第69話 春、藍、十七歳 9



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「じゃあ、お父さんはこれからどうすればいいんだ」

すっかり憔悴した延彦が云う。

最初は自分の娘で、10代の女の子、丸め込むしかないと余裕をかましていたのだ。

謝り、なだめ、許してくれたら、どんな特典が待っているかを諭すのだ。

だが、なにより、この調査力が得体が知れなかった。

確かに優秀な子だ、何か友達に高校生社長のような起業家と組んで何か始めようとして、その連中が手を貸しているかもしれないとも考えた。

そして、妻を藍の側に取られるのは痛恨のミスであった。

いちばんの問題である延彦の女癖の悪さを止めることができると身内から言われたのだ。

ちゃぶ台を返すようなマネを紳士を装う延彦も考えないではなかったが、会社の要人に直ぐアクセスする状態でいる。

それにあの調査能力からして、今までの延彦の人生のに関わった人々にも暴露する恐れがある。

つまり延彦の娘は、「会社も家族も財産も全部捨てて、イチから人生始め直す」か「息子と娘が監視する中、良い父親のフリを真っ当に、自分らが独立するまで続ける」のどちらかを迫っている。

「私は別居して暮らす。あなたの女癖のことなんて、一切言わず。あなたは昭が家で見守る中、私が家の外の情報網で監視する中、平穏に暮らす。又ヤり始められると思うならば、やってみなさい。容赦はしない」

「判った。ランの言うようにする」

いや、延彦は、未だ自分の娘だから、どこかでイニシアティブを取れると考え、ここは家族に恭順の意を示したに過ぎない。

「では、今お付き合いしているふた回り下の女性に別れを切り出して下さい。急に電話で別れ話なんて、相手が逆上するだけだから、一週間以内に会える約束を取り付けて下さい」

延彦は後にそのようにした。

「待ち合わせの時刻と場所は判った。念のため、録音して、昭に聴かせてあげて下さい」

「いや、息子にそれは聴かせられないよ!」

「私とは話がついたけど、昭がその代わりとなります」

「もう十分反省した。実の娘にここまでやられたんだよ。信じてくれよ」

「最初はこのリストに載った全員に謝罪行脚の旅に出せようとしたけれど、止めた。あっちの迷惑になるだけ。あなたそういうの大丈夫そうだもんね」

「なんでもするよ」

「明日の朝、お母さんと昭が帰ってくる。二人は都心のホテルに泊まっているハズだから。二人はあなたの酷い女遍歴と私とのこの会談があたかも無いように、これからも接するように話してある。今夜は一人でゆっくり、これからの生き方を考えて下さい」

藍の言葉は厳しかったが、さすがに「自殺なんて考えないように」と付け加えるのは止めた。

―この人は、実家に泣きつく、今、もしくは昔の女に逃げ場所を求める可能性だってある。けれども、私はその逃げ場所をことごとく潰したのだ。

そう、それが判らない延彦ではなかった。

判っているから、ずっとうなだれているのだ。

「なぁ、ラン、おまえはきっと後悔するゾ。こんなことを男親にしちゃったんだから、後悔しないワケないんだよ、絶対。判っていないのはおまえだよ」

それは恨み言というより、地獄に堕ちた亡者のため息のような台詞だった。

「後悔? そんなもんじゃあ、追いつかないよ」

対して、藍の口調は深海に住む貝の口から洩れた水疱のようだった。

表から軽くクラクションの音がする。

10分ほど前に藍が用意していたメールをあとは推すだけにしておいて、話の最中に送ったものだ。

「類さんの自動車の音だよ。私はもうここには帰らない」

延彦は無言。

藍は迷ったが最後にひと言、父親に云う。

「ごめんなさい。私もう、お父さんを超えちゃったんだよ」

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