第5話

 翌朝、ベッドが聡貴を起こす前に電話が鳴った。スマホを見ると6時前。いつもより1時間も早い。

「誰だよこんな時間に」

 画面を見ると、そこにはまた非通知の文字。聡貴は途端に目を覚ますと、スマホをベッドの上に置いてねめつける。

 指をそっと近づけ、画面に触れ、そして、すぐにスピーカーにする。耳元であの音を聞きたくなかったからだ。しかし、ノイズはなかった。30秒ほど経っても何も聞こえてこない。

 聡貴は音量を最大にし、口を近づける。

「もしもし……」

 それでも返答がない。聡貴はさらに耳を近づけた。何か音が聞こえてくる。

 ──ファサッ……。ファサッ……。

 布が擦れるような音だ。その音に混じって微かにカチャッという音も聞こえる。金属かプラスチックのような小さな部品がぶつかり合っているような音だ。

 聡貴が咄嗟に思い浮かんだのは団扇だった。天狗が持っているような羽団扇を扇ぎ、羽が布のような音を、持ち手が固い音を立てている。

 しばらく全神経を耳に集中させて聞いていると、強風が吹いた。直後に、ギッギッと軋むような音がする。

 聡貴は天狗が風を巻き起こした絵を想像した。しかし、すぐに何を馬鹿なことをと自嘲的に鼻を鳴らす。ただ風が吹いて軋んでいるだけだろう。

 また1分ほどは団扇を扇ぐような音が続き、今度はボッボッと水滴が垂れるような音もする。その低い反響から、電話相手が屋内に居るような感じがした。

 ──フォン。

 聡貴は突然の電子音にスマホから身を離す。どうやら家事ロボットが活動し始めたらしい。時刻を見ると、もう起こされてから30分以上も経っていたようだ。ロボットのタイヤがゴロゴロとせわしなく転がる音が僅かに聞こえ、朝食や洗濯の準備に取りかかっているようだ。

 聡貴は部屋のドアを見つめる。ふと、違和感を覚えた。

 これまで部屋の中でロボットの音を聞いたことがあったろうか。

 部屋の壁は全て防音対策がなされている。基本的にドアでも開けない限り外の音が聞こえてくることはない。実際、これまでも、ロボットの音で起こされたことは1度もない。しかし、今日に限ってやたらと音がする。

 聡貴は立ち上がって、ドアに右耳をつける。確かに音が聞こえてくる。しかし、それは両耳から、しかも部屋の方を向いている左耳の方から大きな音が聞こえてくる。

 まさか、と聡貴はスマホから目が離せなくなる。間違いなくスマホからロボットの音がしている。しかも、外の音と同時だ。

 瑞姫……?

 聡貴は信じたくない思いだった。

 まさかイタズラ電話をしてきていたのが瑞姫だというのか。だとしたらなぜ? 昨日の妄想のことを信じ込ませようとこんなことをしているのだろうか。いや、不審な電話があったのはそれよりも前のことだ。まさか全て自作自演で、昨日のことを信じ込ませるための準備だった?

 聡貴は確認しようとドアに近づくも、そこから先に進めない。ロボットの音が聞こえると言うことは、リビングにいるか、部屋のドアを開けているのだろう。瑞姫は部屋を見られることを極端に嫌う。そのことを考えれば、リビング、キッチン、洗面所のどこかにいる。水滴の音は水道の音で、風はエアコンの音とも考えられる。その風向きによっては、カーテンの揺れが布の擦れる音に聞こえるだろう。

 昨日の今日で瑞姫に会うことは気まずかった。それに、もし予想したことが本当だった場合、瑞姫はどうなってしまうのだろうか。どんなに怒っていない、許していると言っても、真実を暴いてしまうことで瑞姫はもう二度と部屋から出てこなくなってしまうのではないか。聡貴にはそれが恐怖でしかなかった。

 両親ももういない。縛る者も、虐げる者もいない。なのに、この小さな部屋から出られないなんてことは絶対にあって欲しくない。だからこそ、話し合わなきゃいけない。昨日、引き留められなかった背中を引き留めなくてはいけない。

 手汗を握りしめ、ノブに手をかける。

 ──ツーツー。

 電話が切れた。

 聡貴は急いでドアを開け、リビングに方へ駆ける。

 しかし、そこには誰も居なかった。

「あれっ。瑞姫!」

 ソファの下や、カーテンの中、バルコニー、キッチンまで見たがどこにも居ない。

「どうかなさいましたか」

 家事ロボットがキッチンで朝食の準備をしながら尋ねてきた。今はフライパンで目玉焼きとソーセージを焼いている。

「瑞姫は見なかったか」

「瑞姫さんなら今朝は一度も見かけておりません」

 ならやっぱり部屋か。

 聡貴は廊下を見た。自分が開け放ったドアが廊下の奥を覆い隠している。

「分かった。ありがとう」

「どういたしまして」

 聡貴は廊下を戻り、自室のドアを勢いよく閉める。すると、瑞姫の部屋のドアが開いていた。疑問に思うまでもなく、すぐさま手をかけ、中を覗く。

「瑞姫! えっ……」

 聡貴はその場に立ち尽くした。

 初めて見る妹の部屋は、薄ピンクと白で埋められた女の子らしいメルヘンな部屋だった。以前のようにゴミが積み上がっている事もなければ、汚れ1つなく、綺麗に整えられていた。奥のバルコニーでは空調が全開になって室内に風を吹き込み、カーテンがバッサバッサと波打っている。そのカーテンの奥、黒い人影が1つあった。影は宙に浮き、髪が垂れた枝葉のようにファサファサと揺れている。その下には小さな水たまりができている。

 おもむろに風が止んだ。

 影はゆっくりと回転し、垂れた頭がこちらを向く。

 ──ピロンッ。

 スマホの着信が鳴った。

 聡貴は反射的にスマホを見る。そこには1つのメッセージが送られてきていた。

『こいつも連れて行きます』

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