5.変身
鞄を抱えて階段を下りていくと、玄関の入ったところにみぱつさんがいた。姉さんも鞄を持ってぼくを待っていた。
「早くしろ。お前を待ってる時間ねえよ」姉さんがぼくを殴った。いつの間にか、姉さんはみぱつさんの前でも、ぼくに暴力を振るうようになっていた。
ぼくたちはみぱつさんの運転する車に乗って、珊瑚町に向かった。珊瑚町はとても遠くて、ぼくたちはライブの前日に到着して、一泊する予定だった。
ぼくは車の窓の外を眺めた。車はコンクリートの建物が密集した街中や、樹海の中や、砂漠に浸食されつつある平原を走った。ぼくは珊瑚町に行ったことがなかった。
雑木林を眺めているとき、ぼくはくるみちゃんのことを思い出した。くるみちゃんも、もしかしたらライブを見に珊瑚町に来ているかもしれない。
ぼくはくるみちゃんの連絡先を知らない。
もし来ているなら、せっかくだし、会いたいなあ。でも、みぱつさんに会っているのがばれたら、殴られるかもしれない。
珊瑚町に珊瑚はなかった。でも、至る所に花が植えられていて、綺麗だった。隙あらば花が植えられていて、道路の間とか、家の屋根とか、さらには車の上にも花が咲いていた。
花の町だ!
ビルの壁面にも数えきれないくらいたくさんの花が密集して咲き誇っている。歩く人の帽子の上にも、至る所に花が咲き誇っている。
花の町だ! ぼくは感動した。きれいな町だ。
ぼくたちはホテルにチェックインした。姉さんとみぱつさんが同じ部屋で、ぼくは個室だった。夜になるとぼくは姉さんとみぱつさんに呼び出されて、みぱつさんに「ああああ」された。
ライブ会場は大きなドームで、屋根を紫陽花が覆っていた。
当日の朝の会場の前には、数えるのも嫌になるほど人が集まっていた。みんな、鏡を見てメイクを直したり、スマホをいじったり、大きな団扇を見せ合ったりしていた。
ぼくはなんとなく周りを見回して、くるみちゃんがいないか探した。
ドームの中に入ると、外から見ていたよりもずっと広く思えた。ぼくたちはステージよりもずっと上の方の席に座った。通路やステージの上を、全身真っ黒な上裸の男の人たちが歩き回っていた。よく見ると、みんな木綿のパンツを履いていた。
「奴隷だよ。あいつら」みぱつさんが教えてくれた。「肌も服も黒く塗っているんだよ」
「奴隷って、お前と一緒じゃん。いや、お前は奴隷以下か」姉さんが鼻で笑った。
ぼくはまたくるみちゃんを探してみたけれど、やはり見つからなかった。来ていないのかもしれない。
少しして、照明が消えてドーム内が暗くなった。奴隷たちは黒いから、完全に闇の中に隠れてしまった。
いきなり、耳が割れんばかりの音楽が鳴り響いて光が差し、ステージの上に男の人たちが出てきた。
神213だ。 すごい音だ! すごい盛り上がりだ! 歓声。嬌声。音楽がかき消されそうなほどのファンの熱気が空中を埋め尽くした。
数万の人間が一体となって体を揺らしている。空気がゆっくりと大きく、力強く揺れているのが分かった。
神213のメンバーは会場内を走り回って歌って踊った。中央に平らな円いステージがあって、メンバーたちがそこで歌っていると、円形のステージはゆっくり、くるくると回った。神213が歌っているすぐ下では、奴隷たちがステージを押して回していた。ほかにも上下に動く台座や客席の間をゆっくり走る車などがあって、それらすべてを奴隷たちが動かしていた。
彼らが見えていないのか! かわいそうに! ぼくは思った。
ファンはもっと奴隷たちの労働に感謝すべきなのに。誰一人、奴隷を見ているものはいないではないか。ぼくだけだ。ぼくだけが奴隷の働きをちゃんと見ている。
不意に、やー(1)の緑の人を思い出した。あの人もほとんど無視されていた。今、奴隷たちも無視されている。
無視はイジメだ。
神213のファンたちは歓声を上げて揺れている。奴隷たちを見ずに。いないものと思っている。
許されるのか? そんなことが。
許されるのか? 誰かを無視することが。
イジメじゃないか!
ここでもイジメだ!
何もかもイジメだ!
絶対に許せない。イジメは許しちゃだめだ。ぼくは絶対にイジメを撲滅してやる。イジメをコロしてやる。
絶対にコロす!
次の瞬間、ぼくは空を飛んでいた。
え?
え?
会場を俯瞰している。熱気をアイドルを人間たちを、俯瞰している。紫陽花ドームの湾曲した天井が後ろにある。ぼくは落ち始めた。空気を掻いた。ぼくは右手に握っていた。カイロを。え? カイロ? なんだこれ。カイロ? なんで。落ちる。落ちる。落ちるということだけがわかる。何とかしないと何とかしないと。神213のメンバーはぼくに気づいていない。ファンの人たちも気づいていない。姉さんもみぱつさんも気づいていない。
みんなの目玉は推しの中。
ぼくを見ている者はだれもいない。みんなぼくを無視してイジメているのか? 許さない。許さない。イジメを殺す。ぼくを誰も見ていないのなら、いやいた。たしかにぼくを見ている人がいる。視線を感じる。どこだ。どこだ。分からない。どこ。落ちていく。それより落ちていく。いつの間にかいつの間にか目の前に円形ステージが迫って。
ぼちゃっと音を立てて、ぼくは中央の円いステージに激突した。
何が起こったかを知った人々が戦慄し始めて、やがてすべての歓声が悲鳴に変わった。
ぼくは、体がぐるぐるとかき混ぜられるような気がした。
イジメをコロす。イジメをコロす。
喧騒が聞こえてくる。悲鳴が聞こえる。叫び声怒鳴り声が響いている。
ぼくは、手に力が入ることに気付いた。脚にも。体に力が入る。
「なんだあいつは!?」声が聞こえた。
ぼくは立ち上がった。
再び悲鳴が上がった。
目を開いて、周りを見回した。ステージの近くで見ていた人たちは、ぼくと目が合うと後退りした。
肌がもぞもぞする。ぼくは自分の腕を見た。
黒い。
体が黒くなっている!
「なんだこれ」
ぼくが言った途端、近くにいた人たちが逃げ出した。
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殺せ!黒マン! @oeee
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