第18話 はじめての朝その2

 和室のちゃぶ台には既に少女以外の三人がそろっていた。

 台の上には目玉焼きとレタス、みそ汁、醤油が置いてある。

 これまで一般家庭で幾度となく出されたであろう平均的な朝ごはんである。

 少女はどこにいるかと思えば、台所の炊飯ジャーからごはんをよそっている。


「大盛でな!」  

「はーい」


 じじいが台所に向かって大声を出し、小さな声が返ってくる。


 なんだ、これ。


 台所に向かってみる。

 四個の茶碗。

 ほかほかのごはん。冬の朝、寒さに抵抗するかのように湯気を必死に出し続けている。

 早起きして人数分の量を炊いていることが分かる。

 五個目の茶碗に手を出そうとしているところで少女と目が合った。


「け……」


 途中で言葉を止め、少女は咳払い一つ。


「あなたはどうします?」

「なにが?」

「量」


 ジャーを指差す。


「……なんでも」

「なら普通で」


 少女はささっと米粒の塊を茶碗に乗っける。

 よそった茶碗を一つに集め、お盆の上に乗せ、食卓に持っていった。

 俺は意味も分からず、ついていく。

 円になる。俺から時計回りにじじい、女性、少女、お嬢の順に。

 じじいが勢いよく手を合わせるのを見て、女性と少女も同調するように手を合わせる。

 俺もつられて手を合わせてしまい、お嬢がそれを見て不思議そうな様子でぺちんと真似をした。


 しまった、と思った時にはじじいは唱えていた。


「手を合わせ――いただきます!!」

「いただきます!」

「……いただきます」

「イダ、タキマス?」


 女性は元気に、少女は羞恥を滲ませて、お嬢は疑問形で続いた。

 じじいは豪快にみそ汁に口を付けた。


「まずは味噌汁で腹を温めるのが肝要!」

「それよく聞きますけど、何でですか?」

「知らん」

「知らないんですか……」

「今調べてみたけど、箸を事前に味噌汁で濡らすことで、箸にごはんつぶがついてみっともなく見えるのを防ぐためらしいわ」

「なんで箸にごはんが付くとみっともないんですか?」

「ね。どうでもいいわよね」


 昨日はただ、お嬢のために飯を作らせて、その流れで食っただけだ。


 今日は違う。


「む。この目玉焼き……半熟じゃないかっ! 私はガチガチに固い焼き加減が好きだというのに!」

「す、すみません!  次からそうします」

「あら、私は半熟の方が好きよ」

「分かりました、メモを……あなたが固焼きで、あなたが半熟で……って、これだと誰がどっちだかわかりませーーん!」

「ああ、そうだったな。名を名乗らずに食事とはおこがましいこと甚だしいな」


 じじいが箸を置く。


 ――奇妙な空気が出来上がっていた。


高石和敏たかいしかずとし。みな、年下ゆえ、和敏さんと呼ぶといい」


 じじいが和敏になった。


 続き、女性が正座をした。綺麗な所作。


河原千景かわらちひろと申します。気軽に千景でよろしくね」


 女性が千景になった。

 少女があわあわして箸を音を鳴らして器に乗せては正座をした。


涼帆すずほです! 涼帆と、涼帆とお呼びください!」


 少女はやはり涼帆となった。

 関係性が、赤の他人から知り合いへと変わろうとしている。


 自然と三人の視線が俺へと注がれる。

 その眼差しに含まれる期待に不快感が募る。

 口を開いたまま答えない俺にどう思ったのか、皆、得心した表情を浮かべた。

 女性が笑った。


「説明するまでもないわよね。高石健司さんね。よろしく」

「違う」


 やっと反応できた。

 平静を努める。感情をむき出すな。それは、俺のこれからの計画に支障をきたす。

 穏便に、拒否するんだ。


「このじじいが勝手に言ってるだけで、俺は息子なんかじゃない」

「えっ」


 驚きの声を漏らした。


「自己紹介もいらない」


 その隙を逃さず、全員に目を合わせる。


「数日の命だろ、俺たちは」

「数日でだって名前くらい……」

「足枷になる」


 その一言で俺が言いたいことは伝わっていたようだった。

 そう、こんなのは傷の舐め合いであり……そして。

 一昨日、女が言っていたセリフを思い出し、腑に落ちた。

「ただの馴れ合いだ」

 女性が黙る。


 じじいだけはぐぬぬとこちらを睨んだ。


「そんな捻くれたことを言う子に育てた覚えはないぞ健司! なんだ? なにか学校で嫌なことでも」

「次喋ったら警察に通報する」


 これでじじいも黙らせた。


 少女はしょんぼりとしていた。反論はない。


 破壊された空想の団欒、食卓。

 俺にとってそこに気まずさはなく、寧ろ、してやったりと確かな満足感を得る。

 そのまま毅然と箸に飯をつけようとしたところで、腕を引っ張られた。


「I’m Lynn!」


 そこにあったのは空気の読めていない笑顔だった。

 箸の動きを止める。


「……なんて?」


 金髪の外国人はゆっくりと口を動かす。

 リ、ン。


「あ、そう。ファーストネーム、か。リン?」


 元気よく頷く。何故か、俺たちが自己紹介をしていたことがわかったらしい。

 つい、愛想笑いを浮かべちまった。

 ……周りの目が痛い。

 しょうがないだろ。注意したって通じないんだから。


 後は黙々と箸を進めるだけだった。

 十分後、完食した俺は腰を上げる。


「家主、食費は最終日にまとめて払うってことでいいな」

「……はい」


 少女に確認を終え、食器を運ぼうとした瞬間。

 ガタンとちゃぶ台が揺れた。


「そうだ! 自殺なんかしなければいいのだ!」


 じじいが立ち上がっていた。


「は?」

「自殺は良くないことだぞ! 痛いぞ! 苦しいぞ!」

「当たり前だろ」

「そうだろう。そうだろう。同意してくれるか」

「あんたも自殺志願者だろうが」

「なにを妄言を。私にそんな気はもっとうない! だから、人として自殺は止めるべきなのだ」

「そりゃ正論だな。だが、自殺するってのはそれなりの理由があるから自殺しようってんだ。あんたにそれを解決できんのか?」

「いい質問だ息子よ! そしてこうアンサーしようじゃないか。私だけじゃない、と!」


 和敏は手を真横に広げた。


「千景! 涼帆! リン! 健司!」


 俺への意趣返しのように全員に視線を合わせる。


「一人で解決できないなら皆で考えればいい。どうすれば自殺に至るこの悲劇を食い止められるかを」


 手を縮め、自身を抱きしめた。


「一人が解決すればまたもう一人。そうして支えあう。いわゆる互助関係というやつだ。そう、これこそが――」


 拳を突き上げた。


「――非自殺計画だ!」






 俺は顔を抑えていた。

 恥ずかしい。実に恥ずかしい。

 何が恥ずかしいって、こんなイカれじじいとネーミングセンスが同じレベルであることがだ。

「皆、あまりの感動に何も言えないようだな」


 食卓は、じじいの情熱満載の演説が飲み込み、妙な雰囲気に包まれていた。

 まさに独壇場である。


 だが、そう表現すると語弊があるのでここで訂正させていただく。


「今の話を聞いて、同意した奴は?」


 誰もいない。皆、顔を伏せている。

 そのうち一名は意味が理解できず、のほほんとしているだけだが。

 当然だ。誰が赤の他人と共に自分の愚かな行為に至る恥部を解決しようというのか。


「ありゃ?」


 要するに、浮いていただけである。


「そういうことだ。こいつを警察に送り届けてくる」


 お嬢を連れて、身支度をして玄関に行く。

 なぜか、少女もついてきた。


「本当にいいんですか……それで」

「まだする気か。その話」

「分かってます。分かってますけど、でも……その子に事情くらい説明をしてあげてください」


 見ればお嬢はわくわくした表情でこちらを上目遣いに見ている。

 大方、遊びに行くとでも思われているのだろう。

 罪悪感が心を刺す。


「面倒だ」


 それでも俺は一蹴した。

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