36話
もぞもぞとベッドの中で蠢いていると、寝起きのスマホが鳴った。ディスプレイを見遣ると、夢の続きがわたしを呼んでいた。腕を動かすのが面倒なので、人差し指を乗せて、スピーカーにする。
「心雨、おはよう!今日も良い天気だな!」
朝一番だっていうのに、飛び抜けて溌剌とした声。お兄ちゃんの声はお日様みたい。それも寝起き直後ではなくて、真昼間の燦々とした光だ。
「おはよう、お兄ちゃん。今日も元気だね」
「スーパー元気!で、心雨、お兄ちゃんの結婚式用のネクタイがどこにあるかわからん」
用事はネクタイの所在だったらしい。
お兄ちゃん、スーパーどうでもいい電話を、朝の6時に掛けてこないで?と言いたくなるのを我慢した。
「ネクタイはお父さんのクロゼットにあるんじゃないの?」
「ええ〜……親父、俺のはないって言ってたけど?」
「そうは言ってもお父さん、同じ色のネクタイは全部自分のだって思い込んでるじゃん?」
「トンデモジャイアン気質……ジーザス……」
三秒で解決しちゃったじゃん。と、呆れてしまうけれど、妹として、言わない。
「それより、結婚式用ってどういうこと?」
「ああ、今度そっちで結婚式あるんだよ、高校の時の!」
「そうなんだ。……じゃあ、和泉さんとかも一緒?」
「和泉も一緒!そういや和泉、職場変えたとかで、今年からそっちに居るんだよ。知ってる?」
「へー!ソウナンダ!知らなかった!ハハハ!」
ばっちり知ってるし、なんならお隣にいらっしゃいます。しかしお兄ちゃんに言えば大袈裟になりそうなので、ストップする。わたしは馬鹿ではないのだ。
「途中で眠くなったら和泉ん家に泊まらせろって話したけど、和泉、なんでか泊めてくんないの。なあ、酷くない?あのスカシヤロウ、酷くない?」
「そ、そうなんだ……」
「ホテル用意してくれてるから別にいいけど、和泉が" 頼む蒼井、泊まってくれ〜"って土下座しても泊まってやらんって決めてる」
目眩がした。まさか和泉さんに文句を言ってはいないだろうか。ああ、我が兄ながら器がちっちゃい。
それに残念ながら、土下座する和泉さんはどこを探しても見当たらないです。
「あいつ彼女でも出来たのかな。元々付き合い悪いやつだったのに、最近さらに悪い」
お兄ちゃんの不満はまだあるようで、次から次に出てくる。おかげで、わたしの脳は眠りからすっきりと目覚めることが出来た。
「え……付き合い悪かったかな。家にはよく来てたじゃん」
「家にはな!飲みとか合コンとか、全く来ないんだよあいつ。コミュ障極めてるくせにモテるのムカつかん?」
「うーん……結婚式に参加するならコミ障じゃないと思うよ」
「心雨は昔から和泉に甘くないか?」
お兄ちゃんの声に怪訝な色が含まれる。これは、非常によろしくないので、寝起きの脳みそをフル回転させた。
「そ、そんなことない!和泉さん、昔から彼女ころころかえていたし、彼女が出来たからっていまさら態度変える人じゃないんじゃないの?」
「そこだよ。あいつ、一途なはずなのに彼女作るわけないんだよな」
「……一途?」
フル回転させた脳内に、一途、という素晴らしいワードが染み込む。とても喜ばしいことなのに、あまり、嬉しくない。
「ああ、こっちの話!とにかく、風邪引いてないならよかった。寒くなってきたから、風邪引くなよ!」
じゃあな、と、お兄ちゃんは勝手に電話を掛けてきて、気ままに切ってしまった。
最後の一文が、お兄ちゃんの真意だったのだろう。
ベッドから足を下ろして、カーテンを開けた。空はちっとも晴れておらず、そればかりか、重たい鉛色がどっしりと佇んでいるだけだった。
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