第4話

 帰宅すると、ソファに縮こまるようにして瑞姫が座っていた。聡貴が恐る恐る、ただいまと声をかけると、肩をびくつかせながら振り返った。その顔は強ばっていて、聡貴の顔を見た途端に少し緩んだ。

 聡貴は何かおかしいとすぐに気がついた。

「どうかしたの?」

「なんでも、ない」

 瑞姫はそう強がったが、顔面蒼白で小刻みに震えている。これは、と聡貴はすぐ側に座る。

「何かあった?」

 瑞姫は涙を溜めた目を伏せ、しばらく首を振り続けた。聡貴はその姿を見ていると、可哀想で可哀想でいたたまれない気持ちになる。

「話してよ。話さないと、何も分からないままだから」

 そこから何分経ったかは分からない。それでも、瑞姫が必死になって何かを言おうとしていることは分かった。聡貴はそれをじっと待ち続ける。

「私も、お墓に行った方がいいかな?」

「えっ。どうして?」

 聡貴は予想外の言葉に聞き返さずには居られなかった。

「それは……」

「あ、ああ、あの日のことは気にしなくていいよ。瑞姫が行く必要がないと思うなら行かなくていいから」

 聡貴は聞き返した後、慌てて言い直す。

「違う」

 瑞姫は聞き取れないほど小さく呟いた。

「あいつらがいるの」

 瑞姫は膝の間に顔を埋める。聡貴は瑞姫の背中に手を当てる。汗で濡れた薄い背中から激しい動悸が伝わってくる。

「あいつらって?」

 聡貴はそう聞いたが、瑞姫の言うあいつらは両親のこと以外あり得ない。しかし、いるというのはどういうことなのだろうか。

「家が変なの。私が1人の間、何かがいるみたいに音を立てるの。照明が点滅したり、冷蔵庫とか電子レンジとか触ってもないのに動いたり、それに……」

 瑞姫はスマホを取り出し、慣れた手つきでロックを解除し、アルバムを開く。

「あれっ」

 瑞姫は慌てたようにスクロールする。アルバムには写真や動画がほとんどなく、1回指を振っただけで1番下までたどり着く。次にゴミ箱を開くも、そこには何もなかった。

「ない。どうして。消してないのに」

「どうしたの?」

 瑞姫はスマホを両手で掴んで顔をこれでもかと近づける。しばらく、格闘するように画面を連打していたが、一気に力が抜けたのか、スマホが手から滑り落ちた。聡貴は咄嗟に掴み、瑞姫の手に戻す。

「どういうこと?」

「変な事が起こった動画を撮っておいたの。それに、変なメッセージとかメールとか電話とかそういうのもスクショしたのに。インターホンの向こうにも人がいて。その写真も撮ったのに……」

「消えてるの?」

「うん」

 瑞姫は消え入りそうな声でうなずいた。聡貴は1週間前のことを思い出した。しかし、どれも、霊的現象だと断ずるほどのことではなかった。非通知電話もただのいたずらに過ぎないだろうし。

「本当に起こったの?」

「起こったわよ! だから、スマホに証拠を残しておいたのに」

 瑞姫はむきになってもう1度スマホを漁り出す。聡貴にも、瑞姫を信じてあげたい気持ちはあったが、瑞姫は鬱病を患っていた。最近は調子がよかったのだが、ついこの前のこともある。一時的にストレスがかかったことで、幻覚や幻聴を体験し、妄想を事実と勘違いしてしまったとしてもおかしくない。だが、同時にやはり翼の言葉も頭にしつこくこびりついていた。

「どうしてあいつらだと思ったの?」

「なんでって、当然あいつらは私を恨んでるでしょ。だから、私を地獄に呼んでるの」

「別に両親を見たわけじゃないんだよね」

「見てない……。でも、そうに決まってる。分かるのよ。あいつら以外考えられない」

 瑞姫は血走らせた目を見開き、必死に訴えた。その表情を見て聡貴は確信した。これは瑞姫の妄想だと。

「大丈夫だよ。瑞姫を連れていくことなんてできない。よく言ってただろ、あいつらは威張ってるだけで何もできないって。だから、そんな力はないよ」

 聡貴は瑞姫の頭を撫でゆっくり言い聞かせる。しかし、瑞姫は首をブンブンと激しく振る。

「だって、電話で私には価値がないって、私を連れてくって。こんなことできるんだから、私のことも連れて行ける」

「そんなことはできないから。大丈夫。別に今だってなにも起こってないだろ?」

 瑞姫は聡貴に顔をグワッと近づける。

「それはあんたがあいつらにとって特別だったからでしょ。私さえ連れて行けば、足枷が居なくなる。だから連れて行こうとしてるの! 分かるでしょ!」

 瑞姫は立ち上がって怒鳴る。

「瑞姫、落ち着いて。大丈夫、大丈夫だから」

「信じて無いでしょ! 全部私の嘘だと思ってるんでしょ! 私を可哀想な奴だと思って、馬鹿にしてるんでしょ!」

「そんなんじゃない。僕はただ心配してるんだ」

「嘘よ!」

 瑞姫は聡貴の胸ぐらを両手で掴み、馬乗りになる。

「あんたも私に消えて欲しいって思ってる。だから、話を真剣に聞かないで、このまま連れて行かれればいいと思ってるのよ! そうなればあんたの足を引っ張る奴は誰も居なくなるしね!」

「そんなわけないだろ! 真剣に聞いてるさ。聞いてるから心配してるんだろ」

 聡貴は瑞姫の細い手首を握って押し返す。瑞姫の力は驚くほど弱かった。

「嘘よ……。じゃあ、私のことどう思ってるの?」

「もちろんたった1人の妹だよ」

「愛してる?」

「そりゃあ家族だもの」

 瑞姫は手を放し、廊下の方へとぼとぼと数歩歩いた。手は前に垂れ下がり、背中も大きく曲がっている。歩みに合わせて髪が柳のように揺れる。

「……」

 瑞姫は何かを唸った。しかし、あまりの小ささに、その言葉は聡貴には届かなかった。

「瑞姫。戻っておいで。今夜は一緒にいよう。ほら座って」

 聡貴がソファを叩く。瑞姫は髪越しに振り返るも、またとぼとぼと歩いて行ってしまう。聡貴が何度呼びかけても止まる気配も見せなかった。

 聡貴にはどうしたらいいのか分からなかった。1人にしてはいけないと直感的にはそう思ったが、1人になって頭を整理する時間も必要だろうと思考が語りかけてきた。

 結局、聡貴は瑞姫の背中を黙って見送り、引き留める勇気が出せなかった言い訳をし続けるしかなかった。

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