第62話 パンデミックはどこへ行った?

1918年(大正7年)7月


衆議院議員となって最初に与えられた仕事は、父の補佐役として新設された「国防委員」に任命されたことだ。

これは陸海軍の今後の戦力構成と軍備について、総合的に検討して陸海軍へ指導・決定する強力な権限を持った役職として設定された。

俺と父は近い将来に陸海軍の上位組織を作ろうと考えているので、そのための布石とも言える。

この世界に来てから今まで常に父の陰に隠れていたようなものだったが、これからは積極的に自ら行動しよう。


まず手をつけねばならない事は戦車の性能向上と陸軍の近代化で、その為の研究予算申請も行わなくてはならない。

日本陸軍の精強さは揺るぎないが、大陸国家とは違う為、現状の開発はゆっくりしたものだったからだ。


海軍においては、航空機の研究に予算を注ぎ込み、早急に各種艦上機や魚雷などの開発を行わねばならないし、あの大艦巨砲主義を完全に葬り去るような建艦計画も立案せねばならないだろう。

1隻の超弩級戦艦を造るカネと資材が有れば2隻の超大型空母か、5隻の大型巡洋艦、または10隻の大型駆逐艦が建造可能だし、乗組員もそちらに回せるからな。

このまま建艦競争には参加しないで日本独自の路線を考えよう。


戦車の性能向上は一気に進めたいところだが、現実の技術や素材が伴わないから無理な部分で、陸上自衛隊の10ひとまる式戦車のような高性能を得るには、それこそ「10年どころか100年早いわ!」という状態だ。


先は長いな…うん?いや、待てよ。。。

未来の戦車デザインは写真や映像で見て知っているのだから、形だけ10式戦車を真似るというのはどうだろう?

いわゆる「張子の虎」だ。

この時代の基準で比較したらとてつもなく巨大な戦車だし、強そうに見えるから悪いアイデアでは無いんじゃないか?


そもそも本気で戦争したいなら、実際より故意に性能を低く発表し、戦争を避けたいなら実際より強く見せるというのは兵法の常道だろう。

史実でも日本海軍は日露戦争開戦前に同様の考えで建艦したり購入したはずだ。

つまりロシアとの戦争を覚悟した段階で、艦艇の速力性能を敢えて低く発表していた。

そして実際に戦端が開かれると、常にロシア艦より優速だった為にロシア側は驚いただろう。

そうやって虚実を織り交ぜるのが、戦争や外交であり政治というものだ。


うん!面白いな!


そんなコケオドシ部隊が一つくらいあったってバチは当たらないだろうし、ソ連やナチスドイツへの威嚇にも使えるだろう。

謎に満ちた有力な予備兵力が後方に控えていると誤認してくれればしめたものだ。

そもそも日本陸軍の精強さは全世界に知られている事実だからバレにくいしな。

それに例えバレても次の欺瞞工作に利用できるし、やってみる価値は有るだろう。


あまり重視してこなかったが、未来のデザインを知っているという事は相当なアドバンテージがあるんじゃないか?

テストに例えてみたら答えを知っている。みたいな感じか?テストの内容によるが。


これは試しにやってみるとして、実は次のアイデアとしては、強力なエンジンとサスペンションが開発されたらという前提条件付きだが、近い将来に海軍の対空砲に採用されるはずの45口径十年式12cm高角砲を、戦車用に改良した主砲を搭載した車両は製造可能だろうと算段している。

その次の段階では更に進化した史実の「秋月」型防空駆逐艦の主砲。

65口径10cm砲、俗に言う「長10センチ砲」は高初速・長射程となかなか優秀だったから、戦車用に流用するというのも検討してみよう。

ちなみに砲において口径とは正しくは口径長といい、砲身の内寸(砲弾の太さ)に対する倍率を指す。

だから65口径10cmとは65×10センチで6.5メートルと、10式戦車の主砲より1メートル以上も長いから、取り回しに不安があるが。

しかし破壊力は凄まじいものになるのは間違いない。

陸上における無敵の帝王が誕生するだろう。

どれ程の車体重量になるか不安だし、どちらも時間はかかるだろうから長い目で見るしかないな。


そしてデザインを知っているというアドバンテージを活かして、海軍関係ではアメリカとの関係が悪くなったら木造の戦艦「大和」を10隻ほど作って浮かべるのもアリだな!

遠目ならまずバレないだろう。

宮内省御用達の宮大工に任せたらいい仕事をしそうだし、金箔はアレだが一部を漆塗りにしてみたら豪華に見えるだろう。


ついでだから思い切って架空の超大型戦艦も作ってみようか?

基準排水量30万トン、全長450m、全幅80m、全高80m、60万馬力、6軸推進、速力35ノット。

主要兵装は60口径60センチ砲四連装4基16門装備なんてスペックを標榜する超々巨大型戦艦モドキを造ったら全世界がひれ伏すだろう。


そうだ!せっかくだからそれを2隻作って艦名は「美濃」と「尾張」と命名しよう。

続けて読んだら「みのおわり」だ。

日本に騙されて対抗艦を真面目に作ってしまったら、アメリカの「身の終わり」を招くというキッツイ洒落だが、能天気で大雑把なアメリカ人が気付くとは思えない。

いや、もしかしたらナチスドイツの方が先に引っかかるかも知れない。

良いな!少し楽しくなってきたぞ。

史実の「大和」型でも1隻あたりの建造費が1億5000万円、2隻作れば3億円。

当時の国家予算が45億円ぐらいだから国家予算の6%を使ったわけだ。

これが10隻となると、対抗艦を造ってしまった際に財政に与えるインパクトは、アメリカにとっても負担となるだろうし、更に「大和」型より排水量で5倍の巨大な化け物クラスの戦艦となれば、例え技術的に建造可能であったとしても、日本では史実より発展した現状の国力でも建造不可能だし、2隻造ってしまったらアメリカだって国が傾く計算で、まさしく「身の終わり」だ。仕掛ける値打ちはありそうだぞ!


………俺は何を馬鹿な事を考えているんだ…


ちょっと浮かれすぎだな。

気を付けよう。


「大和」モドキと「身の終わり作戦」はどうしようもなくなったら考えることにして、そんな事よりもっと現実的なことを考えよう。


現状を見渡すと、世界では第一次世界大戦がようやく終わったのに、早々と英米間で戦艦の建艦競争が再開されているが、日本は巻き込まれないようにしないといけない。

カネがいくら有っても足らなくなるし、とにかくこれから最初に必要な軍艦は、拡大した海上交通路を防衛するための巡洋艦と駆逐艦、次いで大型空母と潜水艦だ。

それから陸軍から要請が上がってきていた輸送艦の問題もあったな。

ヨーロッパに派遣した陸上部隊10万人を運んだ大型輸送艦50隻だが、今後の使い道が無くなって困っているみたいだから活用方法を考えないと。


その次に国防上の喫緊の問題として、無いに等しかった情報部門の強化策を行う必要性があったので、明石大将を総裁とする諜報・情報収集部門を設置した。名称は内閣特命担当室。略してNTTだ。


決して電話ばかりしている部門ではない。

内閣総理大臣直属の諜報活動部門で、部門名も役職も出来るだけボカした名称にした。

諜報対象は多岐にわたるが、ソ連とアメリカ、国内だと共産党の残党と右翼、秘密結社の類、そして陸海軍が対象だ。


また明石大将は日本国内において、ボリシェビキの魔の手を逃れて避難してきたロシア人だけで構成された同様の諜報機関も設立・掌握してもらった。こちらの名称は内閣北方協会。略してNHKだ。

こちらもどこかで聞いたかも?と思う人間はこの時代にはいないので安心だ。

この組織の"業務内容″はNTTに比べてより実戦的で、日本国内に滞在する外国人の動向調査、ソ連とアメリカに対する諜報・謀略・破壊工作、そしてロシア国内に潜伏しているであろう共産主義者対策関連だ。


アメリカに対しては、ウィルソン君たってのご要望である民族自決を推進する為、密かにアメリカ国内の独立運動を支援するようにも指示を出した。

想定する対象地域は、フィリピン・ハワイと南部諸州に加えて、ネイティブアメリカンの皆さんだ。

将来的にこのうちどれか一つでも表沙汰になると、F・ルーズベルトの足元に火がつく事になるな。

極端な話としては実現させる必要はない。

アメリカ国内の動揺を誘い、政権に打撃を与えて四選を防げば成功だし、もし独立が成就したらそれこそ望外の大成功だ。


まあフィリピン独立は史実だと時間の問題だが、アメリカの残虐行為はプロパガンダしておかねばならない。

自分達アメリカ「だけ」は正義のヒーローだなんて態度は絶対に認めない。

英仏に負けず劣らず、その手は赤く染まっている事実をアメリカ国民の皆さんに教えてあげよう。

上手く行けばベトナム戦争当時と同様の厭戦気分を醸成させる事は可能だろう。


スパイ養成機関は中野に作ったから、後世「陸軍中野学校」と呼ばれるようになるだろう。

明石大将はやはりこういった任務が適任だったみたいで、水を得た魚の如く張り切って仕事をしている。

それは良いのだが、明石大将は内閣総理大臣というより近衛家に忠誠を誓っている感じがして、ちょっとマズイんじゃ無いかと感じている。


そんなこんなで1918年のお盆を迎えたが、俺は少しの時間を見つけてはオリガさんとデートを重ねている。

本当に彼女はとても聡明で、気立がよく、おおらかな性格で、俺とは相性が抜群だと感じているし、彼女も俺を受け入れてくれているように感じる。

俺の一方的な思い込みかも知れないが…


あと嬉しい誤算としては今年の流行を覚悟していた「スペインかぜ」のパンデミックの話が一向に出てこない事だ。

史実では今年春に始まった「スペインかぜ」と呼ばれるインフルエンザのパンデミックは、ペストと並んで史上最悪の疫病の一つとされている。

以前に何回か触れたが、当時の世界の人口は15億人、罹患者5億人で死者が5000万人だ。一説には1億人が犠牲になったという話すらある。

少なく見積もって致死率は10%に達する恐ろしい病気だった。

はじめは単なる風邪だと思っていたのに、症状が急激に悪化し肺炎を起こして、あっという間に死に至る。街は病人や死にゆく人々で溢れかえった・・・

まるでホラー映画かゲームや小説の中の出来事のように聞こえるが史実だから恐ろしい。

スペインかぜは1918年の秋にピークに達したが、1920年まで猛威をふるい続けた。

第二波となった1919年の致死率は特に高かったらしい。

最終的に1920年から21年の冬に再流行したものの、致死率ははるかに低く、季節性インフルとほとんど区別がつかなかったみたいだ。

多くの人が感染によって免疫を獲得し、パンデミックが波状的になるにつれて、ウイルスも弱毒化していったと言われているが真実は不明だ。

1933年に電子顕微鏡が登場するまでウイルスについてあまり知られていなかったので、スペインかぜの原因は20世紀初頭における最大の謎だった。

以前も触れたように若年層の多くが罹患したため、戦場へ送り出す兵士が足りなくなって大戦終結が速まったという説すらある。


日本でももちろん被害が大きく、著名な犠牲者としては皇族はじめ、島村抱月、大山捨松、辰野金吾といった人たちに加え、明石元二郎も犠牲者だと言われている。


世界中で大流行したにもかかわらず「スペイン」かぜと呼ばれるようになったのは、第一次世界大戦という特殊な環境下で、報道にも検閲があり自由に報道が出来なかったという事が挙げられるだろう。

1918年5月後半、当時のスペイン国王がこのインフルエンザに感染した際に、スペインでは大きく報道された。

スペインは軍事的に中立国だったので、インフルエンザに関する報道は規制されておらず、国王の症状も含めてインフルエンザ流行が最初に報道されたのがスペインだったため、その後に続いて起こった世界的大流行の発生源がスペインであると誤認され、“スペイン・インフルエンザ”と呼ばれるようになってしまったのだ。

この点は非常に気の毒に思うのだが、もう夏を過ぎて秋に向かう頃なのに現時点でスペインからこのような報道は出てきていないし、他国も同様に病気の話など一切出てきていない。


なぜだ??


スペインかぜの発生源はどこだったのか?については様々な説があった。

最初は、ヨーロッパの戦場だと言われていたが、第一次世界大戦終結から10年以上経って、米国のカンザス州が起源だったとする新たな説が登場し有力視される。


という事は発生源はアメリカだったわけだ。


更に遡って「あの国」がもともと発生源で、戦争の後半から参戦し労働力を提供するようになったから、その結果10万人前後の人間が海を越え欧米に渡った為、その中に感染者が混じっていて拡がったという説もある。


しかし、この世界ではパンデミック前に戦争が終結して人流が劇的に変化したからか、どこの国からも疫病の話は出てきていない。

喜ばしい事だと単純には思うけれど、そうすると逆に史実では発生しなかった未知の疫病が蔓延する恐れはあるわけだし、本当は亡くなったであろう若者が5000万人から1億人も生き延びる事になったわけだ。

もう本当に俺の知識は通用しなくなり、予測不能な未来だけが残されたことになるな。

これからは細かい事はあまり深く考えずに俺の理想を追い求めて頑張ろう!


それにしてもスペインかぜ対策が無駄になったかな。

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