大江山 (2)

「ほんとうに、あるじはついてこないのか……?」


 出立の日。

 鳴神なるかみの屋敷で戦支度を手伝いながら、手づから鳴神の朱金の髪を結っていた言問ことといは、あまりに寂しげな鳴神の声に思わず笑った。


「まったく、一人前のおのこがそう心細げな顔をするでない。お前の事は確かに心配だが、代わりに我がまじないをしこんだ形代をいくつか付けた。これならば、お前の供回りを狂死きょうしさせる心配はないし、お前も寂しくはなかろうよ。俺の声はお前に届くし、お前の声は俺に必ず届く。お前にとっては物見遊山のようなものだ」


鳴神が「鬼子おにご」と呼ばれるのは、見た目の奇異さばかりではない。

一騎当千。その膂力に掛けては、鳴神の上に立つ侍大将ですら、勝てる気はせぬと苦笑うほどの強さであった。

彼に武芸の基礎を文字通り叩きこんだのは言問だが、幾多数多の戦場を通し、鳴神は己の技と体を磨きに磨いた。そして戦場の鬼神と化した。

「一振り一矢で幾人も打ち倒す」のは比喩ではない。

その背に負う大太刀を造作なく振り、10人張りの強弓ごうきゅうすら楽々と引ける膂力にかかれば、天子の恐れる鬼退治ですら楽しい物見遊山に変わる。


「物見遊山こそ、主と一緒が嬉しいものを。まあいい、俺と離れて主が都に残りたいと言うは、いつもそれなりのゆえありし時と俺もわかってはいる」


 言問は自分に言い聞かせるような鳴神の髪をなだめるように撫でつつも、纏めた垂髪の根に紙の元結をくくり付け、一つ一つ武具の様子を確認させた。


帷子かたびらにほつれはないな? 手甲の具合はどうだ」


 足元にしゃがみ込み、ぎゅと足の具足ぐそくをしっかりつけてやりながら確認する。鳴神の挙動を考えれば、出来るだけ軽く、堅く、しなやかに動きを邪魔せぬものがいい。


子細しさいない。主上しゅじょうからの賜り物はどれでも重く、動きも粘つくようで着けるのも嫌だが、主の物はいつでも軽く、それでいてシッカリと俺を守ってくれる。何より俺の動きの邪魔にならぬ」


「ハハッ、当たり前だ。あれらと俺を一緒にするなといつも言うだろう。 ……よし、問題はなさそうだ。形代らに一応の野営の準備は持たせてある。わすれず被衣かずきも持って行け。人里を抜ける時に目立たぬゆえ」


 言問が連ねる言葉に、幼げに一つ一つ頷く鳴神がふと顔を上げ、見送るためにと立ち上がった言問の傍へ寄った。


「主、一つ忘れている」


 鳴神のすねたような表情を見上げて察した言問は、笑って大きななりをした童をしっかり抱きしめてやった。


「息災で、傷なく戻って来い。鬼だろうと野の獣だろうとお前なら苦もないのは承知だが、決して油断はするな。……ちゃんと守れたならば、戻ってからたんと褒めてやる。……こちらもな」


 パッと顔を輝かせた鳴神の肩を引き寄せて口づけると、今は硬い胴鎧に覆われた腹を撫でて言問は更に囁いた。

 一瞬で真っ赤になった鳴神が唸って、パッと身を離した。


「言問! 俺が我慢しているのを知っていて煽りおって! 帰ったら暫く仕事に行かせぬぞ、覚えておれ!」


 ザッザと屋敷の入口にまかれた玉砂利を蹴立てるように踏みしめて、武士もののふの身なりをした形代らと共に鳴神の背が遠ざかるのを暫し見つめて、言問は笑った。


「こわやこわや。 妹背殿いもせどのは怒らせるものではないな」



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