わたしと恋心

7話‎𖤐二度目まして、初恋

記憶って、いつも一緒にいるくせにかなり意地悪だ。

だって、楽しい記憶を連れてきてくれるとよいのだけど、悪い記憶ばかり掘り起こすのだから。


わたしは、そう、わたしは他の人に迷惑をかけずに生きてきたつもりだ。仰せのとおり、ずうっと昔、わたしは自分の気持ちを閉じ込めた。きちんと諦めたはずなのに。



『妹みたい』



時折、忘れそうになるわたしに、戒めのように言い聞かせるのだから。






「え?お隣さん、お兄ちゃんの友達だったの?」



みはるの金髪は、太陽の下だとなおも輝いて見える。


一瞥し、どろどろに蕩けたフラペチーノを啜ると、薄い味付けを堪能するみたいに、うん、と頷いた。冷たさが食道を流れるさまがやけにリアルだ。


ちなみに、直近の話題は今参加申し込みを終えたイベントのことだった。近々ゼミの研究テーマの一環として、小学生を対象とした大型のイベントにスタッフとして関わることとなっているのだ。


「お兄ちゃんの友達の女が隣人ってことかあ……仲良かったの?」


あっけらかんとしたみはるが訊ねてくるので「……おとこ……」と、肩を落とせば「はい?」みはるは眉をあげた。



「お兄ちゃんの友達、しっかり男の人……」


「まじか。お隣は女の人って言ってたくせに、なぁんでそんな凡ミスするかなぁ」



ぐうの音も出ない。日傘の中で、ゾウに踏み潰されそうなありの如く小さくなって、溶けかけのフラペチーノを啜る。



「……そのひと、“らん”って名前なんだけどね」


「うんうん、らんさんね」


「藍色の“藍”って書いてらんって呼ぶこと、わたし知らなくて、手紙の人はあいさんだと思ったの。丸文字だったし、てっきり女の人だろうって思い込んでたの」


「なにそれ、アホなの?」


「アホだった……完全に気を抜いてた……」



そもそも、和泉さんが隣に越してくるなんて夢にも思わないじゃん。


先日の和泉さんのしたり顔を思い返すと、顔から火が出そうになる。これは間違いなく、今年一の失態となるだろう。


後悔を乗せた肩をがっくりと落とすと、みはるはけらけらと笑った。


“いずみ らん”忘れることなく刻まれていた名前。

“和泉 藍”わたしの記憶に上書きされた名前。


「でも、全く知らない人よりも知人のが気楽でいいじゃん。特に隣人ってやつはさ」



紫外線を遮ることに有能な傘は、当たり前に鼓膜を守ってはくれず、気軽に掛けられた言葉に、気楽に頷くことは躊躇われた。


実はわたし。先ほどからしらっとしていますけれど、内心、めちゃくちゃ緊張している。緊張というより、心がざわめくこの感じは、ミーハー的なそれに近い。


だって、お兄ちゃんのお友達の、だれでもなく、和泉さんだもん。



「気楽じゃないよ〜……」


「なんで〜?」



ぽつりと零した心境は風船よりもずっと軽いトーンにさらわれる。だから「なんでもない」と言うにとどめる。今のこの感じで相談するには対価があまりに不相応だ。


「……ちょっと修羅場ってたし……」


なので、みはるには、適任だと思われる相談をお願いした。横目を向ければみはるの目に、輝きが取り戻されていた。否、先程からこの目をわたしに向けていたのだろう。


「まさかの平和なマンションで、隣人トラブル〜?」


そうなんだよ。まさかの修羅場だ。


しかもあれは、彼女(?)かその立場に近しい人だと思われる。しかし、これは恋愛未経験の予想なので、期待しない方がいい。


和泉さんと来たら、彼女(?)さんを放ってわたしを助けるのはまだしも「は?普通階段から突き飛ばすか?」と、怖い顔で言うのだから、彼女(?)さんはプリプリと怒って帰ってしまった。


「いや、謝れよ……」


しまいには「蒼井に言いつける」とか言い始めるので「それだけは、やめてください!」と、慌てて阻止した。彼女(?)さんの将来が恐ろしい。


先週までの余裕は伏線だったのか。それにしたって、こんな形で回収されなくてもいいじゃない?


だから、こくんと頷くだけに留めた。するとみはるはにやりと企んだ笑みを浮かべる。


「お兄ちゃんのお友達、ソウイウ感じなの?」


隠語をしっかりと受け取り「そういう感じのお友達が多かった」と、同意した。おそらく、間違いではないだろう。


「ソウイウ感じはなあ、ただしイケメンに限る、だからな」


「……ですね……」


「…………イケメンなの?」


「お顔はとても……」


しっかりとイケメンである。しかし身内のような人なので、友人の前で絶賛するのは恥ずかしい。『うちのお兄ちゃん、カッコイイんだ!』って宣伝しているのと相違ない。

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