第46話


そのとき、お店の扉が開いて「あ、穂高」と一哉さんの口が動く。なぜか妙に後ろめたく、顔が上げられない。グラスに口をつけ、味わうことに集中していれば、不破は軽く私の頭を掴んだ。



「よー」

「……ご無沙汰しております」

「なんで他人行儀なんすか」



不破は当たり前のように隣に座ると、頬杖をついて私の横顔を見つめる。



「ここ来てたのか。連絡したの見てねえの?」

「連絡?」

「家行っていいかって」



自意識過剰なのだろうか。私は1人、一哉さんに聞こえるのではないかと焦って、立ち上がった。



「ちょっと……ごめんなさい、外すわ」

「ああ、どうぞ」



本来の目的はそもそもレストルームにあったことを思い出し、不破に見つかりたくないような後ろめたさを正当化して、店の奥の個室へ向かう。


鏡に映った私に変化はなかった。赤くなっていないし何も緩んでいない。いつも通り、日和を残念な感じにした顔をしている。安堵して、目を逸らした。



レストルームから出ると、ちょうど聞こえてくる。



「そうだ、穂高知ってた? 夏葉ちゃん双子だって」

「双子?」

「そう。後ろの席の2人組のお客様。夏葉ちゃんの双子のお姉さんとお姉さんの婚約者だって」



何となく足を止めた。期待をしないで、と誰かが誰かに願った。


不破は日和を確認したのだろう。ああ、と納得したように呟いて、穏やかな口調で日和を褒める。



「可愛いね」



驚きはしなかった。意外ではなかった。誰の目にも明らかだ。日和は可愛く、愛らしい、魅力的な人だ。


当たり外れの概念は、不破や一哉さんの目を通しても適応されるのだろう。悲しいことではないし、事実として悲しくない。だって、それは当然のことだから。


でも、欲張りでわがままな私が見つかった。欲張りでわがままな私は、私も不破に可愛いって……と望んで、口を覆った。



日和たちのもとへ帰る動線なので仕方がない。不破の後ろを通る。不破は、通り過ぎてしまおうとする私の腕を掴んで足を止めさせた。



「どこ行く?」

「あっちよ。今日は日和たちと来たから」

「双子の?」

「そう。双子の姉なの。向こうのテーブル席にいるわ。姉と姉の婚約者。婚約者の……千尋くん」



不破は私の腕を掴んだまま、奥を窺った。



「へえ。あいつか」



楽しむような口調は、どことなく挑発的だ。


私は不破をまっすぐに見下ろした。



「そう、言い忘れていたけど、私、あなたのおかげで平気になったのよ。ありがとう」

「何が?」

「千尋くんのことよ。あなたが泣かせてくれたおかげだと思うの。すーっと楽になって、過去の恋になったみたい。ありがとう」



顎を引いて頭を下げる。


不破は口の端を曲げた。



「へえ。良かったな」

「あなたのおかげよ。本当に助かった」

「ああ、そう」



不破は無関心な態度で目を逸らす。


その先には日和たちがいる。



「それで、返事は?」

「返事? 何の?」

「家行っていい?」



千尋くんに恋をしていたときはどうしていたっけ。


考える。


欲張りでわがままな私をどう飼い殺していたっけ。


考える。



「……また、連絡するわ」



不破は手を離し、私は逃げるように不破から距離を取った。


日和たちの席に戻ると、日和がにやにやとして私を見つめる。千尋くんまでにやけている気がする。「何よ」と言えば、日和は顔を寄せて囁いた。



「あっちの人ね? 夏葉が好きなのは」

「……違うわ」

「はい、目逸らした。絶対そうじゃん」

「違うったら」

「何を隠すことがあるのー。私たちだって別に変なことしないよ。ねえ? 千尋」

「うん、しないよ」



眉を寄せ、日和を見て、千尋くんを見て、もう一度日和を見て、というのを何度か繰り返していたが、埒があかない。両手で顔を覆って項垂れる。



「ね、夏葉、好きなんでしょ?」



日和のはしゃいだような声。


もういい、認めてしまおう、と思ったけど。



「──何、俺のこと?」



それは私の声ではなかった。




    

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る