きみとなつのおわり

二 一卜

1

 教室の外、廊下の窓からは人気のない中庭が見える。

 見上げれば、絵に描いたような梅雨明けの青空に白雲。

 遠くでセミが騒々しく鳴いている。

 この高校の東には山があって、きっとそこには無数のセミがいる。それらの叫びが、響いている。

 自分は田舎に来たのだなという実感が、またひとつ湧いた。

 ────ここはもう、地獄ではない。



「みなさーん!なんと!今日は2年1組に転校生がいます!」

 担任の声を皮切りに、教室内がざわつくのが聞こえる。

「そう、今朝から増えてるそこの席に座ってもらいます。性別?見てのお楽しみかな〜」

 テンションの高い女の担任が、「それじゃ、入ってきてー!」と教室の外にいる俺を手招きする。

 入りづらいなぁ…。

 俺は深呼吸なのか溜息なのか自分でもわからないのをひとつ吐くと、教室に足を踏み入れた。

 集まる好奇の目。

 俺を見るなり落胆した一部の男共、美少女どころか女じゃなくて悪かったな。ついでに、見覚えのある顔があって内心少し驚いた。

「今日からこのクラスでお世話になる、一条葵いちじょうあおいです。よろしく」

「一条くんは先生と同じで東京出身なの。堀米ほりごめには来たばかりで知らないこと沢山だから助けてあげてね!」

 さて自己紹介も済んで着席かと思ったが、

「そうだ、一条くんへの質問コーナーとかしておく?勿論一条くんが嫌ならナシだけど」

「…答えられる範囲で良ければ」

 なんともまあ、断りづらい。

「それではNGなしでいってみよー!質問コーナー!いぇーい!」

 担任、テンションが高い。

 俺はクラスメート達から質問攻めにあうことになった。

 質問は挙手制で担任が当てた生徒からのもの。最初はポツリポツリと手が挙がるだけだったのに、徐々に増えてきてそれなりに質問された。


「誕生日は?」

「8月17日。だからまだ16歳」


「部活はしてましたか?」

「残念ながら帰宅部だったよ」


「趣味は何?」

「なんだろうな…。休日はスポーツ観戦とか映画鑑賞とかしてた。映画館、近くにある?」

「どうだっけ?」

 質問者の女子が隣の席の女子に問う。

長川おさかわまで行けばあるかな。電車で40分くらい」

「クソ遠いじゃん」


「彼女はいますかー?」

「いません」

「だったら元カノはいますかー?」

「ノーコメント」

「絶対いたじゃん!何人?」

「秘密で」

「教えてくれてもよくないですかー元カノくらい」

「……2人」

「うわ、リア充だ!」

 歓声が挙がる。こいつら…。


「東京から来たって言ってたけど、魔法少女に会ったことはある?」

「ある…というか同じクラスに1人いた」

 すげー!みたいな先程と種類の違う歓声が上がる。

「他にも特別な人間って身近にいた?」

「中学の時のクラスは半分近くが変わってた。吸精魔とか、悪魔と契約してるやつとか、空飛べるやつとか」

「東京って凄いんだね…」

 凄い、か。

 ────でも俺は、東京から逃げてきたんだ。

 目を輝かせる彼らにそんな言葉を吐けるほど、俺は空気を読めなくはなかった。

「はいはーい。ホームルームの時間が終わっちゃうからここまでねー。まだ聞きたいことがある人は休み時間に一条くんに直接聞いてください」

 しばらく質問が続いたが、担任の言葉で一旦解放された。教室の廊下側の一番後ろの席が、俺の席になった。

「横山健人だ。よろしく」

 隣の席は、やや恰幅の良い男子だった。横の席の横山、覚えやすい。

 横山は自己紹介もほどほどに「実は助かった」と言う。

 去年生徒が辞めた関係でクラスが奇数になっていたらしい。横山は今年のクラスになってから隣の席の生徒がいなかったから、授業で2人1組を作る度に面倒があったとか。

「当面は迷惑かけるだろうけど、よろしく、横山」

「いてくれるだけで良いんだよ。昨日まで誰もいなかったからな」

 ニヤリと笑う横山、良い奴そうだ。



 放課後になるとすぐ、俺の席を訪れた女子生徒がいた。

 制服である白のセーラー服を纏い、薄い茶のボブカットとキラキラした瞳をしている。

 彼女は人好きのする笑顔を浮かべて口を開いた。

「名前、一条くんって言うんだ」

「…まさか同じクラスとは」

「狭い町だからねー」

 隣で席を立ちかけていた横山が顔を丸くする。

ひなたさん、一条と知り合い?」

「知り合いって言っていいのかな。実は先日、一条くんに助けてもらってね」

 朝見つけた時はお互い驚いた。立ち上がって「あー!」とか言われるベタな展開にはならなかったが。

 彼女は陽という名前らしい。

 横山に説明する。

「家の近くを散策してたらコケてたから手を貸しただけだよ。大したことじゃないから名乗らなかったんだ」

「そう!名乗らなかったんだよ!私としてはお礼の一つくらいしたかったのに!」

 ばん。俺の机が叩かれた。横山が驚いて小さく跳ねた。

 陽は、怒ってこそいないが鼻息荒くしている。

「同じクラスになったのは神様のお導きだよ。折角だから学校とか町中とか、案内させてくれないかな。それでお礼になるかは分からないけど」

「俺としてはお礼が欲しくて助けたつもりじゃなかったんだけど…」

 チラりと教室内を見渡す。

 一瞬、さざ波が立つような感覚があった。

 今日1日で都合数回あった授業の合間の休み時間、俺は積極的に話しかけにきたり、質問しにきたりするクラスメートとの会話に応じた。最初は相手の名前を覚えるだけで精一杯だったが、慣れてくると周りが見えるようになってきた。

 気付いたのは、陽がクラスの中心だということだ。

 顔見知りだから目に付いたのではなく、目に付いた場所に彼女がいた。

 いつも誰かと楽しそうに話をしていた。昼休みは囲われるようにしてグループができていた。

 これが俺の転校初日でなければ、もっと周りに人がいたのかもしれない。

 明るく、感情豊かで、社交的。

 そんな彼女が俺に全く話しかけなかったことが、どこか不自然ですらあった。放課後になって話しかけてきたが。

 あるいは、クラスメートの中にもそれを気にしていた人間がいたのだろうか。

 ────いや、もう考えるのはやめよう。

「お言葉に甘えて助けてもらおうかな。よろしく」

「任された!」

 可愛い女子が案内してくれるというのだから、従っておけばいいのだ。俺は現金であることにした。

「今日から案内するから、分からないことはなんでも言ってね!あ!自己紹介、まだだった」

 人のこと言えないね、と頭をかくと、彼女は姿勢をただす。

「私は陽杏子ひなたきょうこ。杏子って古臭い名前だけど、神社の子供っぽいから気に入ってるんだ。気を使ってくれてるのか陽って呼ぶ人が多いけど」

「よろしく、陽…さん」

「えぇー、折角だしさん付けなんてやめようよ」

 何が折角なのだ。

「それなら陽、で」

「うん、よろしい」

 陽は名前でなく苗字らしい。そして神社の子供らしい。

「道理で神のお導きな訳だ」

「私、割と神様信じてるからさ」

 神社の娘が割とで良いのか。

 陽はそれじゃあ準備するから待ってて、と自分の席に戻っていった。

「え、今から?」

「今日からって言ったよ?」

 そして町中を案内するという陽に連れられて学校を出た。

 学校────県立堀米高校は、ちょっとした丘の上にある。東にある山を左手に、南へと丘を下っていく。

 長川市堀米は、見るからに地方の田舎町だった。学校の周囲はポツポツと民家が並び、残りを田や畑が埋めている。

 さて、案内という名目はあるが、女子と男子が二人きりで歩く。これはデートと言っていいのか?

 陽は町を案内すると言ったが、具体的にどこを、とまでは言及しなかった。

 ただ最初に俺の家の場所を聞いてきた。

「一条くんの家ってどこなんだっけ」

「一昨日、陽と出会ったあたり。あそこまで行けば流石に帰れると思う」

「りょーかい!ん〜、駅から遠いなー…」

 陽は少しの間腕を組んで悩む素振りをしたが、

「ま!なんとかなるね。門限とかある?」

「転校初日にあまり遅くなるのは勘弁してほしい。家の人が心配するから」

「それもそうだね。それじゃ、ついてきて。れっつごー!」

 明るく声を上げた。

 それからは二人で夏の日差しに照らされた道を歩く。

 汗がダラダラと垂れる。

 田舎は涼しいものだと勝手に思っていたが、幻想は打ち砕かれた。というか下手したら東京より暑いんじゃないだろうか。

 陽に聞いたら、私も東京の方が暑いと思ってたー、だそうだ。

 道路は流石にアスファルトだが、高低差がある。ちょっとした勾配を登ったり下ったりの繰り返しが、暑さを加速させている気がする。

 今思えば、高校の設備がしっかりしていたのは救いだった。校内はあまりに快適で、学校生活1日の大半は暑い思いをせずに済みそうだ。ここでも俺は田舎の高校は設備が悪いと勝手に思っていた幻想を砕かれた。砕かれて良かったが。

 暑い中を歩くのが苦痛でなかったのは、半分は景色が新鮮だったからだ。

 周囲には山と田畑ばかりだが、ビルばかり立ち並ぶ街に生まれた俺には新鮮だった。遠くの山はずっと見えるのに、坂道のせいで手前の景色がすぐに変わるのも良かった。

 道端に落ちた枯れ葉を拾った時には流石に陽に笑われた。我ながらはしゃぎすぎた。

 もう半分は、陽との会話だった。

 陽は神社の子供だということが関係するのか、この町の歴史について詳しかった。

 どうして堀米という名前になったのかに始まり、元々は堀米町だったのが合併して長川市に吸収されたという最近の話まで、陽先生の堀米の歴史の授業は続いた。気付けば20分ほどが経ち、俺と陽は堀米駅の前にいた。

「つい語っちゃった。ごめん、退屈じゃなかった?」

「面白かったよ。マジで」

「良かった〜」

 陽はホッと息を吐いた。堀米のことになるとつい語ってしまう癖でもあるのだろうか。

「この町の人でもそこまで詳しい人ってあまりいないんじゃないの?」

「そうかも。ほら私、堀米が好きだからさ」

「良いと思う。転校生に初日に聞かせるにはヘビーというか、いきなり陽のオタクっぽいとこ見せられて困惑はしたけど」

「ちょっと〜!」

 恥ずかしいと言わんばかりに俺を軽く叩く陽。冗談だと通じて良かった。

「で、どうして駅?」

「堀米で唯一栄えてるとしたら駅前だからね」

 胸を張る陽、それ本当にドヤるとこですか?

「取り敢えず駅の場所を覚えてもらって、そしたら周りに色々あるからさ」

 陽の言う通り、堀米駅前は比較的人気があった。高校の近くから駅に向けて歩くほど田畑の面積は減っていったが、気付けば3階ほどの高さのビルや店、民家ばかりが並んでいる。地形も平坦だ。

 陽は指を差してあっちには書店、あっちの方にスーパー、パン屋はそっちと俺が行く可能性のありそうな場所の大体の位置を教えてくれる。

「今度一緒に回ったっていいよ。一軒ずつ行ってたら今度だけじゃ足りないかもね」

「今度?今日は終わり?」

 陽が駅から翻る。俺は陽に続いて大通りを曲がって細い路地に入った。

 太陽が傾いているのもあり、路地はビルの日陰になっていた。そして閑静だった。駅前でも一本曲がれば人気がなくなるのが、田舎という感じがした。

 2分ほど歩いてから陽が足を止めた。

「ここ、お気に入りなんだ」

 赤レンガのビルの1階、黒い扉を開ける。

 そこは、カフェだった。

 涼しい店内。独特な木?の匂い。落ち着いた雰囲気の洋楽が流れている。

 客は他にいないようだ。陽は慣れた様子で店の一番奥のテーブルに向かう。向かい合って席にかける。

「ここ、良いでしょ」

「超チルい。落ち着いてて良い。隠居した後にこういうカフェ開きたい」

「なにそれ」

 陽はふっと笑みを漏らすと、俺に向き合った。

「どうせだから、お話しようと思って。二人きりで」

 どうやらデートの本命はこれから、らしい。

 折角のカフェなので、ということで注文をした。オムライスやサンドイッチといった食事からパフェなどのデザートまでそれなりに種類があった。いかにもマスターな男性が給仕してくれたので、二人でお礼を言った。

「ここまでは私ばっかり話しちゃったし、今度は一条くんの番かな」

 陽がティラミスアイスを崩しながら言う。

「答えられるか分からないけど。何か聞きたいの?」

 俺のはメロンソーダ。バニラアイスが乗ってるやつ。

「そうだなー…」

 陽は楽しそうに悩む。そんなに俺の話が聞きたかったのか。

「まず、確認なんだけどさ。一条くんって…魔法少女?」

 メロンソーダを吹きそうになった。

「いやいや…。そもそも俺、男」

「否定になってません!…本当に魔法少女じゃないの?」

「違うっての…」

「そっか、残念…」

 本気で残念がっている。なんで?

「魔法少女だって勘違いさせるようなことあったっけ」

「なんとなくだけどさ、一昨日会った一条くんって、今日会った一条くんとは雰囲気が違う気がして。ほら、魔法少女って、正体がバレないように魔法がかかってるんでしょ。もしかしたらそれなのかなって」

「認識補正ね。アレって変身前の魔法少女を守る為とか言われてるけど、本当に変身したら顔を見ても誰かわからないんだ。仕組みはわからないけど」

「魔法だから仕組みは分からないでしょ」

「確かに。────で、陽は今朝、俺を見て『一昨日のあいつだー!』てなったでしょ。ということは正体がバレてるから、逆説的に俺は魔法少女じゃない」

「ギャクセツテキ…」

「そもそも男だし」

 陽は納得したと思われたが、そこで気付く。

「あれ?じゃあなんで一条くんはクラスメートに魔法少女がいたって知ってるの?おかしくない?」

「それは…」

 少し答えづらい質問がきた。

 …まあ、本当のことを言ってもいいか。アイツだし。

「その魔法少女が、馬鹿だったんだよ」

「……馬鹿?」

 陽が今度は豆鉄砲を食らった鳩になる。情緒が忙しいな。

「そいつは、変身してない状態で自分が魔法少女だってバラしたんだ。認識補正で正体が秘密にされてるのに、わざわざ」

「変身中にしか発動しないんだ、認識補正は」

 俺は馬鹿にした元クラスメートにごめんなと心の中で謝った。

「その魔法少女の子のこと、詳しく聞いてもいい?」

 存外、陽の興味は俺のクラスメートの魔法少女に移った。

「俺は特別仲が良かった訳じゃないから。魔法についてとかは全然知らないけど」

「その子がどんな子だったかとか、そういうので良いからさ。教えてほしいな」

「どんな子、か。そいつ…仮に日野とでもしようかな。日野は、明るいタイプだったよ。あとちょっと無神経」

「無神経?」

「なんていうか…周りの空気なんか無視して、全部明るくしてしまう…的な」

「意外だね」

「逆に陽の中での魔法少女ってどういうイメージなの」

「勿論明るいとかキラキラしてるとかはそうなんだけど、もっと思いやりがあるというか、空気は読むと思ってた」

「アイツに空気読むって言葉は無縁だろうね」

 思わず鼻で笑ってしまった。

「え、やっぱり一条くんってその日野て子と仲良かったでしょ?」

「そんな訳ねえだろ。絶対ない」

 思わず口調が強くなったのが、かえって陽に怪しく映ったらしい。

「何か隠してる気がしたんだよねー。ほらほら、仲良かったんでしょ?別に私も魔法少女を危険に晒したいとかじゃないからさ。本当にその子のことだけで良いから。もっと教えてよ」

「────本当に仲良くなかったんだよ」

 しかしそんな陽も、俺の言葉に滲み出た深刻さを感じたのか、それ以上は追求してこなかった。

「…ごめん、ちょっと鬱陶しかったよね」

「俺も誤解を与えるような言い方して悪かったよ」

 ここまでの会話で一つはっきりしたことがある。

「陽はさ、俺なんかじゃなくて魔法少女に興味があるの?」

「わかる?」

 ペロっと舌を出す陽。ひょっとすると彼女は魔法少女に相当執心なのかもしれない。俺から魔法少女の話を聞く為に町の案内まで買って出たとすれば、相当なものだ。

 気付けば、ティラミスアイスはなくなっている。

「小さい頃から憧れだったんだ。誰にも頑張ってることも知られないで、それでも可愛く強く戦い続ける魔法少女」

 陽は、目の前の俺ではない、どこか遠くを見ている。

 そこに何が浮かんでいるのか、俺に知る術はない。

「私の憧れの、魔法少女はこんな田舎にはいない。でも私は神社の子で巫女だし、お役目を捨ててまで東京に行くことはできなかった」

 どこか虚ろなまま、しかし穏やかな口調で、陽は続ける。

「高校の3年間が終わったら、もう魔法少女になれることはないと思う。だから私は、やれることをしなきゃいけないの。最悪ここを捨てて東京に行く…とか。堀米で魔法少女になれるのが一番だから、今はその方法を模索中」

 あるいは、これこそ彼女の素なのではないか。

 過ったそれは、しかし確かめるほどのことでもなく、思考の流れに溶けて消えた。

 俺が炭酸の抜けかけたメロンソーダを飲み終わると、二人でカフェを出た。帰りはあまり会話がなかった。

 駅から離れ、家の近くまで歩いてきた。

 何もない、ただ田だけが広がる景色にポツリポツリと民家が、そして地平を覆うように緑の山が見える。

 俺と陽が出会ったのはもう少し西の竹林だったが、虫刺されが怖いということでそこまでは行かなかった。

「陽。わざわざ送ってくれてありがとう」

「どういたしまして。一条くんが家に帰れなかったら私も困るから」

 気付けば、人好きのする笑顔をした、教室の陽になっていた。

「陽の家、この辺?」

「ううん、どっちかというと高校の近く」

「二度手間じゃん。ほんと、ありがと」

「だから気にしないでってば」

 陽はそれじゃあ、というと軽く手を振って背を向けた。

 俺はせめて見えなくなるくらいまで見送ろうかと思い、────彼女が身を翻してこっちに駆けてくるのを見た。

「言い訳、してなかった!」

「…何の?」

「私ね、優しく生きていこうって思ってるの。だから、一条くんに学校を案内しようって言い出したのは優しさであって、下心があった訳じゃないよ」

 俺は特に言うこともなくて、続きを促す。

「だけど、駅前を案内しようと思ったのは優しさじゃなくてさ。だって、仮にもデートだったし」

 傾いた西日は、しかし夕焼けにはまだ早い。

 陽は息を整えると、俺にゆっくりと歩み寄る。

 お互い、汗をかいていた。陽からは、柑橘の匂いがした。

「あのカフェも、誰にも教えてない秘密基地みたいな場所だったんだよね。マスター、私が人を連れてきたから驚いてたな」

「…そこまでして、陽は魔法少女になりたいの?」

 答えはない。

 陽が、近付いてくる。

 俺は、動けなかった。

 距離が縮まる。互いの身体の熱が、相手に伝わるほどに。

「さて、なんでだろうね」

 汗ばんだ耳に、囁く吐息がかかる。

「助けてくれて、嬉しかった。ありがとう」

 俺の身体は、しばらく動かなかった。

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