き出した帝の様子には気づかずに続けた。


「紗子に対しては不誠実ですし、梅壺の女御さまには非情すぎますっ! そんな御方のこと、私だったら、絶対に好きになりませんっ!」

「そこまで言うか?」

「私が好きになるとしたらっ、私だけを愛してくれて、優しくて、思いやりがあって……」


 母を愛する父のような人がいいのだ、と並べ立てたつもりだったのに、脳裏に過ったのは、別の人物だった。


(……今、どうして、寛高さまの顔を思い出したの?)


 確かに寛高は、沙那に協力してくれるし、雛子の処遇への配慮も行き届いていた――『優しい』と言えるのかもしれない。

 けれど、沙那は、それ以外の彼を何も知らないのに。


「……分かった。お前の気持ちはよく分かったから、トドメを刺すのはやめてくれ」


 答えに辿り着く前に、ちょうど几帳の向こうから現れた人物を見て、目を瞠る。


「寛高さま? どうしてここに?」


 寛いだ直衣姿は、蔵人の仕事のために帝の傍に侍っていたとも思えない。何より、いくら忠実な臣下だとしても、寝所まで付き添いはしないだろう。

 この時間に、この場所にいる人物がいるとしたら、一人だけだ。


「もしかして……寛高さまが、主上なのですか?」

「ああ、そうだ」


 おそるおそる尋ねた沙那に、彼はあっさりと肯定を返した。

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