第32話
◇
「上野里美さん……ですよね?」
里美が家から出たところで、女の人に声をかけられた。
とても小柄でかわいらしい女性。
里美はその女の人に見覚えがあった。
「あなた……」
目の前にいるのは、里美から恋人の後藤裕之を奪っていった張本人だった。
「私、中島典子って言います」
言葉づかいこそ丁寧だったが、その眼は里美をきつく睨みつけていた。
右手には携帯電話が握りしめられている。
黒い携帯電話。
里美は、その携帯電話が誰のものであるか知っていた。
「なにか用ですか?」
里美はなるべく穏やかな口調で言った。
心の中は、当然穏やかと呼べる状態ではない。
恋人の裕之を奪われたこと、目の前で裕之が亡くなってしまったことが、里美の頭の中で鮮明に蘇る。
「裕くんは、あなたから携帯彼氏の話を聞いてから様子がおかしくなりました」
中島典子は俯きながら低い声でゆっくりと話しだす
。
里美は携帯彼氏と言う言葉に反応して体がビクリと跳ねた。
「里美さん、裕くんはあなたに何かを伝えようとしてました」
裕之が亡くなったあの日のことを里美は思い出していた。
膝からがっくりと倒れていった裕之の指先は里美にむかって指されていた。
何かを伝えようとしているのか、裕之の唇はちいさく動いていた。
――やっぱり裕之はあの時、私に何か言おうとしていたの?
里美は騒がしい鼓動を抑えるため、大きく息を吸い込み、中島典子の次のセリフを待った。
「裕くんは……あなたのことをとても心配していた」
中島典子の言葉を里美は信じることができなかった。
里美の話をろくに聞こうともせず、里美の元から去っていった男が、なぜ里美を心配しなくてはならないのか。
その理由がわからなかった。
「里美さん、あなたに見てもらいたいものがあります」
中島典子は、握りしめていた携帯電話を里美へとつきだした。
里美は嫌な予感がしていた。
裕之の携帯電話を受け取ることはためらわれた。
中島典子という女は、敵意を剥き出しにしながらも、わざわざ元カノである里美のところまで訪ねてきてるのだ。
よほどのことがあってのことだろう。
「あなたが余計なことを言わなければ、裕くんは死なずに済んだんですよ」
中島典子は、携帯電話をさらに前へとつきだした。
里美は恐る恐るその携帯電話を受け取った。
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