第7話

 お風呂からあがる。身体も心もポカポカだ。色んな意味で、本当にぽかぽかだ。

 おっぱいだとか、おっぱいだとか、おっぱいだとか。

 お風呂でおっぱいの話ばっかりしていたなって、ソファに座って振り返る。

 東京にやってきて、思い出の一部に加わるおっぱいたち。なにしてんだ私……。


 「にしても雫ちゃんは可愛いなぁ」


 いつの間にか空音さんは私の隣に座っていた。

 私の顔をまじまじと見つめてくる。

 そんなに見られると恥ずかしい。顔を隠したい気持ちに駆られたが、顔を隠したら、空音さんは調子に乗って執拗に顔を見てきたり、なんかそれ以上のことをやってきそうな気がしたので、我慢することにした。


 「ほぼすっぴんだったわけでしょ。こっち来た時も。それてこの可愛さ。うーん、モデルさんとか、アイドルとかいけちゃうかもね」

 「過大評価じゃないですかね。それはさすがに」


 卑下するほど不細工だとは思っていない。

 それでも顔が良いとも思っていないが。

 中の中。甘めに見て中の上。

 そのくらいかなぁって感じ。

 クラスの中で三番目に可愛いくらいの立ち位置。「雫って実は可愛いよな」と陰でこそこそ言われるようなタイプ、というのが私の自己評価……って、はっず。なに冷静に分析しているんだ。

 でもまぁ、真面目に分析して、これ。

 謙遜とかじゃなくて、本気でそう評価している。

 だから、空音さんのその評価はあまりにも過大だと思う。お世辞なのかなとか考えてみたけれど、お世辞にしてはあまりにも感情が入っていた。どう考えても本気で言っているようにしか捉えられなかった。


 「じゃないよー」

 「……」

 「まずねこのもっちもちの肌。若いよねー」


 もちーっもちーっと私の頬を揉む。


 「で、筋の通った鼻。くっきりとしているけれど、すごい主張があるわけでもなくて、良い。それに睫毛も長いし、目元はくっきりしているし、唇の色は血色良いし、乾燥していない潤いがある。んで、髪の毛も艶やか。ぱさつきな皆無で、羨ましい。で、全体をまとめるようにシュッとした輪郭。こうスタイリッシュだと頬骨が出ていたりするもんだけど、それもないし。ほんっと可愛い。可愛すぎて襲いたくなっちゃうくらい。天からの贈り物だよ、これは。まさしく」


 と、熱弁された。

 饒舌過ぎて、途中から頭に内容が入って来なかったけれど。

 とにもかくにも、一つだけ思ったことがある、

 それを口に出すか否か、しばらく悩む。

 けれど、この状態で沈黙するのは、勘違いを孕むかもしれないと思い、間を埋めるつもりで口を開く。


 「空音さんの方うん十倍って可愛いですよ。綺麗な人だって初めて見た時に思いましたし。お風呂入って、メイクしなくても……かなり可愛いですし。私なんて比じゃないです。本当に」


 この人の性格とか、性癖とか、そういうのは……全く可愛くないけれど、顔だけは可愛い。空音さんじゃないけれど、モデルとかアイドルとか、女優とか。テレビに出て持て囃される人たちと比べても劣らない。むしろその中でもしっかりと輝くことができるほどの顔面の持ち主。


 「またまたお世辞がうまいなー」


 空音さんはそう言って楽しそうに笑う。

 お世辞のつもりなんてなかった。本気で思っていたことをぶつけただけだった。

 この人は案外、自己評価が低めなタイプなのかもしれない。いや、それはないか。自己評価が低い人間が、こんなにグイグイ押してくるわけがない。一緒にお風呂入っておっぱい揉んだり、揉ませたり、そういうことをしてこない。


 「事実ですが」


 ぴしゃりと告げると、空音さんはむごっと吃る。俯いて、天を見上げる。

 それから少しだけ私のことを見る。見つめるというのはちょっと言い過ぎかなってくらい。


 「う、嬉しいことを言ってくれるねぇ、このこの。褒めてもなにもでないけどなー」


 照れを隠すように私を攻撃して、ワッハッハと豪快に笑う。

 ひとしきり笑うと、疲労を見せる。はぁっと息を吐く。そして「つかれた……」とつぶやき、ぐーっと背を伸ばす。


 「可愛いのは知ってたけど、雫ちゃんに言われるとさらに自信がついちゃうねぇ……」


 でれでれと頬を弛緩させる。

 絵に描いたように調子に乗っていた。ここまで調子に乗れるのもそれはそれで才能じゃないだろうか、と思う。

 それだけ自信を元々持っていた、ということなのだろう。自信があるからさらなる自信に繋がる。好循環。


 「そんな可愛い私に襲われたい気持ちとかある?」


 空音さんはあまりに無理矢理なハンドルを切った。急ハンドルだった。思わず睨んでしまう。あまりにも唐突だったから睨んでしまった。


 「冗談だよ、冗談。だからそんな目しないでよ」


 空音さんは情けない声を出す。


 「冗談には聞こえなかったんですけど」


 たしかに冗談だったのかもしれない。でもその中に間違いなく、あわよくば襲ってしまえ、という欲が渦巻いていた。

 そういう欲を向けている方はバレていないと思っているのかもしれないが、向けられる方は案外敏感である。わかりやすい。


 「それは気のせいだね」


 キリッという効果音が今にも聞こえてきそうだった。

 格好つけているけれど、あんまりかっこよくない。


 「そうですか」


 これ以上のやり取りは不毛になると思った。だから私の方から身を引く。うん、そういうのも時には大事だよねって。

 ガツガツ押すのだけが正義ではない。


 「というかさ」


 話が終わる。というか、私が話をぶった切った。会話を止れば、当然ながら場は静かになる。

 しーんと静まった中で、空音さんはその空気を割った。

 私は「はい?」と反応をする。


 「なんで敬語なの?」

 「なんで……っていうのはなんですか?」


 質問に質問をぶつける。

 褒められた行為でないことは理解できる。だが、やってしまった。使うべきものだと思っていたものを否定された。ちょっと大袈裟かもしれないけれど、常識が覆されたような感覚に等しかった。


 「私たちの仲なのに、敬語ってのは不自然だなーって」

 「そんなに仲良くなくないですか。なんならまだ出会って一日目ですけれど」

 「うわーん。雫ちゃんがひどーいっ!」

 「酷くなくないですか」

 「酷いよ。私とは仲良くないって言うんでしょ」

 「いや、そんなことは言ってないです。私はただ、今日出会ったばかりなのに親しくなるわけないってことが言いたかっただけであって……」

 「仲の良さに日にちなんて関係ないでしょ!」


 むうっと空音さんは頬を膨らませる。

 あざとい。


 でも、空音さんの言っていることも一理あるかなと思った。

 少なくともまったく的はずれなことを言っている、と頭ごなしには否定できない。


 「ほら、雫ちゃん。言ってみ? 空音って」

 「呼び捨てはさすがにハードル高いです」

 「まぁまぁそう言わずにね。慣れだよ、慣れ」

 「慣れ……ですか」


 発した言葉は宙に揉まれて、溶けるように消えていく。


 「そうだよ。慣れ」

 「うぅん」


 とはいえ、やはり踏ん切りがつかない。それなりに準備というか覚悟は必要だった。


 「……」


 大きく息を吸って、吐く。


 「空音」


 名前を呼んで、ぞわぞわという違和感が身体を駆け巡る。もはや悪寒と言って差し支えないほどの気持ち悪さがあった。

 なによりも目の前でにへらと口元を緩める空音さんの姿があって、こんなのでそんなに喜ぶのかと不思議に思う。


 でも喜んでるのなら良いか。

 って簡単に気持ち悪さとか違和感に対する結論を出した。

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