第16話

「君と交わした契約は有効だ」


彼は私の前に離婚しないための条件と書かれた用紙を出した。



一、康介は今後雪乃に絶対に嘘はつかない。


二、小林真奈美とは連絡は取らない。二度と会わない。


三、この先半年間、妻である雪乃と性行為を行わない。


四、康介は半年間、雪乃の不貞行為を容認する。

  (それに対して文句は言わず、質問は一切しない。)


五、雪乃は康介が妻の不貞行為に耐え、尚且つこの先結婚生活を継続すると願うなら離婚はしない。     



「これは私たち二人の間だけで交わされた契約だわ。有効性はない」


「いや、ちゃんとした物だ。署名捺印もあるし、もし無効だと言うなら裁判で争う」


「民法第754条に『夫婦間でした契約は、婚姻中いつでも夫婦の一方からこれを取消すことができる』とあるわ」


これが「夫婦間の契約の取消権」と呼ばれるもので、夫婦間のことに法律は介入しないという趣旨だ。


「夫婦関係が破綻しているときに契約した場合は取り消せない。僕は不倫した。そして君も浮気を宣言して離婚したいと言っている。これは夫婦関係が波状しているといえるだろう。ということは、契約は取り消せない」


「ああ言えばこう言う。あなたはわざわざ物事を面倒にしているとしか思えない」



この人は交渉が得意だ。意思、利害を調整して合意に持ってくるタイプ。

理詰めで丸め込もうとしてくる康介だが、離婚したくないという彼の思いと、夫婦関係は破錠しているという言葉の意味は相反するものだ。



「君は、この契約を守るなら元通りの生活に戻ると約束をした。契約後、俺は君に嘘はついていない。そして真奈美とも連絡は取っていない。そして三の条件は守っている」


「私はあなたのせいで、真奈美さんから辱めを受けたわ」


「その点は慰謝料という形でしか償えない」


「もうあなたを愛していない」


「これから、もう一度愛してもらえるよう努力する」


雪乃は大きくため息をついた。



********************





「私の誕生日に、接待だと言って不倫相手とラブホ?」


「なんで今更終わったことを蒸し返す」


「私とはセックスレス半年だった。真奈美さんとは1年前からしてたのよね?」


「初めは定期的にじゃなくて。月に1度だけの関係だった。嘘をつかないという契約前の話だ」


「去年のクリスマスは、真奈美さんの子供たちとパーティー?確か忘年会があるって言ってたわよね。ゴルフも、出張も全て真奈美さんと会うための嘘だった」


「クリスマスは彼女の旦那が仕事で帰れなくて子供たちが可哀そうだったからだ。接待が全て嘘ではない。出張もしかりだ」


「箱根に温泉旅行にいったのね。部屋に露天風呂がついていたらしいわね。一人一泊8万円だっけ」


「嘘をつかないという契約書を書く前の話だ」


「私のネックレスとお揃いの物を彼女にプレゼントしたわね。後、ブランド物のバッグも欲しいと強請られて買ったんだっけ」


「全て自分のカード決済にしている。同じ金額を現金で雪乃に渡す」


「全部、真奈美さんがSNSにご丁寧に上げてるから、食べたレストランや泊まったホテルも全てわかっているの」


「ああ……確認した」




「あなた、こんなに私を裏切って、それでもまだ結婚生活を続けようと思っているの?」


「雪乃がいなくなるなんて考えられない」


「私をそこまで想っているのなら、離婚して」



「……無理だ」


康介さんは意地になっているようだった。


契約書なんて書くんじゃなかった。

離婚しないなんて言うんじゃなかった。



雪乃は今、大いに後悔していた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る