第3話

「代わりの名を。」






その声で現実に引き戻される。




代わりの、私の名?




雛鶴でもなく、


千鶴子は諱だからダメだし、





だったら、だったら何の名を・・・。






戸惑っていると、楠木さんは声を上げた。





「誰かから名を借りればいいのさ。当たり障りのない誰かからなぁ。」




名を、



借りる。





さわさわと木々が揺れる。


木漏れ日が、楠木さんをゆらゆらと揺らす。




森の中にいると、心が凪いでいい。







「・・・月子。」







思わず呟いた。



私の、妹の名。



現代で生きる、私の妹の名。



これ以上当たり障りのない人の名はない。





「ほう、つきこ。ではこれから俺はそう呼ぶからなぁ。」






そう言って笑った。




月子の名を借りるつもりじゃなかった。


けれど、思わず口を突いて出た。





元気かな。




なんだか、お互い少し気まずい時に私がこっちに来てしまった。




今でもどこか心に引っかかってる。





それが言葉になって出てきたのかもしれない。





頬を撫でる風が柔らかすぎて泣きそうになる。


月子は心配してくれているのかななんて、小さく思って胸にトゲが刺さった。






「では参るぞ、月子。俺のことは正吉でいい。」







すんなりそう呼んだ楠木さんに抗うことなく立ち上がる。




慣れていると漠然と思う。





しょうきち。



きっとこの人はこうやって身を隠して生きているんだろう。




いくつもの名を持って。



その名の重みも大して気にせずに。





私も、そうやって素性を隠していくんだ。




彼にもう一度会えるその日まで。

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