第8話
「それじゃあ行ってきま……くるね」
とある日の朝。
私は玄関の扉を開けながら挨拶をする。敬語を無理矢理タメ口に変えながら。
「大丈夫? 一緒に行ってあげようか」
「私もう子供じゃないからね。大丈夫だよ」
「でも心配……」
「過保護?」
「かも。でも雫ちゃんほんっと可愛いから。大学に行ったら変な男に捕まって、あんなことやこんなことされちゃうかもしれないし。そんなことになったら私もう切腹するしかなくなっちゃう」
責任の取り方が戦国武将である。
「というか、私そんな信用ない?」
「うん」
躊躇することなく頷かれた。
ショックだ。
「甘い言葉囁かれたらホイホイついてきそう」
「チョロいってこと?」
「そうだね。チョロい」
否定するどころか、真っ向から肯定されてしまった。
この人、私のことチョロいとか思ってたのか。
でも出会ってから今日まで。期間としては短いけれど、接してきたあれこれを振り返る。そうするとチョロいと思われていたんだろうなというような行動がぽつぽつと浮かんできた。
勝負していたわけじゃないが、負けたような気分になる。
「チョロくないからっ!」
言い切って、家を飛び出す。
走って、酸素をたくさん吸って、冷静になる。
我に返って、いや、チョロいって言われても仕方ないだろってなった。振り返れば振り返るほどチョロいと言われて仕方の無い要素が湧き上がってくる。
ホテルをラブホテルだと思って着いて行ったり、おっぱいを凝視して凝視されたり、可愛いって言われて素直に照れたり。こんな反応しているやつがチョロくないわけがない。
「うし、全員無視くらいの勢いで!」
ぐっと気合を入れて、また歩き出した。
大学初日。
ガイダンスみたいなのをやった。単位取得に関して、卒業要件に関して、その他資格に関してなどなど。
講義を受けた、という感覚はない。ただぼーっと話を聞いていたら勝手に時間が過ぎていたという感覚だ。
そして、なによりも驚いたのだが、他者とコミュニケーションをとる時間が一切なかった。杞憂であった。話しかけられたら無視しようとか思っていたけれど、そもそも話しかけられなかった。自意識過剰。悲しいね。
帰宅する。
家に帰ると空音さんは海老反りしていた。
「なにそれ」
一瞬だけ無視しようかなと思ったが、反応しないというのは本能的に難しいものがあった。だから勢いで問う。ただいまという挨拶を吹っ飛ばして。
「ヨガ」
「ヨガぁ?」
「そう。姿勢が良くなって肩こり腰痛とはおさらばだよ」
と、到底女子大生とは思えないセリフを口にする。
これから私もこんなになってしまうのだろうか。未来を憂う。
「……」
空音さんはじとーっとした眼差しを向けてきた。
一度目を瞑り、目を開く。それでもやっぱり私のことにじとーっと湿り気のある視線を向けていた。誤解ではなかった。気のせいでもなかった。向けられたことはとりあえず理解した……が、なぜ向けられているのかという根本的なところがわからない。
その大元の部分が不明瞭であるが故にこれからどうすれば良いのか、どのような対処を求められているのかすらわからない。
眉間に皺を寄せ、睨むように空音さんを見る。
「おっぱい大きくないくせに何言ってんだって思ってるでしょ」
空音さんの口から出てきたのはこちらが一切考えていないことであった。本当に一寸足りとも考えていないことである。
「は?」
という声が漏れる。
たしかにそういう観点で考えれば、空音さんよりも私の方が肩が凝るかもしれないけれど……ってなにを言わせてるんだ。
「思ってないけど」
「ふぅん……」
疑われている。でも思っていないものは思っていない。まぁそれを証明する術もない。もっともする必要もない。だから必死になって弁明しようとはしない。
信じてくれなくて、疑われるのであればそれはそれでまぁ良いかなと思う。
「それよりも私チョロくないよ」
このまま行っても平行線。だから話をわざと逸らす。
「声掛けられなかったよ。大学で」
「雫ちゃんが?」
「うん」
「大学で?」
「うん」
「こんなに可愛いのに?」
「う、うん……?」
肯定して良いものかと悩み、微妙な反応になる。
なにはともあれ、誰からも声をかけられなかった。それは紛うことなき事実。
「お猿さんみたいな人達が雫ちゃんを放っておくものかなぁ……」
あぐらをかいて考え込む。
「大学の質? の問題……?」
「あのー……」
「わかった!」
空音さんはポンっと手を叩く。漫画とかアニメならヒラメキマークがピカーンと点灯している。
そんなわかりやすい表情を浮かべてから、ぐいぐいと私の元へと寄ってくる。
近寄る一挙一動に躊躇は全くない。近寄って、近寄って、近寄って。そのままキスでもされるんじゃないかと思うほどの勢いだった。
目を逸らそうとすると、顎を指で掴まれる。顎クイってやつ? これ。
「可愛い子だから放っておいたんじゃないんだね」
「ひゃい……」
「こんなに可愛いから、高嶺の花みたいになってたんだよ。きっと」
多分違うよ、って言いたくなるような結論を出した。
そうやって言ってやりたかったけれど、顎をクイッとされて、キスされるかもってドキドキして、ヘロヘロになってそんなことする気力は欠片もなかった。
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