声の主
第10話
私たちは鶴岡八幡宮を出て、静かな住宅街を歩き出していた。
街路樹が木陰を作って、黒に堕ちるたびに、冷たい空気が頬を撫でてくれる。
それにしても普通の民家の間に、おしゃれなカフェやレストランがいろいろあるなんて素敵。
「お父さん、もういいからそこらへんのお店入ろうよ~」
文句を言った私に、お父さんはお得意の笑顔を振りまいた。
「もうすぐだから。あと10分くらい」
それは10分前にも聞いたわ。
お父さんの楽天的な思想には、時折本当に呆れてしまう。
溜息を吐いて後を追う。
綺麗に舗装された道路の上に、陽炎がゆらゆらと揺れている。
銀色のアスファルトの上に。
どこか寂しい、銀の。
それがまるで、世界が二層になっているような気がした。
足が付いている場所と、この目がある場所はどこか食い違っているような、そんな揺らぎを感じる。
その揺らぎと同調するように、ぐらりと世界が霞んだ。
息を飲む。
額が締め付けられるように痛い。
《・・・・な。》
え?
《ひな・・・・》
違う。
私の名前は千鶴子。
ちづこだ。
鎌倉に着いてから、言葉にならない声がまとわりつくように頭の奥で響いていたけれど、ようやくその声が言葉になって響き始めた。
ゾクリと背が震える。わけがわからなくて。
けれど、悪い気はしない。
不思議と怖くなんてない。
辺りを見回すけれど、私たちしかいない。
ひな、と呼ぶような人は傍には誰もいない。
『ひな』なんかではない。
私の名前は・・・。
《ヒナ!!!!!》
はっとして瞳を開く。
体がビクリと震えた。
耳元で大声で呼ばれたかのようで、ただ状況を把握しようと、目を見張る。
心拍数が勝手に上がる。
呼吸も、途切れ途切れになる。
慌てて辺りを見回すけれど、やっぱり誰もいない。
その代わりに、突然目に飛び込んできたのは、真っ白な鳥居。
少し青を孕んで、真冬に氷が厚く張った時の色をしている。
待っている。
どういうわけか、そう思った。
鼻の奥が、つんと痛くなる。
勝手に泣き出しそうになって、必死で堪えた。
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