珈琲14杯目 (27)本格的な抜け殻

 この件が落ち着いたのは、それからおよそ半月後のことでございました。


 ある事件が「落ち着いた」かどうかの目安は、ゼルベーラ隊長が当家の居間にて葡萄酒片手に乾杯の音頭を取られるかどうかで判断可能でございます。

 その基準で申しますと、本日の隊長は驚くべきことに酒瓶――それも複数――持参でお見えになり、もう何度目かも分からぬ乾杯の声をあげておられますので、今回の一件も、すっかり落ち着いたと申せましょう。


「葡萄酒持参で来るとは、君も少しは礼儀というものをわきまえるようになったか」

 リュライア様も、最初の乾杯だけは葡萄酒で杯を交わされましたが、それ以降はいつもどおり珈琲で乾杯に応じられておいでです。

「で、こんな上等の葡萄酒を、どこから盗んできたんだ?」


「盗んだ?」ゼルベーラ隊長は上機嫌のまま、ご主人様の発言を訂正されました。

「正当な労働の対価として、くすねてきたと言って欲しいね」

「……やっぱり、盗んでるじゃん……」

 隣で珈琲をすすりながら、クラウ様が小声で突っ込まれます。


 今回の一件でもっともご活躍されたのは、申すまでもなく隊長率いる帝都警務隊第七隊でございます。しかし、犯人たちの監視や尾行を行うには到底人手が足りなかったため、各警務隊から応援を出していただきました。


 特に第六隊の協力ぶりは群を抜いており、管轄区域をほぼ空にする勢いで人員をゼルベーラ隊長に差し出されました。理由は単純――四年前の未解決事件は、第六隊の管轄だったからでございます。


「昨日、今回の事件で協力した各隊の応援部隊を招いて慰労会を開いたんだが」

 隊長は、手にしたグラスを回し、赤い液体の色の変化を楽しまれておられます。

「費用は全部第六隊が負担してくれたぞ。で、奴らが持ってきた『とっておき』の中から……味の分かる人間が賞味できるよう、何本かお救い申し上げたというわけだ」


「呆れたね」リュライア様は苦笑されましたが、それ以上友人をとがめることはされませんでした。

 ゼルベーラ隊長は、四年前の事件解決の礼を述べたいとおっしゃるフィロンチーニ侯爵夫人に対し、事件解決は第六隊の地味ながら献身的な捜査活動のおかげであり、礼を受ける名誉は第六隊にこそふさわしい、と功を譲ったのでございます。


 この騎士道精神あふれる気高い行為によって、隊長は第六隊に、途方もなく大きな貸しを作ることに成功いたしました――慰労会の費用負担、最高級の葡萄酒数本程度では、到底返しきれないほどの。


「しかし、気の毒なのはリプホルト氏か」

 杯の葡萄酒を飲み干されたゼルベーラ隊長が、あまり気の毒そうに感じておられぬ口調で同情されました。

「千ゼカーノは無事だったし、銀行の計らいで融資契約は取り消しで利息も無し。ただし、装甲馬車の出張費用二十ゼカーノは警務隊と折半で支払う……だが何と言っても、失恋が最大の痛手だろう」


 まっこと、そのとおりでございます。

 作戦当日、自称ビシェット氏の眼前で寸劇を演じた後、ミアン形態のわたくしは店に引き返し、女詐欺師が店を出るまで監視しておりましたが、リプホルト氏は彼女を見送る際、こうおっしゃられたのです――この店は一人でやっていくには不便でして……もしポリィさんがご主人の借金を返し終わり、ご実家の問題も整理できたら、こちらで働いてもらえないか? と。女詐欺師は、ぜひお願いしますと微笑んで応じました。


 そのときリプホルト氏が浮かべた心からの笑顔は、わたくしも思わず祝福を差し上げたくなるものでございました。もし彼女が「シロ」であれば、彼女の持つニセの千ゼカーノを本物の金貨に交換する手はずとなっておりましたが、そうならなかったことが残念でなりません。


「でもさ、まさかこんなことになるなんてね」

 焼き菓子をかじられつつ、クラウ様がつぶやかれました。それを聞きとがめた隊長は、「こんなこと」とは何だとクラウ様に尋ねられましたが、次の瞬間、酔いも醒めるほどの衝撃を受けられました。

「あ、聞いてなかった? セロンブランさんのお母さんが、リプホルトさんのお店で働くんだって」


 愕然とされる隊長は、わたくしの顔を見つめられました。はい、とわたくしは小さくうなずき返します。

「実は先日、リュライア様とわたくしで、セロンブラン殿のご実家にうかがったのでございます」


「表向きは、馬鹿な姪がご息女にお世話になっていることの礼と、そのご息女が公的機関に協力されておられるので、『有償研修』でお世話になっている<リプホルト魔導具店>にご挨拶をされては、と促すことだが」

 わたくしがお注ぎした珈琲を手に、リュライア様が補足されます。「真の目的は、セロンブラン母の人物を見極めることだ」


 そもそも今回の一件は、「有償研修」で学費を稼がねばならない苦学生・セロンブラン嬢が、店主の異変に気付いたことがきっかけでございました。

 そのセロンブラン嬢の母君は、プラトリッツ魔導女学院で<魔導具製造>を学び、優秀な成績でご卒業されたものの、早くにご主人を亡くされ、ご息女を女手ひとつで育てられたとのこと。

 わたくしどもは、そんな御母堂の人品骨柄を見定めるべく、学院の教務課に確認した帝都郊外の借家におうかがいしたという次第でございます。


「で、『面接』の結果は『合格』というわけか」

 ゼルベーラ隊長は、くいっとグラスを空けられました。わたくしは、はい、と首肯いたしました。

「少なくとも、詐欺を働くような方では決してございません」

「あれだけしっかりした娘さんを育てられた母親だ。今は魔導書の翻訳やら魔導具の鑑定やらで糊口をしのいでいるが、もう少し安定した働き口があればと思ってね。それも、魔導具の知識を生かせるような」


 リュライア様のお言葉に、隊長は眉を片方だけぐいっと上げられました。

「おいおい、手ひどいフラれ方をした傷心の中年店主に、追い討ちをかける気か? 確かに、お似合いになる可能性はあるが……」

「まさにお似合いだったぞ」

 リュライア様は、ニヤリと隊長に微笑み、わたくしとうなずき合いました。


 リプホルト氏のお店にご挨拶に伺ったのは、その数日後のことでございます。

 店は営業を再開しておりましたが、店主殿は魂の抜け殻――セミの抜け殻の方がまだしも生気に満ち溢れているというくらいの本格的な抜け殻ぶりでございました。


 しかしながら、セロンブラン嬢の母君がご挨拶されるなり、たちまち抜け殻に魂が戻りました。どころか、以前よりも目に煌きが、頬に薔薇色の輝きが宿り、生きる意味を今ここに見出したかという変貌ぶり。思春期の雄餓鬼共が集うバドール魔術学院の学生でも、異性への好意をここまで純粋かつ露骨に表した者はおりますまい。


 娘がお世話になっておりますと切り出されたセロンブラン嬢の母君のお話を、リプホルト氏は半ば恍惚として聞いておられました。

 控えめながらもしっかりした人格、魔導具に関する豊富な知識、束ねた髪とうなじからのぞくおくれ毛、哀しみをたたえた目元、髪をかき上げる仕草から漂う色香。いずれを取りましても、「ニセ未亡人」自称ビシェット氏ごときでは到底太刀打ちできない、正真正銘の未亡人――それも美貌の――でございます。


 つい先日までの、自称ビシェット氏に対する好意は完全に雲散霧消。ひとしきり身の上話が済むと、リプホルト氏は背を伸ばし、真剣なまなざしを未亡人に向けられ、覚悟みなぎる提案をされました。

「あの、もしよろしければ……こ、この店で、働きませんかっ?」

……あとはお二人にお任せし、われわれは退散いたしました。提案の結果につきましては、先ほどクラウ様がおっしゃられたとおりでございます。



「……ま、当事者同士が納得しているなら、それもいいさ。かくして、関係者は皆満足、めでたしめでたしということだな」

「『皆』じゃないよ!」

 隊長の締めに、クラウ様が抗議の声をあげられました。

「セロンブランさんから相談受けたのは僕なのに……僕にはほとんどお礼も何も無いなんて、おかしいじゃん!」

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