第21話 自殺計画初日~少女の場合~
『自殺計画』では、一日で一人の人間を説得することになっている。
一人の外国人の排除には成功したが、あれは説得とは言い難かった。
もしかすると今日の夜にでも彼女は東尋坊で自殺をするかもしれない。そんな最悪なケースもありえる。
ただ、それは過ぎた話。気にしてもしょうがない。
俺は今、出来ることをやるだけだ。
最初の説得は少女にすると俺は決めていた。
理由はシンプル。自殺場所の希望が明確で御しやすそうだったからである。
まずは難易度が簡単な者から気が変わらぬうちに排除するべきだ。
そう考えて、俺は少女に会いに行くつもりで外出をした。
だが、学校前まで行くも、絶賛授業中で誰もおらず。
よって、俺は学校の下校時間になるまでは別の目的を果たすことにした。
簡単なデータ入力、出来高制、在宅オッケー。
日雇いアルバイトである。
それをレトロな風情のあるカフェで、パソコンを広げては、もそもそとやっている。
皆まで言わずともカフェで仕事は情報漏洩が云々で推奨されない。
が、これは俺の自殺計画と金策を両立するために必要なことである。
カフェは少女の通っている学校……私立明都中学校、その校門の真ん前にあるのだ。
これで下校し始めた時にすぐに気づくことが出来る。
少女が帰るまで家で待機する方法もあるが、なるべく説得はサシで行いたかった。
また、少女には世話になった分、金を払わなければならない。
現在使用しているノートパソコンも昨夜、少女から借りたものだ。
どれほど借りを作ったのか分からない。
その分を金で返すために、俺は働かざるを得ない。
厳密にはこの数日で東尋坊から自宅へ帰る交通費を貯めて、家から資金を抱えて帰ってくる算段。
俺は頼んだコーヒーを一口だけ飲んで顔をしかめる。
苦いものは苦手であり、だからこそ最小限のスピードで飲み進め、このカフェで長い時間粘り続けることが出来る。
俺の巧妙な貧乏戦略であった。
そうしてキーボードと格闘して数時間、ちびちびと飲んでいたコーヒーも底をつき、そろそろ店員の目が痛くなってきた現在、午後三時を回ろうという時、ちらほらと出ていく生徒の姿を確認した。
大抵、こういう時に一番乗りに出てくる生徒はやんちゃな男子であり、学生バッグを肩に掛けては元気そうに走り回って学業から解放された余韻の塊である下校という時間を楽しんでいた。
そんなクソガキを何人か眺めているうちにやがて、ひときわ目立つ男子集団が現れた。
数は五人。全員、ゲラゲラと笑いながら後ろ歩きで走っている。
一番に気になったのは学生バッグの数である。集団のうち、真ん中に位置する奴が一つのバックを頭の上に抱えては、自身の肩にもう一つぶら下げている。他の四人は一つずつ持っている。
五人に対して六個のバッグ、皆後ろを見て走っている。
そこから導き出される結論は、頭からよりもすぐに視界から繰り広げられた。
一人の女子が遅れて校門から出てくる。女子はバッグを持たずに走っていた。
活発だからではない。何かを叫びながら男子たちを追いかけている。
問題なのはその女子が俺が探し求めていた人間と同じ容姿をしていたことである。
……という訳で、慌てて会計を済ませて、俺も走ることと相成った。
三分も掛からなかったと思う。
向かった先を真っ直ぐ走っているうちに丁度そこから引き返してくる少女の姿が見えた。
とぼとぼとした足取り。走り疲れたのか、腰に手を当てている。
俺と目が合った途端、少女の表情は驚愕に染まる。
「……こんなところで何してるんですか?」
どう答えたものか。
お前が学校から出るまでカフェで見張っていたと言えば、それは己が不審者であると述べているのと同義だ。いや、実際そうなのだが。
よって俺の返答は――
「散歩だ。そっちこそ何やってるんだ」
偶然を装い、話題を逸らすしかなかった。
怪しいが、少女はそこに気は行かず、代わりに俺の質問の返答に窮しているようだった。
分かりやすく悩んだ挙句、
「私も散歩です!」
ぜえぜえ。
荒い呼吸。
……どこが散歩だよ。
「なるほど」
俺としてはさっきの出来事は見ず、知らずのフリをするつもりではあったが、これはあまりにも。
少女としても自身が矛盾していることに気づき、なんとも恥ずかしそうな表情をしていた。
それも長く持たず首をぶんぶんと横に振った。
「すみません、嘘です。走っていました」
「そうか」
家へと足を向ける。すると、少女が俺の横に並んできた。
しばらく無言で歩く。
自宅の方面に向かうとはすなわち学校方面に戻ることであり、多くの生徒が見当たる。
……見当たるたびに目が合う、何度も。
失態に気づいた。
「……悪い」
「何がですか」
「悪目立ちしている」
女子生徒が、私服の怪しい男と下校している所を他の生徒に見られるのはまずい。
俺は困らない。だが、少女はどうか。変な印象を持たれて、迷惑を掛けることになる。
「別に気にしてませんよ」
「この借りは三日以内に金で返す」
「いいですって、借りなんて。……周りからどう思われようと変わりませんから、私なんて」
不穏な台詞。
俺はやはり、こう答えるしかない。
「そうか」
途端、少女は吹き出した。
「変な人ですね」
「何だいきなり」
「学校での私の立場を心配するのに、その内情を深くは訊こうとしないところが変です」
「……プライベートの話を詮索するつもりはない。心配しているつもりもない」
「そうでしょうね、あなたはずっとそのスタンスですもんね」
少女はけらけらと笑った。
さりげなく肩に掛けているバッグを見やる。
男子たちに乱暴に扱われていたからか、少し形が歪んでいた。
……さっき目撃したアレは明らかに厄介事。
そんな大事を他人である俺なんかに相談したかったとでも?
ありえない。
よせばいいのに、その感情が俺の言葉として口から吐き出されていた。
「俺からすれば、変なのはお前だ」
「そうですか?」
「お前はなぜ、俺を泊め、あいつらを泊め、うどんを作り、朝飯を作る」
「なぜ、ですか……うーん」
言葉を探すようなような間の後、答えた。
「可哀想じゃないですか」
「アホ」
「いきなり直球の悪口言わないでください!」
「いや……なんかアホっぽい答えだったから」
「あなたのそういう口が悪い所、嫌いです」
ぷいっ、と外を向いた。
初めて出会った時にも似たようなことを言われた気がする。
「それも、分からんな。なぜ、そこまで口の良し悪しを気にする」
「私を捨てた親を思い出すからです」
あっさりと。顔を外に向けたまま。
……やらかした。
「そうか」と済ませるにはいささか無責任がすぎる。
間合いを誤って踏み込んでしまった。最低限、いくらか言葉を交わさなければならない。
しかし気を遣って言葉を選ぶのは苦手だ。正直に訊くことしか俺にはできなかった。
「親が……嫌いなのか?」
「一度だって名前を呼んでくれなかった親を好きになれる訳がないです」
親に名前を呼ばれたことがない……か。
そんなこと、ありえるのか。
俺の心情を察したのか、少女は続けて答えた。
「わたしに涼帆という名前を名付けてくれたのは、叔父です。親は名付けず、育てず、全て叔父に任せていたそうです」
俺は何も言えなかった。下手に慰められるものでもないし、生返事をしてごまかせるものでもない。ただただ惨い現実を聞くことしかできなかった。
ただ、一つ導き出せたことがある。ずっと気になっていたが今まで口に出したことはなかったことだ。
「だから、お前、名字で呼ばせる気がなかったんだな」
思い出す。確か、家の表札には「月島」とあった。
だがこの少女はずっと自己紹介をするときに「月島」ではなく、「涼帆」だけを教えていた。
その理由は、多分親と同じ名字で呼ばれたくなかったからだ。
視線を感じる。隣から少女が俺を見ていた。意外そうな顔で。
「なんだ、間違ってたか」
「いや、合ってます……けど」
両手の人差し指を合わせる。くねくねと身体も揺れていた。
「意外と人のことちゃんと見てるなって思っただけです」
なんだそれは。
「誰でも気づくだろ」
「他の人に指摘されたこと、ないです」
「……そうか」
「……そうです」
無言が出来上がる。重苦しいものではなく、フワフワしているような。
おい、何やってんだ俺は。目的を忘れるな。こんなお涙頂戴エピソードなんか聞いている場合ではない。しっかりしろ。拳を握り締めて渇を入れる。
「それで、自殺はどうするんだ」
俺の空気を感じ取ったのか、少女も顔を引き締めた。
「どうするって」
「自殺する意思は変わらないよな」
「……楽に死ねるなら死にたい、です」
前と言っていることは変わらない。しかし、少しの躊躇が伺える声色だった。
それが自殺の痛みに対する嫌悪か、別の理由で自殺する気が薄らいでいるのか、判断がつかなかった。だが、手ごたえは悪くなさそう。
「そうか。それなら調べてある」
俺はポケットから四つ折りの紙を取り出し、渡した。カフェの中でインターネット、本、様々な資料を用いて痛みなく自殺ができる方法を調べ、メモしたものだ。インターネットは借りたパソコンで、本は自室の本棚にあった痛覚と死に関する研究論文などから。
少女は紙を受け取り、開く前に俺に尋ねた。
紙がくしゃりと歪んでいた。
「……いいんですか」
「何が」
「あなた、言ってたじゃないですか。自殺の方法は自身で考えるべきだって」
「あんなのはただの俺の思想だ。お前が気にしないのならそれでいい」
昨日のあれはつい俺が熱くなって真面目に答えてしまっただけ。撤回とは言わずとも俺に少女の自殺を制限する権利はない。
少女は口を尖らせてむくれている。なんだその反応、こっちはわざわざ調べて来たってのに。
「じゃあ自分で考えるか? 俺はそれでもいいが」
「もういいですっ。ありがとうございますっ。後で見ときます!」
そう言って紙を奪い、ポケットに入れた。
何なんだコイツ。
まあいい。
これで一人説得……ともならない。
簡単に口約束で自殺してくれるなら苦労はない。
「いつまでに返事をしてくれるか?」
念押し。圧をかける。ここは少女にとって悩みどころだと思っていた。
だが、少女の返事は明瞭で、俺の想像外だった。
「それについて、一つ条件があります」
「条件?」
「あなたの言ってたこと忘れてませんよ。昨日、家に泊めてくれる代わりにわたしの要望を聞いてくれるって言ってましたよね」
「言ったが……それと返事の期日は関係ないだろ」
「あります。わたしがこれから言う要望をこの三日間、守ってくれればちゃんと返事をします」
「別にいいが、あまり厳しい条件は……」
「厳しくないです! 誰でもできる簡単なことです!」
自信満々な少女を見てなんとなく予想がついた。
まさか。
「この三日間、ちゃんと名前で呼んでください!」
そのまさかァ~~(オペラ調)
……げんなりした。
「一応聞くが、それはお前だけか?」
「あ、お前って言った!」
「す、ず、ほ、だけか?」
「間に読点つけてごまかすの禁止! もちろん自殺志願者皆さんのことも名前で呼ぶように!」
「……くるしい」
「じゃあ東尋坊で自殺します!」
少女の意志は硬い。折れる気がしなかった。
くっ。
俺は脳内の天秤にかける。
こいつらの名前を呼ぶことと、東尋坊で自殺することを。
理性の秤は一秒で後者に傾いた。
けれど、あまりに嫌だった。寒気がする。気持ち悪い。
だから、俺はブチ切れた。
「そうかよ! 呼べばいいんだろ呼べば! その代わり絶対東尋坊以外で自殺するって誓えよ!」
ブチ切れながら、勢いで了承した。
少女も俺に呼応して興奮していた。
「誓います。わたしは三日以内に必ず東尋坊以外の場所で自殺するか、しないか、かつ自殺するとしてどのような死に方を選ぶかをあなたがくれたメモを参考にして決めます!」
「よし分かった! それでよろしくな涼帆!」
「はい!」
「涼帆! そういえば昨日のハーゲンダッツを冷凍庫に入れるの忘れてた!」
「バカじゃないですか! 即帰って冷やします急ぎましょう!」
「ああ!」
もうやけくそだった。
競歩のごとくスピードで進む異常な二人を、なんだあれはとそれなりの生徒に指差されていたことを知ったのは後の……涼帆本人の談によるものである。
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