32話

「お先しました……」


髪の毛をタオルドライしながらリビングに向かった。



「心雨、こっちおいで」



ソファーに腰掛ける和泉さんが手招きをするので、もちろんわたしは素直に釣られる。


間取りは同じなのに、わたしの家とはちがってオシャレでシックな空間。いまさらながら、和泉さんの家に来てしまったという現実が追いかける。


「何するんですか?」


「髪。また自然乾燥するつもりじゃないよね」


「!ち、ちゃんとブラシで梳かしますよ!」


「それは当たり前。ここ、座って」



相も変わらず、お美しい和泉さんは自身の膝を叩いた。わたしの行動を見透かした上に、脚の間に座れ、という意味らしい。


──間に、座れ?


僅かコンマの間に、我に返る。いえいえ、無理でしょ。ちょっと今日の難易度バグってない?ハードモード過ぎませんか。


しかし、甘っちょろいふりをして、意地悪な和泉さんのことだ。変に焦ってみては、子どもだと笑われるに違いない。それだけなら良い。おまえ、意識してたわけ?とか、氷点下の目で蔑まれ、ドン引きされちゃったら……1週間くらい引きずりそうだ。


それはNo。どう考えても、NoNoNo!!


たったいまわたしに出されたミッションはこの命令をクリアすること。


「し、失礼します!」


「失礼されます」


いざ、膝の間にちょこんと座って縮こまると、和泉さんの香りに抱きしめられて、胸がぎゅっと縮んだ気がした。それに、和泉さんの足が長すぎてちょっとした敗北感も覚えてしまう。



……ど、どこを見れば……。



うろうろと視線を落とし、膝の上でぎゅっと握りしめられた手の甲を見つめた。肌の温もりと感触を知っている人だからこそ、余計に緊張する。


でも、ドキドキしているのも緊張しているのはわたしだけ。やわらかなドライヤーの風と共に、和泉さんのブラシが髪を撫ぜていく。



「お、お家でプロのブローを経験できるなんて、なかなかありませんね!しかも、無料で!」


「だれが無料って言ったよ」


「え!?無料じゃないんですか?」


「もちろん。これは、こないだ晩御飯もらったお礼」



晩御飯のお礼は、今日のシャワーじゃないんだ……。



自然な動作で髪を撫でられ、背中や脇腹に時折指が触れて、その度に身を捩りたくなるのを我慢する。それだけならまだいい。首筋に触れられると、小娘は声が出そうになるのだ。


いつも、お客さんにはこんな風に触ってるのかな……。




「……髪、ずっと伸ばしてんの?」



ドライヤーの音に紛れた言葉が心地よく鼓膜に馴染むので、こくんと頷く。頷いた拍子に、半乾きの髪の束がさらりと流れ、胸の下に落ちた。その髪の毛を、和泉さんの指が丁寧に掬ってくれる。



「……まだ、あの夢、忘れてないので……」

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