初恋が隣に越してきました【完】

11話‎𖤐ひりひり、びりびり

『妹ちゃん、彼氏いないの？』

突然、お兄ちゃんのお友達が言い出したのは、晩御飯の最中だった。受験勉強という、素晴らしい名目を立てて我が家で泊まり込みでしているみんなに、夜ご飯を振舞っていたのだ。

みんなはわたしの料理の上達を褒めてくれ、良い嫁になる、からの流れだったと記憶している。

『いません』と直ぐに事実を答えた。何となくそわそわして、意味もなく和泉さんを見ると、彼は無言でチャーハンを頬張っていた。

『勿体な。モテるんじゃない？』

『わかんない……けど、わたし、最初に付き合った人と結婚したいので、簡単に付き合いたくありません』

『え！』

これはわたしの信念、と言えるのだろうか。

たまに告白されることがあっても、わたしの返事は大抵こうだ。

──わたしと結婚する気はありますか？

大抵の中学生男子は引く。え？こいつまじで言ってんの？の顔をする。友人もそうだ。何言ってんの？心雨。と、本気にしない。しかし残念ながらわたしは大真面目だ。

『たくさん恋をすることは素敵だけど、最初に付き合うひとと結婚出来ればいいね』

いつだったかもう思い出すことも出来ないけれど、お母さんと話したことばが、ずっと心の中で消えずにいる。

『最初に？』

『お父さんとお母さんがそうだったの。心雨の好きな人が、好きになってくれますように』

だって、わたしとお母さんとの約束だもん。お母さんはもういないけれど、だからこそ、わたしはこの約束を守らないと、と思っている。

すると、みんなはげらげらと笑いはじめてしまった。

高校生男子も、わたしがおかしいと思っているらしい。

『蒼井の妹ちゃんとは思えねえ』

『すげぇな、和泉』

『……心雨って意外とめんどくさいのな』

……和泉さんも、右に同じだ。

やっぱり、わたしの考えが古臭いのかな。訳もなく落ち込んでいると、和泉さんは平然と続けた。

『でも、かっこいいよ』

──でも、かっこいいよ。

復唱して、噛み締めると、じんと胸が熱くなった。

和泉さんは何気なく言った一言かもしれない。でも、ずっと否定され続けていたわたしは、和泉さんの一言で救われたのもまた事実だった。

『なに、なんの話ししてた？』

『おー、蒼井おせーよ。や、妹ちゃんに彼氏いるか聞いてた』

『ああん！？そういうのはお兄様を通して聞けや！』

『したら、最初に付き合った男と結婚するって言って』

『うっ……心雨〜〜お前はほんとにいい子だ〜』

お兄ちゃんに頭を撫でられても、ずーっとこころは落ち着かなかった。

ことことと動いては鳴らしていたこころの音は、別の音色を聞かせた。ダメだと思っても、思った時には遅かった。

──でも。

『妹みたい』と、いつかのあの日、タブーを聞いた。わたしはお利口に『妹』を演じて、嘘を続けるしか出来無かった。

どうしたら良いか分からずに、笑顔を貼り付けることもできず、わたしの家で、映画を観た。

夏はみんなで家の近所の縁日にも行ったし、和泉さんと二人で花火大会にも行った。冬は一応、バレンタインのチョコを送ったし、もらったお返しはわたしの宝物になった。

幸せだと思うぶんだけ、虚しくて仕方なかった。

……そのうちに、わたしの意志とは反対に、ふたつ決まったことがある。

進学と、ひとり暮らしだ。

わたしは当たり前に、高校を卒業したら就職するつもりでいたし、まさか家を出るなんて夢にも思っていなかった。

『お友達に、進学のことは言わないで』

進学が決まって、お兄ちゃんにお願いしたことがある。不躾な要望には、当然『なんで？』が返ってくるけれど、予見した疑問符を打つ我が兄に、すかさずわたしはカードを切る。

『お願いします。じゃないとこのまえの土曜日、葵子（きこ）さんとの約束より和泉さんと遊ぶのを優先したこと、葵子さんに、』

『おーけーおーけー！』

お兄ちゃんは、飛び抜けて明るい声で頷いた。よっぽど彼女が怖いらしい。葵子さん、良い人なのになあ。

『じゃあ、心雨のひとり暮らしのことも言わない方がいい？』

お兄ちゃんの彼女を思い浮かべていると、願ってもないことを言ってくれるから、手間が省けた。

『もちろん、言わないでほしい。みんな大袈裟に送別会とかして、送り出してくれそうだし。……そういうの、恥ずかしいから』

お兄ちゃんは、そうかな、の顔をしたけれど、わたしは気付かないふりをした。

あのころのわたしは、気持ちを伝えることすら出来ずに、惨めな片想いの終わらせ方さえも知らなかった。

この恋から、一旦、逃げる道を選んだ。

和泉さんとは、またいつかお兄ちゃん経由で会った時に" 妹 "ではなく" 異性 "として見られるように、女磨きを頑張ろうと、そう決めた。

……わたしの作戦は成功したはずだった。

しかし、蓋を開けてみればどうだろう。

あの日から約3年、わたしは新しい恋愛をするどころか、ずっと同じ場所で回っている。

自分のしっぽを追いかけて回る犬のように、くるくるくるくると遊んでいる。

この再会を仕組んだのが星座であれば、星なんて見あげないし、落ちていく彗星に願いなんて乗せたりしない。

ちりぢりに燃え尽きて、灰になった感情を、ひろい集めても指の隙間から零れていくだけ。

「きにしたら、だめ……」

少女だったあのころ、わたしはたしかに、和泉さんのことが好きだった。

すき、

すき、

好き好き好き。

何度も願った、何度もその先を考えて、閉じ込めた。

ゆっくりと砕けたこころは、掬うことも面倒なのに、わたしはどうして、捨てることが出来ないのだろう。