第7話

 私を視界に捉え、若干だが表情が強張る。想定内だ。昨日のことをまた思い出しているのだろう。

 だから前日にしたのだ。覚悟が固まらないだろうことを計算して。腹を据えられてしまうと、かえって不自然だとクラス内の誰かに思われるリスクがある。三十一人も居れば、確率は一定程度は高い。

 彼女は自席へと向かう際、あの子と私の座っている列の通路を通り、少し遠回りをする癖がある。毎日数人がたむろしている場所を避けるためだろう。七歩進めば最適な位置に到着だ。

 五、六、今だ。

「雪乃、おはよう」

 彼女は驚いた風に私と目を合わせた。中々に良い演技。先に頼んでおいたとは言え、かなり自然だ。さすが。

「あぁ、おはよう」

 すぐさま取り繕ったかの如く笑みを向ける。

「最近大丈夫?なんか顔色良くないような…」

 私のせいだ。私の罪は、あがなわなければ。これは成功の合図。失敗っぽい場合は雪乃の所属する美化委員会の用具の件を話すことにしていた。

 泣いて地獄のような提案をした上にちゃっかり清掃用具の補充についても伝える、合理主義の奴隷とも取れる発言は、彼女の優しさからして真摯な対応と思われているのではなかろうか。

 クラスメイトの動きから、過半数は自分達の会話や準備に意識を全振りしており、あの子とその取り巻き、というか子分の三、四人は私と雪乃の芝居を注視してくれたようだ。表情から察するに、全員が全員程よく胸糞悪そうな、心がざらりと撫でられたかのような気分になっていると見るのが妥当かな。

 小学生って、なんだかんだで分かりやすい。

 弱い奴は群れる。きっとまた同じ手口を使う。すり寄るんだ、雪乃にも。

 私にやったように。どうせ誰の味方にもならないのに。空しくないんだろうか。

 果たして今度はどんな台詞だ?逐一教えてもらうとしよう。

 観察してまとめたなら、自由研究の良いネタに昇華できる。もう夏休みはとっくに終わったから、万が一研究するなら来年。

 ふと顔を上げると朝読書の時刻が迫っていた。思いを馳せていると、体感よりも時は過ぎ去るものだ。

 左の引き出しから、三日前に借りた本を出す。机上に載せたとき、ほんのちょっとだけぐらついた。古いせいかもしれない。鉛筆で彫られたであろう深めの小さな穴を指の腹で撫でた。ぞわりと変な感覚が背中を駆けた。なぜだろう、必死で掴んだ雪乃の服の感触を連想した。

 …そんなことよりも、間もなく時間になるのだから、先に机の本を読み始めていよう。

 表紙を開く。科学の話だった。このまま十分間が終われば、すべてうまくいく。根拠もなく確信した。

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