珈琲15杯目 (20)君は何も見なかったんだ、いいね?

「なあリ」

「川魚のさばき方は今度教えるよ。それより――」

 ゼルベーラ隊長は、リュライア様のほとばしる殺意には目もくれず、わたくしに向き直られました。「いよいよ御託宣ごたくせんを聞くときが来たようだ」


「確かに、ファルはいつも正しい」

 クラウ様への殺意をどうにか押さえつけられたリュライア様は、ゆっくりとわたくしの方に首を曲げられました。

「しかしどんな天才も、過ちを犯すことはある。まあ今回は、ファルが過ちを犯したわけではなく、私があまりにも冴えていて……」


「叔母様の推理なんかより、ファルの推理の方が正しいよ!」

 クラウ様は、警務隊のおふた方に訴えかけられました。姪御様に向けられたリュライア様の視線は、もはや殺人光線と呼んでも差し支えないほど強烈なものとなっております。


「まあ皆さん、どうか落ち着いて」

 シェンクルトン隊長が、今のこの場にもっともふさわしい提案をなさいました。

「スノート師の推理は、実に素晴らしいと思います。しかし、執事の……ファルさん、でしたな? 私も皆と同様、ファルさんの推理を拝聴したい」


 皆様からの視線を浴び、わたくしは横目でリュライア様のお顔をうかがいました。ご主人様の無言のご指示はきわめて明確――私はかまわん、言ってみろ。

「かしこまりました」

 わたくしは軽く咳払いをして時間を稼ぎつつ、いかにすればリュライア様を傷つけることなく自説を展開できるか、必死に考えました。それにわたくしの推理、九割方正しいと自負しておりますが、まだ確証は得られておりません。せめてあの事実が確認できれば……。


「隊長、ご報告です」

 わたくしにとっての救いの声が、扉の向こうから聞こえてまいりました。シェンクルトン隊長は一瞬眉をひそめられましたが、今は部下の報告を聞くべき状況だと思い至られ、口調を改めて入室を促されました。


「失礼いたします……四点、報告です」

 入って来られた警務隊員は、三人の部外者に素早く目を走らせましたが、シェンクルトン隊長がかすかにうなずかれるのを見、警戒を解いて口を開きました。

「まず誘拐犯の追跡状況ですが、足どりはまったく掴めておりません」

 わたくしの隣で、リュライア様が小さく鼻を鳴らされました――当然だ、誘拐犯はもう馬車でお帰りだからな、と。


「警戒範囲を拡げつつ、引き続き捜索します……それと、別館三階の倉庫の奥に、屋根裏に続く梯子はしごがあることが判明しました」

「おいおい、魔術審議会の係官は、そんなこと教えてくれなかったじゃないか」

 ゼルベーラ隊長が横から抗議されますと、報告に来た警務隊員は、肩をすくめてそちらを向かれます。


「ほとんど使うことのない梯子なので、係官も存在自体忘れていたようです。屋根裏から屋根に抜けることは可能ですが、誘拐犯が使ったかどうかは不明です」

「もし屋根づたいに逃げたら?」

 シェンクルトン隊長が、憂鬱そうに尋ねられました。隊員は、ふたたび上官に向き直られます。

「両隣の家の屋根に飛び移ることは、不可能ではありません。問題は、監視班の連中も、屋根の上までは熱心に警戒していなかった点です」


「だが仮に近隣に建物に逃げても、どのみち封鎖を突破することはできまい」

 ゼルベーラ隊長の指摘に、シェンクルトン隊長はうなずかれました。その眉間に刻まれた皺の深さから察するに、そうだといいがと内心つぶやかれておられるようでございます。


「ま、これで万一逃げられたら、逃走経路を教えなかった魔術審議会の責任だな。では次の報告を聞こう」

「はい。ロットラン氏は、先ほどお帰りになられました。その際、今回の警務隊の捜査費用、ならびに魔術審議会などの関係機関が受けた損害等は、ロットラン商会が全額お支払いするとのことで、警務隊からも費用を請求……」

「しないよ」

 シェンクルトン隊長は、苦笑と共に首を振られました。「れっきとした仕事だ。費用は帝国の国庫からいただいているからね」


「はっ」隊員は、頼もし気に上官を見やってから、続けられました。

「なお帰られる際、例の棺桶を持ち帰っていいかと聞かれましたので、中に不審物等が無いことを確認した上で、許可しました」

「!!」

 隣でリュライア様のお体が、びくんと揺れ動きました。報告者以外の全員の視線が、動揺されるご主人様に注がれます――先ほどのリュライア様の推理ですと、ロットラン氏は偽物とすり替えた魔導杖を棺に隠して盗み出す計画でしたが、早速その目論見は破綻した模様でございます。


「き、きっと、棺の中に、秘密の隠し場所があったに違いない」

 お声を震わせ、リュライア様がつぶやかれます。「あるいは、警務隊の突入が早すぎて、すり替える時間が無かったんだ」

「へえー。でも、警務隊が突入したのって、執事が呼び子を吹いたからだよね? 杖をすり替えて隠し終えてから吹けば済む話じゃブフォ」

 クラウ様の勝ち誇ったお声は、鳩尾みぞおちに決まった叔母君の肘撃ちによって、沈黙を余儀なくされました。


「……次、頼む」

「はい、三点目の報告です」君は何も見なかったんだ、いいね? というシェンクルトン隊長の無言の警告に従った隊員は、ことさら表情を消して続けられます。

「身代金ですが、大金貨グローゼカーノは七百枚揃っていて、一枚も盗まれていませんでした。先ほど到着した造幣局の一団が、現在金貨の鑑定を進めていますが、おそらくすべて『公式ニセ金貨』で間違いなかろうとのことです」


「誘拐犯は、金貨に手を付けなかったということだな。よろしい、鑑定が終わり次第、『公式ニセ金貨』は貸出元の銀行に返すよう伝えてくれ……で、最後の報告は?」

「はい。魔術審議会の係官が、緊急招集された専門鑑定官と共に、展示室の魔導具の被害状況を確認しました」


 いよいよだぞ、心して聞け、とリュライア様が皆様に念を送られます。左様な状況は露知らぬ警務隊員は、淡々と報告されます。

「展示物の亡失は無く、汚損等の被害も無いそうです。展示棚等の什器にも異常は無く、唯一倒れていた展示卓については、蓋の錠がこじ開けられて若干傷付いていたものの、ガラスにはヒビひとつ入っていなかったとのことでした」


 そして、冷厳なる事実を――主にリュライア様に――突きつけました。

「専門鑑定官の見立てでは、魔導具はだということです。どうやら誘拐犯は、本当に何にも手を付けずに逃げたようですね」


 この上なく気まずい沈黙が、部屋の中を覆いました。報告した警務隊員も、さすがに異様な雰囲気を感じ取って、不安げに室内を見回されます。


「……本当に? 今回ロットラン商会が納品した魔導具も、本物だと……?」

 リュライア様が、うめくように尋ねられました。その疑念渦巻く威嚇の響きに、隊員殿はびくっと肩を震わせましたが、シェンクルトン隊長の無言の激励を受け、どうにか答えられます。


「は、はい。今回ロットラン商会から入荷した魔導具は未鑑定だったので、そちらを優先して調べましたが、すべて商会の提出した鑑定結果のとおり、本物だったそうです。誘拐犯が偽物とすり替えようとしていた『ベラルド・ルルの占い札』については、本物の札と偽物の札が不規則に混じり合っていたようですが、鑑定官は本物五十四枚と同数の偽物を鑑別し、選り分けました。なお偽物の占い札は、少し高級ではあるものの、市販されている模造品とのことです」


 隊員の報告に、リュライア様はふるふると震えながら、現実を受け止めようと努力されておられました。隣のクラウ様は、賢明にも沈黙を守っておいででしたが、本当は叔母君の推理の破綻を全力でしゅくしたいのであろうことは、その必死に笑いをこらえたお顔から、容易に察することができました。


 ここはやはり、わたくしの出番のようでございます。

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