33話

どうせ、和泉さんは忘れてる。覚えてるはずない。


どきどきと音を立てる心臓がうるさくて、ぎゅっと膝を抱きしめていると、和泉さんはドライヤーを一段階弱くさせた。


「……ん?ごめん。なんて言った?」


ふいに、視界の端に和泉さんが映る。耳元に掛かる吐息に、胸がキュンと音を鳴らした。


さすがに距離感、おかしくないですか!?


耳元で言ってくるあたり、そろそろ抗議のひとつでもしてやりたいけれど、言えばこのスペシャルブローを頂けないおそれがあるのでお口はチャックする。



「なんでもないです!和泉さんに言われたので、髪の毛毎日梳かしてるんですよ!」


「おー、えらいえらい。でも、自然乾燥はだめ」


軽く叱りつけた和泉さんは、ふたたびドライヤーを強くさせた。


「人類の永遠の議題だと思うんですけれど、髪乾燥機って、いつ発明されるんでしょうか」


「それを俺に聞くかよ。……ロボット掃除機とかスマホとか、いくら生活の利便性が向上したとしても、傘とかドライヤーってのはなかなかあの形から変わらないものじゃないかな。知らんけど」


「そっかあ……自分でするしかないんですね」


「まあ、うちに来た時は俺がしてやるから我慢しなよ」



……そんなの、我慢するに決まってます。


でも、悔しいから言わない。


ドライヤーの風が消えて、自由が戻ってきた髪に指を通すと、いつもより段違いにやわらかな指通りに驚いた。


「すごい!いつもよりずっとさらさらです!」


「良かったネ」


「シャンプーが違うからですか?それともプロだから?」


「俺は特別なことはしてねえよ」


絶対うそだ。何もしていないのならば、魔法をかけたに違いない。わたしがやっても、同じようにはならないという謎の自信がある。


ドライヤーのコードをくるくると器用に纏めた和泉さんは、わたしを見下ろす。灰のように暗い色をしたシルバーの髪がはらりと前髪にかかり、無防備な色気に充てられる。


「……給湯器、いつまで壊れてんの?」


「来週末まで、らしいです」


「まじか、超不便じゃんか」


「今の時期だから良いんです。夏だったら困ってたかも、」


「あのな。夏でも秋でも、風呂に入れないのは女の子にとって最悪に変わりないっしょ。もっと困って、誰かを頼っていいんじゃないの」


呆れるような目を向けられるので、すぐに逸らした。


和泉さんだったら、わたしが簡単に甘えられないことくらい、知ってるじゃんか。


……知っているのに、わざわざ嫌味なことを言う人?


和泉さんのことをわたしが知るように、わたしを知る和泉さんを見上げた。



「……頼っても、良いんですか?」


「いつでもどうぞ」


軽く微笑んだ和泉さんは、ひょいとソファーから降りて、あるものをわたしにくれた。


「てことで、これ」


四角いカードは、わたしが唯一和泉さんとお揃いで持つことを許されているものだ。


カードキー……カードキー……


……て、え!?鍵!?


「俺が遅い日は勝手に上がって、風呂借りていいよ」


「っ!?い、いくら和泉さんでも、それは駄目です」


「いいから持ってな。心雨、飯食ったの?」


「今日は軽く」


「じゃあカフェオレでいい?」



頷くと、和泉さんはキッチンへ向かった。話は終わりという意味らしい。カードキーをスマホのカバーに仕舞う前に、似ているようで少しちがう文字をじっと見つめた。

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