第13話 戦後はない

   始めた戦争に終りは無い


 院長室で内村が背広の上着を脱ぎ、白衣に着替えている。 

ドアーをノックする音。


 「はい」

 「失礼します」


畑 がドアーを開けて入って来る。

内村はロッカーに上着を仕舞い、備え付けの鏡で身形(みなり)を整えている。

鏡に映った畑 を見て、


 「大川さんに面会人だって?」

 「あら、院長ご存知でしたか」

 「今、朝倉さんが伝えてくれた」

 「そうなんですよ」


またドアーのノック音が。


 「どうぞッ」


鮫島がコーヒーを盆に載せ、静かに院長室に入って来る。


 「お疲れ様です」

 「うん・・・」


内村は畑 を見て、


 「で、何と云う方だ?」


鮫島がテーブルにコーヒーを置きながら、


 「肥田と云う方です」

 「ヒダ?」


内村はソファーに座り、コーヒーをゆっくりと一口飲む。

鮫島が、


 「そうなんです。徳富蘇峰さんから聞いて訪ねて来たそうです」


内村は驚いて、


 「徳富蘇峰!? ヒダとはもしかして肥田春充の事か?」

畑 が、


 「そうです。院長、ご存知で」

 「勿論。肥田式強健術をあみ出した戦時下の大物だ」


畑、


 「大物?」

 「そう。彼のような逸材は二度と出まい。で、もう帰ったのか」

 「いえ、まだ居ます。西丸先生が立ち会って、大川さんの部屋で訳(ワケ)の解らない事を話しています」

 「訳(ワケ)の解らない事? ハハハ。じゃ、私も挨拶に行ってみよう」


鮫島、


 「あの方、浮浪者って言ってましたよ」


畑、


 「浮浪者? 放浪者よ。浮浪者と放浪者では全然違うわ」


内村はコーヒーを鼻から噴き出す。


 「プッ、ハハハ。そうだね」


鮫島、


 「あら、そうかしら。私どう見てもあの方、浮浪者にしか見えないわ」

 畑、


 「西丸先生が朝のラジオ体操の先生にしたいらしいです。何だかあの方をとっても買(カ)ってるたみたい。面白い体操を教えてくれると言うんです。その体操をすると、どんな病気も一週間でたちどころに治ってしまうんですって。ガマの油売りみたいな人・・・」


内村、


 「ラジオ体操の先生? 西丸くんは何も解ってないなあ。ああ云う投げ槍のレベルだから南方戦線に回されたんだ」


鮫島、


 「西丸先生ったら、肥田さんが家が無いので病棟の101号に間借りをさせるって言ってました。あんなネズミだらけの物置部屋に・・・」


内村、


 「間借り? 困るねえ。彼はいつもそう云う事を独断で決めてしまう」


内村はソファーを立ち、ブツブツ言いながら院長室を出て行く。

顔を見合わせる畑 と鮫島。

鮫島が、


 「あの人、どう見てもそんな大物に見えないわよ」


二人が、


 「ね~え」


 内村が渡り廊下を歩いて来る。

と、突然怒鳴る声が。


 「戦争なんてものを、戦勝国の判事に裁かれてたまるかッ!」


肥田氏の気合の入った大声が東病棟内に響き渡る。

その大声に立ち止まる内村。

それに続いて『岡田氏』の怒鳴る声が。


 「その通りッ! ふざけるなアメコー!」


肥田氏の声が急に静まる。

暫くして肥田氏の声が、


 「ここは脳病院だったな。ハハハハ」


肥田氏の笑う声。 

西丸の声が、


 「いや、精神病院だ」


するとまた岡田氏の声が。


 「ここは野戦病院だ! しっかりしろッ!」


 周明氏の部屋の開いたドアーを、内村がノックする。


部屋の中の二人が、ノックの先に立つ内村を見る。

西丸が、


 「! おお、院長、良い所に来た。肥田さんの話を聞いて下さい」


内村は、八畳間の中ほどに座る汚い姿の肥田氏を見て、


 「肥田さん? ・・・ですか。あッ、初めまして院長の内村と申します」

 「お邪魔してます。大川先生の同志、肥田春充です」


周明氏が、


 「同志なんて・・・。ただの親友ですよ」


内村、


 「まあ良いじゃないですか。じゃ、失礼して・・・」


内村は西丸の隣に座り、


 「どうぞ。お話を続けて下さい」


肥田氏は内村の顔を一瞥して静かに話しを続ける。


 「私は一番汚いのはアメリカだと思う。不戦を掲(カカ)げて指導者に成り上がった男が大東亜の内戦に介入、わが国を経済的に孤立させ、宣戦布告のカードを引かせた。私もアメリカの策略に乗るな。乗ったら日本は大負けすると、あれほど東条に説いた。結局、私と大川君の意見が反映されず、日本は三百万もの犠牲者を出して大敗してしまった。あの時、対米戦に持ち込まず、アジア各国と交渉によりの資源を共有したていたなら、日本はアジアの指導者に成っていたでしょう」


周明氏が重い口を開く。


 「植民地化すると云う事は対話などでは出来ない。※東亜新秩序などと詭弁に満ちたスローガンを掲げた近衛(首相)。世間知らずが国民を煽り、力を以て領土を広げると云う関東軍ッ! これは、内乱を企てるどころではないッ! 侵されたら守ると云う『戦争』に他ならない。しかし、インドのガンジーを見よ。彼は暴力に対応する非暴力と云う力でインドを解放したではないか。しかして、これこそインドの仏教哲学の賜物(タマモノ)である。話を戻すが、もしインドが日本を中心としたアジア連邦共和国であったなら、英国はインドを植民地化出来なかったであろう。・・・私は大アジア主義を唱えた。そもそも、西洋の列強諸国は古来侵略によって国を広げて来た。アメリカは日本を徹底した敗戦国とし、将来の極東アジアを見据えて、侵略の足掛かりにするつもりだ。この裁判での共同謀議など、でっち上げの即席立法である。国際法で、戦争など裁けるものではない。戦争犯罪なんて罪は無いのである。勝てば官軍、負ければ賊軍ッ! A級戦犯などは連合軍の『取りあえず』のさらし首の様なものだ。内村さん! 私をもう一度法廷に戻して下さい。私の戦争論はまだ終わっていない」


内村は周明氏を見て、


 「さあ、それはどうでしょうね」

 「なぜですか! 私はこの通り正常です。裁判には耐えうる身体(カラダ)です。国家の存亡の危機に、この様な脳病院に隠遁(イントン)させられ、生きながらえようとは微塵も思いません。主張すると云う事は人間に与えられた最後の権利じゃないですか。私はアメリカを私の理論で敗退させてみせる。私は今こそアジア主義の為に身を捨てる覚悟は出来ています。人権や自由だと大きな事を言いながら、ポツダム宣言を受諾する寸前に原爆を落とす。それも、二発も落としておいて。我々日本、いや、アジア民族を侮蔑軽視しているとしか思えません。このまま時代が進めば、アジア諸国は完全に米英に植民地化されてしまいます」


肥田氏が急に口を挟む。


 「ところで君の病名は何と云うのだ?」


周明氏が、


 「うん? そ、それは・・・言えない」


肥田氏が内村を見る。

内村は肥田氏から目を逸らし一言。


 「難病だ」


西丸が口を滑らす。


 「梅毒性の精神病だ」


肥田氏が驚いて、


 「ば、梅毒ッ?」


内村は西丸をきつい目で睨む。

西丸は内村のその眼を見て咳払い。


 「オホン! いや、もう治っているようだ」


内村は膝で西丸の脛を小突く。

西丸は急いで訂正、


 「が、再発の可能性も有る」


肥田氏は周明氏を見て、


 「君は身に覚えはあるのか」


周明氏は怒って、


 「無礼な詮索をするな。総てウエップの策略だ。私をあの公判に出すのが怖いのだ」


肥田氏が、


 「※共同謀議の中に思想家は入れたくないのかも知れないな」

 「そうではない。彼等はこの裁判を早く終わらせてケジメをつけたいのだ。私が加わると、裁判を長引かせてしまう。彼等にとって裁判の内容なんてどうでも良いのだ」


内村が決断した様に、


 「・・・よし! 先生がそこまで言うのなら私が正式な診断書をGHQに提出してみよう。医師に知り合いが数人いる」


周明氏、


 「宜しくお願いします!」


内村は西丸を見て、


 「と云う事で、西丸先生もう良いでしょう。肥田さんが大川さんの知り合いだと分かったのだ。別に危害を加える為に来た人ではなさそうだ。戻りましょう」


西丸はまだ何か言いたそうだが、


 「うッ、まあ、・・・そうですね。あ、それから」


内村、


 「分かってます。さっき鮫島さんから聞きました。さあ、行きましょう」

 「えッ? あッ、は、はあ・・・」


二人は部屋を出て行く。


「参 考」

共同謀議「二人以上の者が犯罪(戦争)の実行を相談合意することであり、共謀とも云う。戦犯者達は共謀して行ったこの平和に対する罪(戦争責任)を贖(アガナ)う責任が生じる。が、『裁くのは戦勝国』である」


東亜新秩序「日中戦争下に日本が唱えた日・満・華を軸とした自給的ブロック。その基本は、長期化する日中戦争を収拾するために第一次近衛文麿内閣が一九三八年(昭和十三)十一月三日に発表した「東亜新秩序建設声明」にある。政治・経済・文化などにわたる日・満・華の互助連関の樹立を新秩序の根幹としたが、日本のアジア諸民族への侵略、支配を正当化するものであった。以後、南方進出の積極化に伴って拡大され、二年後の一九四〇年七月に第二次近衛内閣が発表した「基本国策要綱」に至っては、「八紘一宇の精神」に基づき、日・満・華を中心に南洋地域を包含した『自給自足体制の確立』という「大東亜新経済秩序」そして「大東亜共栄圏」の主張にまで拡大される」

                          つづく

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