デイドリーマーズ

貴葵 音々子🌸カクヨムコン10短編賞

第一章 白昼夢の怪物

00. トーキョーに咲く花

 寂寥感に支配された街を、夜明けの残星が静かに見下ろす。青々と苔生したビルから溢れる滝が飛沫を上げた。その近くで無残にも横倒しになった街のランドマークたるタワーを無数のツタが覆う。がらんどうになって密林と化した商業ビルから視点を移せば、地面が歪んだ交差点で錆色の乗用車が横転していた。色を失った信号機に絡まる海藻がそれをからかうように、風に踊る。


 倒壊した建物の数がかつての繁栄を黙示する、荒廃した水没都市。

 歴史的な大震災からわずか三年で、東の島国の首都は自然に呑み込まれた。


 喧騒が消え失せた世界の中に、ひときわ緑化の進んだ一帯がある。

 うっそうと生い茂る多肉質な樹木の森に残された大型ドーム球場の残骸。天井は抜け落ちて、太陽が昇れば日当たりは良好だ。手入れが忘れ去られたフィールドには海水が張り、もはや湖と表現した方が近い。津波と地盤沈下の影響だろう。


 ――瓦礫が浮かぶ水面の中心に咲く、巨大な蓮の花。


 この異質な写真がSNSに投稿されたのは、西暦二〇四五年五月の出来事であった。



『何これ? 本当に写真?』

『後ろにちっちゃく映ってるのって、トーキョーのスカイツリーだろ?』

『じゃあイラストかCGじゃね? あそこ、今も立ち入り禁止区域だし』

『なら本当か嘘かなんて誰にもわからないってことだな』

『ファンタスティック!』

『アレセイアって聞いたことないアカウントだね。新人クリエイターかな?』

『とりあえずフォローしとく!』



 この神秘的な投稿について、世界中の利用者が一斉に考察を始めた。

 彼らが特に注目したのは、先端にかけて桃色に染まる花びらの中だ。


 黄金の雄しべの中心にあるのは、台座の形をした薄緑色の花托と呼ばれる部位。そこに生え揃った雌しべの上に、が座っている。


 崩落した天井から肩が突き抜けているのだから、そのが巨大であることは間違いない。しかも胴体から無数に生えた腕が複雑に絡み、祈るように組まれた手が神々しさを放つ。太い首をみっしりと囲むのは十の顔。その半分は穏やかな表情で目を閉じ、残りは鼻や唇の凹凸すらないのっぺらぼうなのも目を引いた。



『これはバズるわ』

『ちょっと不気味だけど、なんか見入っちゃう』

『トーキョーから避難してきたねーちゃんに見せたら、発狂しちゃった』

『復興が進まないのはこいつのせい!? スクープじゃん!』

『バーカ。フェイクだよフェイク。衛星写真見たら一発だろ。情弱乙~』

『なら新手の風刺画か?』

『世界観が高尚すぎて好きじゃない。これが本当の世界だって押しつけられてる感じがして、何か偉そう』



 投稿の発信源である青年が、次々と届く通知をじっと眺める。窓辺の月明りが照らすのは、左にアクアマリン、右にシトリンの輝きを閉じ込めた神秘的なオッドアイ。

 時代遅れな通信端末の液晶を指でスライドしながら、彼は無感動にほくそ笑んだ。それまで見向きもされなかった世界に無数の関心が寄せられている。いや、仕方がないのだが。この状況は自分の望み通りのはずなのに、心は乾いたまま。


 鳴りやまないSNSの通知音と、弱々しい心臓の音を刻む無機質な機械音。照明を落とした薄暗い室内に響くのは、それだけ。

 現在進行形で拡散され続けているトーキョーの景色を写したレンズフィルター――縁に紐を通して首から下げていたそれを握り締めて、色違いの目をすぐそばのベッドへ向ける。

 すらりとした影を伸ばし、青年はベッドの横にそっと膝をついた。そこに眠る人物の手を握って寝具に顔を埋め、瞳を閉ざす。暗闇に満ちた脳裏に浮かぶのは、時を閉じ込める写真のように、いつまでも色褪せない記憶。


 山藤が風に揺れる庭先に並び、隣で笑う君。何度生まれ変わっても、その瞳に自分が映ることはない。

 でも、いつか奇跡が起きたら。その時は暗闇に閉じ込められ続けた君に、この世界の全てを見せてあげたい。そんなエゴにも思える望みを抱いて、ずいぶん長いあいだ写真を撮り続けた。


 そんな虚しい日々も、もうすぐ終わる。


「旦那様、よろしいですか?」


 部屋の外からノックの音と澄んだ声が響く。

「どうしたの?」と返事をすれば、使用人服の女性が扉を開けた。彼女は機械的にも見える無駄のない動作で青年に近づくと、着信ランプが点滅する最新の通信端末を手渡した。


「先ほどから着信が鳴り止みません。ずいぶん熱心に想いを寄せられてるようですね」

「そんなんじゃないって」


 空中に光学投影された着信画面を確認して、青年は「はぁ」と溜め息を吐く。腰にぶら下がる何十本もの鍵がまとめられた鍵束を取り出し、重い足取りで扉へ向かった。

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