第二部—透明な歌声にそよぐ百合の花— 第二章①

病院から帰ると、屋敷の前に丁度お客様が二人見えていた。


「萌葱姉様‼」


「愛牙‼」


それは意外な人物の組み合わせだった。面識の無い筈の二人が揃って連火家に訪れたから、白彩と煌龍はとても驚いた。


「何故、おまえたち二人がここに居る?」


「あら、私たちが一緒にこちらの屋敷に来るのは可笑しい?」


「可笑しくない訳がないだろう。おまえたち二人に面識はなかった筈だ」


赤と緑の視線が交差する中、左眼を眼帯で覆い隠した愛牙が「ちょっと、同じ用件があってな。俺は書類を届けにきたのもあるけど」と書類が入っているのであろう封筒を片手におどける。


軽佻浮薄ながらその笑みは姉の佳鳴絵とよく似ていると思いながらも、白彩は苦手意識のある従姉を前に緊張感を覚える。


萌葱とは煌龍の婚約者として支乃森邸を出て以来の再会。一緒の屋敷に暮らしていたときは、意地悪なことを言われ続けていた。特に瞳の白い色を揶揄う。


彼女からしても両親の不仲の原因である自身を好んではいないだろうに。



―わたくしとは会いたくない筈なのに……わざわざ会いに来るなんて。—



一抹の不安を抱きつつも、いつまでも屋敷の前で話す訳にもいかない。萌葱と愛牙を屋敷の客間へ招いた。


連火家の客室は本館である日本家屋の方にある。洋館も有する屋敷だが、基本そちらは白彩の住居としてしか利用されない。


眼の前に用意された水羊羹を楊枝で切り分けながら萌葱は舌鼓を打つ。


「流石は虹都で有名な『百花ひゃっか』の水羊羹。瑞々しくて、夏の食欲が無いときでも食べやすい」



―……姉様もこんな風に、何かを食べて美味しいと笑うことがあるのね。—



幸せそうに菓子をいただく姿は、普段意地悪で何を考えているのかわからない従姉からはあまり想像しなかった光景だった。あまりに人間味を帯びた姿に白彩は呆気に取られ、萌葱のことを凝視する。


「そんなに見つめてきて、どうかした?あんまり仲良くなかった従姉妹がお菓子食べて喜んでいるのが面白く無いの?」


「そ、そんなこと思ってません……」


「冗談よ。冗談」


そう茶化す萌葱に、やっぱり彼女は意地の悪い人だと認識する白彩は視線を逸らした。


だが、「思ったよりも、二人は仲が良いんだな」と的外れな発言をする愛牙。


「えー?アンタは……稲妻……愛牙だっけ?私たちの会話聞いて、何処にそう思う要素があるの?」


こればかりは白彩も萌葱と同様の意見だ。


「そのことよりも、何故愛牙と萌葱殿が我が連火家に来たんだ?」


「あー、それねぇ。この間、支乃森の屋敷で母が起こした事件の話しに来たの。ついでに、白彩と煌龍殿の結納の件もね」


愛牙と共に萌葱が連火家へ訪問したのは支乃森家の処遇を伝えに来たからだった。


数週間前、白彩の存在を妬んだ支乃森草一郎の妻・支乃森柢根ねねにより誘拐され、危害を加えられた。助けに来た煌龍もその際に負傷しており、本日病院で診察を受けたのも傷の経過観察の為。


まあ、実際に煌龍に怪我を負わせたのは邪神であり、柢根もその邪神に操られていた結果起こした事件だった。故に、彼女延いては支乃森家に大きな処罰は無いらしい。


それを聞いたとき、白彩はとても安心した。



―わたくしや母様を虐げてきた家とはいえ、わたくしたちが育った家。没落するようなことはあまり起きてほしくはないわ。—


―何より、鸚緑おうりょくにはこれ以上の苦労をかけさせたくない。—



鸚緑は、白彩の従弟であり、萌葱の弟。つまりは次期支乃森家当主だ。ただでさえ、次期当主としての重圧があるのに、白彩ばかりに目を向ける父親から無視され、母親からは教育虐待のようなものを受けてきた。


そのことに白彩は責任を感じている。何より、自身を慕う弟のような存在の今後を危惧していた。


「まず、母上のことだが――」


自分を虐げてきた伯母の顔を思い浮べ、白彩は固唾を呑む。緊張で思わず握る拳は暖かい炎の温もりに包み込まれた。



―煌龍様……—



安心させるように白彩の手を握る煌龍。その瞳は強く、頼りがいのある男らしいものだった。



―そばには俺が居る。安心しろ。—



目線だけだが、婚約者である煌龍の思いやりは白彩にちゃんと届いた。


彼女は正面を向いて、萌葱の言葉に耳を傾けた。


「彼女も一応は邪神の心を乗っ取られた被害者。全身火傷の治療の兼ねて、今は邪神討伐部隊の監視下で入院させているけど、もう眼は見えない上に色彩眼も機能しないから、釈放されたら支乃森家の地方の別邸で療養させるよ」


「火傷な上に、眼が見えないって……。お身体の方は大丈夫なのですか?」


「怪我させられた人のことを心配するなんて、お人好しだね、アンタは。もう少ししたら連火家の女として敵対関係にある家に狙われる可能性だってあるのに、そんなので大丈夫なの?」


柢根の容態を尋ねただけなのに嫌味を言われ、白彩は表情を曇らせる。昔から、このような意地悪を吹き込まれてきた。


だが、より強く煌龍に手を握られて顔を上げた。


「優しいのはおまえの長所の一つだ。誇っていい」


お人好しだと嘲笑するのではなく、優しくて素敵な一面だと煌龍は褒めた。



―何だが、煌龍様にそう言われただけなのに……自分の存在が少しだけ良いものに思えてくる……—



自身を肯定してくれる人がいるだけで、根拠の無い自身の欠片のようなものが白彩の中で垣間見えた。


だが、煌龍は萌葱には凍った視線を向ける。


「白彩を脅すような真似はやめて、話しを続けろ」


「はいはい。じゃあ、続きを愛牙に任せるよ」


「俺に丸投げ⁉出会ったばかりで、扱き使うなぁ。しかも、いきなり呼び捨てって……」


文句を垂れながらも、愛牙は病院の根拠の様子を詳細に述べる。


「邪神が色彩眼に寄生したことによる昏天黒地こんてんこくち化で、支乃森柢根の眼は完全に見えなくなったってさ。もう神通力も使えないというのが医者の見解。火傷の方も酷くて、まともに動けないから、これから介護生活を余儀無くされるだろうね」


「そうですか……」


伯母の容態があまりに芳しく無いことを聞いた白彩は、声を沈ませた。



―わたくしがいなければ、伯母様もこんなことにはならなかったのでしょうか……—



「白彩」


火傷に関しては、煌龍に責任がある。あの場では致し方が無かったが、自身が原因で白彩が落ち込んでいるのならば看過できない。


「二人が気にすることはないよ。どうせ、となった者の末路はあんなものだから」


萌葱が言う『昏天黒地』とは、色彩眼に邪神が寄生し、宿主である人間を思い通りに操ることだが、邪な心を持つ者に寄生することが多い。


柢根も普段から、白彩や彼女の母であった翡翠を恨んでいた。だが、彼女がそのように心を病んだのは、夫であった支乃森草一郎が異母妹翡翠を女として愛執し、娘の白彩を彼女の代わりとし続けたからだ。


伯母の人生を破滅させた自身の存在を責め、芽生えかけた自尊心は一刻にも満たない間に消え失せる。


「まあ、あの女には相応しい最後だよ」


しかし、娘である筈の萌葱はいい気味だと言わんばかりに笑っていた。


親子仲が良好では無かったとはいえ、母親の不幸を喜ぶ萌葱に怪訝する白彩。煌龍も同様に更に睨みを利かせる。


だが、愛牙は不穏な空気に構わず報告を続けた。


「昏天黒地化した支乃森柢根を治療もせずに利用して、支乃森家を陥落させようと企てた分家の蔦蔓つたかずら家には今度重い処罰が下される予定だって」


「あぁ、蔦蔓家の殆どの重鎮は身柄を拘束され、連火家にも多大な賠償金を支払いを要求した」


蔦蔓家の処遇について、煌龍も既に把握していたらしい。


「新当主も支乃森鸚緑が家を継ぐまで、私が家を管理することを了承したよ」


まだ幼い鸚緑が、支乃森家を継ぐのにはあと数年はかかるだろう。それまでの間は支乃森萌葱が当主代理を務めるそうだ。


「というわけで、当主代理として結納の儀の日程の日程を付けに来た」


「本来なら、俺はこの件には関係無いけど、長官が代わりに話しを聞いて来いって」


どうやら、結納の話しを忙しい自分の代わりに聞いて、屯所に戻り次第報告するよう連火炎虎に言われて来たらしい。



―相変わらず、家族に興味が無いんだな……—



少しばかり煌龍は虚しい気持ちになった。



―わかってはいるが、アイツはそういう男だ。今更、期待するつもりなんてない……—


―だが、結納の儀は必ず執り行えと言ったのはアイツだろうが‼—



実のところ、煌龍は結納の儀はせず、白彩との婚約は書面で済ませる気でいた。


白彩を虐げてきた人間と彼女を引き合わせる場を設けたくはなかったのと、自身も父親と直面するのを避けたかったから。しかし、炎虎から釘を刺された為、しぶしぶ執り行うこととなった。


だが、直ぐには行えない。何故なら……


「日取りは今しばらく待ってほしい」


「まだ、煌龍は怪我の療養中だし、もう少ししたら大きな任務があるんだよね」


愛牙の言う大きな任務とは、虹帝こうていの守り刀である紙面衆しめんしゅうが遂行する神事『邪神祓い』の警護だ。


虹都から強い邪神を追い散らすことを目的とした儀式。紙面衆が主体となって行うものの、彼らが儀式を成功させる為に、邪神討伐部隊や幾つかの神通力の名家も加勢する。


「今日、俺がここに来た一番の理由はその件の書類を届けにね。こんな重要書類、一般の隊員に預けられないから」


普段、浅薄とした愛牙にも邪神討伐部隊の一員としての使命感はあるようだ。書類を煌龍に受け渡すとき頬を緩ませながらも、稲妻の瞳はは雷鳴を響かせるように強い光を放っている。それは、軽薄な彼からは想像もできない誠実さの表れかもしれない。


「邪神祓いの儀なら、私も支乃森家代表として出向くよう第八部隊から要請があったから、当日会うかもな」


邪神討伐部隊は全十五部隊に別れており、第一から第七は各地の都市や地域に在中していて、管轄の地域にて任務を遂行する。第八以降は、他部隊の援護や支援、特定の邪神を捜査し全国を渡り歩く部隊なども存在する。


第八部隊は他部隊の援護を主体としており、有事の際は他部隊に隊員を派遣することも珍しくない。


「私は緑の神通力の中でも蔦などの植物を顕現させ操作することを得意としているんだよね。蔦みたいな細長い植物は戦闘よりも援護などに適しているから、偶に第八から助力を頼まれるんだ」


指先から小さな蔦を顕現させながらそう語る萌葱は、「というわけで、邪神祓いの儀のときはよろしく頼むよ。第一部隊」となどと薄ら笑いを浮かべた。その笑みは、異国で人々の髪に魔力と言う神力とは別の力を与えた悪魔のようだった。






要件を終えた二人を見送る白彩と煌龍。


「来週には、職場に復帰する。それまでの間は、屯所を頼んだ」


「おう!任せておけ!」


今暫く、邪神討伐第一部隊の隊長代理を愛牙に託す煌龍。戦闘面に於いて愛牙以上に部隊を任せられる人材はいないのだが……


「あっ!そうそう、確かめたいことがあったんだ!」


何を思ったのか、突如愛牙は左眼の眼帯を取り外した。三人共怪訝な表情をするが、萌葱だけは頬を赤らめ表情を崩した。


普段の彼女は、常に他者を嘲笑うかのようにほくそ笑み、掴み処が無く何を考えているのか理解できないような女性だ。決して、人に付け入る隙を与えない。


だが、愛牙の左眼から発せられる桃宮の神通力は、すべての女性を虜にしてしまう。神通力をかける人間によって、効果が表れるのに個人差はあれど……


「やっぱり……。きみにはまったく利かないんだ」


この場に居るもう一人の女性である白彩には何の影響を及ぼしていなかった。


愛牙の桃色の色彩眼や周囲の状況を見て、実際に恋の神通力の効果を受けた萌葱も愛牙が何を試したのか理解できた。


「はぁ……。話しには聞いていたけど、実際に受けてみると厄介な代物だな」


未だに愛牙の左眼に魅了されていながらも、冷静に物事を見極める萌葱は流石若いながら支乃森家を管理する女主人。


「あまり、それを使うなといつも言っているだろ」


「はいはい」


「確認はできたから、今仕舞うよ」と愛牙は桃色の瞳を隠した。


唯一状況を理解していない白彩に三人はそれぞれ思うところがあったが、今この場に口にすることではなかった。


「それじゃあ、私は支乃森家に帰るけど。その前に、アンタにこれ預けるから」


本日、萌葱は風呂敷を被せた大きな荷物を持っていた。それを白彩に手渡すと「ピィー」、中から鳥の鳴き声が聞こえた。風呂敷を降ろすと中身は鳥籠で、白色の小さな鳥が入ってきた日の光に驚いていた。


白羽はくう‼」


「白い雀とは珍しいな」


白羽は支乃森家の近くに生息していた先天的に全身の体毛が白い雀。その姿は可愛らしくも、珍しいが故に天敵から狙われやすく、鸚緑の保護下で生きていた。


「鸚緑がしばらく支乃森家を留守にするから、コイツ世話は白彩がしときな」


「えっ……。鸚緑が支乃森家を留守にするって――」


「詳しいことはこれ読みな。アイツからの手紙と今後の連絡先」


差し出された手紙を白彩は恐る恐る受け取る。そのまま手を引こうとした瞬間、萌葱に手首を掴まれた。


白彩は驚き体を強張らせたが……


「白彩‼」


煌龍が庇うように萌葱から白彩を引き離す。


「っ~~⁉」


先程は萌葱に手首を触れられたが、驚きはしたもののそれ以上の感情は起き上がらなかった。しかし、煌龍に身体を引かれた際は、胸の鼓動が加速し頬も熱い。


何故、従姉と婚約者で反応が身体の反応が違うのか白彩自身でもわからない。


狼狽する白彩と親猫の如き警戒心で萌葱を睨み付ける煌龍を前に、この状況を作った萌葱と側に居た愛牙が突如腹を抱えて笑いだした。


『ブッ‼ワハハハハハ……』


『?』


思いも寄らない二人の反応に、白彩と煌龍は首を傾げた。


「煌龍、おまえそんなに明ら様な反応見せといて、自分は無自覚ってマジかよ……」


未だ笑いの抑えきれない愛牙に続いて、「こんなに大切にされているなら、何も心配することは無いな」と萌葱も笑いのあまり涙を溢す。


「これなら、安心してコイツを任せられるよ」


萌葱の言うとは、白羽のことなのか、白彩のことを含めて言っているのか、相も変わらず心中が何故だ。


「それじゃあ、白彩。手紙はに読みな。じゃあね~」


手を軽く振って門を出る萌葱。愛牙も屯所に戻り、煌龍と二人きりになった白彩は手元の手紙を眺めた。そして、気付いた。手紙が二通あることを……

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ろうでい様朗朗読用『色彩に舞う、白き瞳の花嫁』 葛西藤乃 @wister777noke

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