37話

「偶然」



バイト帰り。和泉さんは" 好きな時に使って "と言っていたけれど、本当に合鍵を使っていいものか悩んでしまった。何を隠そう、今夜もわたしの方が帰宅が早いらしく、お隣の明かりはついていなかったのだ。


なので、マンションをスルーして、ふらふらとコンビニへ立ち寄ることにした。時間稼ぎってやつだ。


今のマンションに不満はないけれど、ここが少し難点で、最寄りのバス停からマンションの道にコンビニは無く、マンションを挟んだ向こう側にあるのだ。


さらにスーパーは別方向に徒歩十分。確かにマンションから徒歩十分圏内に何でもあるけど、ちょっと騙された気分である。


ということで、バイト帰りにコンビニに寄ることはほとんど無い。大学か、バスに乗る前に寄るのが定石。


しかし和泉さんはどうやら、仕事帰りにコンビニに寄る派、らしい。少し前、朝からバス停の方に向かったのだけど、どうやって通勤しているのだろう。毎回タイムロスしながらコンビニに寄っているのかな?謎だ。


「お疲れ様です」と、控えめに会釈をすると「晩飯?」と。和泉さんはフランクに聞いてくる。しかし、どう見たって、缶チューハイはご飯に見えない。


「ご飯はまだ、決めてません」


素直に告げると、和泉さんは「だろうな」と言って、ビールの冷蔵棚から一つをカゴに入れた。


「和泉さん、ビール派なんですね」


「心雨は、ビール派?」


「見て分かりませんか?チューハイです」


「だろうね。ほら、入れろ」


オレンジのカゴをずい、と向けられる。勢いに負けて、持っていたチューハイをカゴに入れた。カツン、と、和泉さんが入れていた缶ビールにぶつかる。たったそれだけなのに、なんだかとてつもなく恥ずかしくて、顔を背けた。



「い、和泉さんこそ、ごはん、まだですか?」


「まだ。作るのめんどいな」


「……もしかして、自炊するんですか?」


「たまにね。あ、手の込んだ物じゃなくて、簡単なのしか作れねえよ」



和泉さんは自嘲した笑みを浮かべる。これは自論だけど、手の込められていない料理なんてない。自分のためでも、他人のためでも、何か一つでも工程を辿れば手の込められた料理になると思っている。


それに、前回キッチンを見た時から、もしかして?と思っていたのだ。そろえられた調味料のボトルは、減り方が自炊する人のキッチンだったのだ。


そうと分かれば、どんなものを作るか、大変興味がある。しかし、和泉さんは頬と下まぶたのあたりに、不快感を蓄えた。



「うわー、期待を込めた目で見られてる」


「見てます!和泉さんのご飯、気になります!」


「作りたくねえって言ってるのに、良い性格してるわ」



興味を味方につけた恋する乙女っていうのは、錆び付いた皮肉も怖くないのだ。

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