人工フィールドでの戦闘
目を開けると、部屋の中にいた。しかし、クリプトンの家のように質素で無機質なものではない。上流階級の家にしかなさそうなソファやアンティークなドレッサー、大きな暖炉、立派なシャンデリアが見える。窓がないこと以外は、今さっきまで人が住んでいたような気配ではある。だが、所々に埃が積もっているのに気づいた。
「あ、人工フィールドだ」
ハイドロが能天気に口にする。
「人工フィールド?」
「そうか、クリプトンは初めてだよな」
ハイドロはクリプトンに、人工フィールドというものの説明をしてくれた。
人工フィールドとは、この宇宙に元から実在するフィールドではなく、現代の人間によって作られた架空のステージであると、ハイドロは言う。戦争によって、元からある自然や空間は壊されつつある。全てが崩壊した場所では、人間は満足に戦えない。そのため、戦いを続けるために人類がステージを用意したのだ。
「はあ? こんな人の屋敷みたいな場所で戦ったら、建物が崩れるだろ」
「普通の建物じゃねえよ。試しにあのドア、開けてみ?」
ハイドロが指差したシックなドアを開けてみる。クリプトンは顔を引きつらせた。はらわたが笑う。
ドアの先には、ただの暗闇が広がっていた。上下左右さえ分からないような黒い塊の背中が、ドアの淵から淵までいっぱいにくっついているように見える。
「先が……ない」
言葉で自分に分からせようとした。
「だろ? 普通に歩き出してたらどこに落ちたか分かんねえ。落ちるか、昇るかも分かんねえ。最悪、死ぬから気を付けろよ」
後ろから掛かるハイドロの声はいつも通りで、クリプトンは冷や汗を拭う。
「い、言われなくても分かってる」
「はは、じゃあこっちのドアから行こうか」
ハイドロが隣のドアを指差す。
「ハイドロが開けろよ」
「ビビッてんじゃん」
「ビビッてねえし」
てこでも動かないクリプトンに負け、ハイドロがドアを開けた時には、クリプトンはハイドロの背中にピタリと付いて構えていた。
少し、猫背なんだな。
クリプトンは、ハイドロの背が低く見えていた理由を一つ見つけた。
「そういえば、戦闘機は?」
ろくな明かりの灯らない大きな豪邸の廊下を進み、赤絨毯に視線をやりながらクリプトンは尋ねる。
「このステージでは持ち込み禁止みたいだ。これはギフテにとって命取りだな」
他人事のように答えるハイドロ。言われてみれば、自分の武器も消えている。
ハイドロだってギフテだろと、と考えていると、遠くで銃声が聞こえた。
「……持ち込み禁止じゃ?」
ハイドロを窺うと、ため息が聞こえた。
「コイオリードの奴らだろ。どんな手も使うからな」
その時、地響きが起こった。その揺れは徐々に大きくなり、遂には歩行に支障をきたす。
「何だよ!?」
揺れているのかと思いきや床が傾き始めた。二人は絨毯や家具にしがみつくが、床はどんどん傾き、その傾きはほぼ九十度に近い。
「このままじゃ落ちるって! ハイドロ!」
「俺も手が限界だ」
先に手を離したのはハイドロだった。クリプトンより前を歩いていたハイドロがクリプトンの目の前へ落ちてくる。何とか支えられないかとクリプトンが手を伸ばす。
「うおわっ」
ハイドロを掴んだ左手に引っ張られ、自分を繋ぎとめていた右手が滑る。
「わあーーーー!」
「うわああぁぁあああ!」
風よりも早く廊下を落ちる。クリプトンはハイドロを離さないことに必死だった。
廊下の先に、待ち構えた扉が見える。その扉は勝手に開き、二人を飲み込んだ。奈落のような暗い世界へ放り出される。その中でクリプトンは、扉が自分たちから離れていくのをずっと見ていた。
……大丈夫? あんた、ねえ、おーい。
身体を揺すられる感覚に目を覚ますと、ぼけた視界には二人の男女が映っていた。
「あ、目が覚めました!」
「よかった!」
味方か?
クリプトンは身体を起こす。
「もう起きて大丈夫ですか? あなた、上から落ちてきたんですよ」
眼鏡をかけた男性の方がクリプトンの背を支える。
「兄ちゃん、無理はよくない。大丈夫だよ、私たちは怪我人を襲ったりしないから。コイオリードでもあるまいし」
今度は女性がクリプトンに目の前から話しかけてくる。二人の服装を見て、クリプトンは血相を変えた。自分を助けてくれた二人はプッイの戦闘員ではなかった。
「て、てて、敵国!」
「確かにそうだけど、怪我人を襲うのは人間として終わってるって」
クリプトンは信じられない目で二人を見る。今すぐ逃げようと立ち上がろうとした。
「うっ……」
足首を押さえる。捻ったようだ。
「ごめんなさい、わたくしたちが驚かせてしまっていますよね。わたくしたちは、ガマダガムダの戦闘員です」
男性がクリプトンを支えるようにしゃがみ込む。
ガマダガムダは、プッイよりもいくらか格下の国という認識がクリプトンにはある。
「私はアクチノ。そっちはスズ。あんたの名前は?」
何とか立ち上がったクリプトンに、女性が尋ねた。クリプトンと同じくらいの背丈だ。
「クリプトン」
いくら敵とはいえ、助けてもらった恩には答えなければならないという人間性はまだクリプトンの中に残っていた。
「いい名前だね。どこの国だい?」
「プッイだ」
それを聞いた二人は一瞬、驚いた顔で見合った後、確かめ合うように頷いた。
「よろしく、クリプトン」
差し出された手を、クリプトンは引き気味の腰のまま握った。
「俺の近くにもう一人、男がいたはずなんだけど」
ハイドロはどこへ行ったのか。落ちている最中にも、絶対に手を離すまいとしていたのに。
「わたくしたちが落下するクリプトンさんを見た時は、もうあなたは一人でしたよ」
スズが答える。困り果てたクリプトンは彼の言葉を信じてみることにした。
「そっか、じゃあ、俺は手を離したのか……」
「その男もきっと無事だよ、クリプトンが無事なんだから!」
アクチノがクリプトンの背中をバシバシ叩く。大柄なのは性格も同様らしい。
「何で二人は、敵国の俺を助けてくれたの?」
ガマダガムダはプッイにとって、相手にすらしていない国だ。しかし、ガマダガムダにとって、プッイは鬼胎極まりない国ではないのか。であれば、自分が気を失っている間に殺してしまった方がよいのは自明のこと。クリプトンは未だに警戒心が解けないでいる。
「そりゃ、敵って言ったって、怪我人に国境は関係ないだろ」
「そうですよ。わたくしたちはとても弱い国ではありますが、それは戦闘能力であって、心はとても強い国です」
二人の声には、形容しがたい、明るいものを感じる。それが何なのかは分からないがクリプトンには温かい。
「ねね、クリプトンさんのこと、わたくしはもっと知りたいです! 妻が一度、プッイに行ってみたいと申しているのです。国家秘密なんていらないので、仲良くしたいです」
「スズには奥さんがいるのか?」
「はい。寝たきりですがね」
クリプトンは言葉に困る。どのような心情でスズが話しているのか掴めない。むやみに心を掻き荒らすのは、クリプトンがしたくないことの一つだった。
「スズは、妻に少しでも楽な生活をさせてあげたいって、手取りが多い戦闘員になったんだ」
アクチノが代弁でクリプトンに伝えた。
「それだけじゃないですよ。戦場で見つけた動植物の話とか、あまり荒らされていない綺麗な景色のある戦場の話をすると、彼女はとても喜ぶのです。それが嬉しくて。アクチノさんも似たようなものじゃないですか」
スズがアクチノに笑顔を向ける。アクチノは笑いながら髪を触った。
「まあ私も、家族に食わせるために戦ってんだ。今はスズの教育係。でも、あんまレベル変わらないんだけどさ。スズと」
「いえ、アクチノさんはわたくしよりも経験値がありますし、度胸もあります! 尊敬しておりますよ」
ここにも考えている人たちが集まっていたのかと、クリプトンは胸が熱くなる。同じように目的を持った仲間が、ここにいた。
「俺は、この世界を平和にしたくて参加したんだ。ハイドロに誘われてな……」
いつの間にか、クリプトンは敵だったはずの二人に心を開き、自分の夢、人生、街のことを話していた。それに乗るように、二人もクリプトンにガマダガムダの話を聞かせてくれた。ガマダガムダはプッイと違い、夜も昼もくる。自然はまだ残っており、貧しいが、人々は助け合って暮らしているらしい。もちろん、戦闘員でなくともブラックスーツは強制されない。生まれた時からプッイの生活が当たり前だったクリプトンはガマダガムダの生活を特別羨ましいとも思わないが、一度行ってみたいと思った。誰かの訃報が入れば、心から悲しむガマダガムダの人々。恵みの光を浴びながら、細い食で明日を憂い、それでも仲間たちと協力し合う生活を。
話を聞き終わる頃には、ガマダガムダが弱いのに強い、その理由が分かった気がした。ガマダガムダの人たちはまだ人間性を失っていないのだ。それは宗教にも、洗脳にも似た何かかもしれないが、クリプトンにはそれだけが羨ましく感じる。心を支えてくれるものが一つでもあるなら、人は自分を失わずに生きていける。戦争に操られずに存在していられる。
自分には、そんな心の支えがあるだろうか。
家族はいるが、しばらく会っていない。仲間と言える存在もハイドロくらいだ。だが、一つだけ心に光るものがある。
あの時、見た夢。
柔らかい光に包まれて、こちらを振り返る、優しい、あの――
気づけば心臓が控えめに暴れていた。主人に迷惑をかけないように、それでも、自分の気持ちには気づいてほしいと言うように。自分の中にあるのに自分じゃないような気持ちをクリプトンは正直に受け取る。目の前の二人といると、そんな気持ちになれるのだ。
「俺、二人には敵わねえかも」
友達に言うようにクリプトンの口は動いていた。
「敵わなくても、私たちはクリプトンを襲わないよ」
「そうでございます!」
三人の心は国境を越えた。
「ハイドロさん、どこに行っちゃったんでしょうね」
三人はハイドロを探し歩いていた。クリプトンの足首はまだ痛む。片足を引きずってはスズに支えてもらった。
「どこ行ったかも分からないし、ここは暗いなあ。俺、暗すぎるとよく見えねえんだ」
「ハイドロはギフテなんだろ? 頭使って、どうにか避難してると思うんだよ」
そこで、再び銃声が聞こえた。
「またか……コイオリードの奴らはどんな手を使って武器を侵入させたんだろう。監視を潜り抜けるってんだから、相当な手口か、システムをいじってるな」
アクチノが警戒を強める。
クリプトンにおけるハイドロの心配はそれほどでもなかった。確かに心配ではあるのだが、彼に限って命を落とすことはあり得ないように思える。先ほどの銃声も、もしかすればハイドロが敵から武器を奪い、生き残るために利用しているのかもしれない。それに、自分がいつまでもハイドロに「おんぶに抱っこ」され続けるのは卒業したかった。これを機にハイドロから離れた行動をしてみようと意気込む。
「二人は、コイオリードとは戦ったことが?」
クリプトンは二人に疑問をぶつけてみた。
「ありますよ。まあ、ほとんど全滅させられてしまいましたけど」
スズが答える。その言葉尻は消え入りそうだった。
「あん時はArg18がいたからね。こちらが何百人いても結果は同じだったよ」
アクチノが出したその名前をクリプトンは聞き逃さなかった。
「何だって!? アルゴンは……ステージ2には、まだいないはずだろ!?」
「アルゴン……? クリプトンさんたちの国では、そんな呼び方なのですね」
スズが眼鏡を上げながら頷く。
「コイオリードが規則を守ると思うかい? 戦勝のためであれば、どんなルールだって破る奴らだ。罰則も掻い潜る手があるんだろう。だから、コイオリードの格上がステージ2に降りてきても驚くことじゃないさ。今まで何回もあった」
その話をクリプトンは初めて聞いた。ハイドロからも聞いていない。ハイドロがその例を知っていれば、クリプトンの前であれほど大げさにアルゴンの降格を知らせなかっただろう。果たして、ハイドロがその例を知らなかったということはあるのだろうか。クリプトンの考える可能性としては、プッイに昼がやってくる可能性と同じくらい、有り得ない。
「クリプトンさんは、コイオリードと戦ったことがおありですか?」
今度はスズが聞いてきた。
「ああ、あるよ。でも、一人が撃たれた」
目の前で、直前まで生きて話していたリンが撃たれた。あの光景を思い出して苦しくなる。ケイのやるせない横顔も。
「……わたくしは、コイオリードが憎いのではなく、恐ろしいのではなく、何だか……同情に似た何かを感じてしまうのです」
クリプトンの思い詰めた横顔を感じ、スズが語り始める。
「同情?」
思いもしなかった言葉に、スズを見つめる。
「はい。同情という言葉が正しいのかは分かりませんが、わたくしには」
優しさとは違った、スズの笑顔。
「私はすぐ気を失ったから見てないけど、スズはArg18の顔を一瞬、見たんだと」
アクチノが悔しさ混じりの声で補足を入れる。
「アルゴンは、どんなだった?」
自分でも曖昧な質問だと思う。しかし、いつか対峙するかもしれないアルゴンの情報を仕入れておきたいというのがクリプトンの本音だ。
「わたくしも、すぐに気絶してしまったので精細には観察していないのです。しかし、あの顔は……焦ったような……諦めたような……矛盾してるかもしれませんが、そんな表情に見えました。でも、わたくしもそれどころではなかったので見間違いかもしれませんね」
あの小さな身体で、その場のガマダガムダをほぼ全滅させ、自分の詳細は見せない。不詳ゆえの不気味さ。
「それでも、もし、あの表情が本当だったとしたら、コイオリードの戦闘員は」
言葉を止め、息を吸って、スズが再び口を開く。
「とても、心が弱いのだと思います」
心が、弱い。それはどういう意味だろう。
「心が弱い……」
「はい。自分の心が崩れないように金属やコンクリートで固めて、自分でも自分の心が見えない。国も見せまいと必死だから、助けてくれる人はいない。この世に、誰一人として」
「何でスズがこんな考えをしているか、分かるかい?」
アクチノが横から尋ねる。
「いや」
「コイオリードで生まれた者は皆、戦闘員以外は人間扱いされないのさ」
静かな声で、はっきりとそう言った。
「生まれた時から国の奴隷。ありとあらゆる暴力や理不尽を受け、国の工場にされ、そのまま一生を終える。そうなりたくなかったら戦闘員になるしかないんだ。Arg18もそうなんだろうさ。しかも、使えない戦闘員は自ら地雷になって自爆させられるって、私は聞いたよ」
クリプトンは、アルゴンが大人から暴力を受ける過去を想像した。抵抗も知らない、何が正常かも分からない幼さを利用されて、死ぬことも生きることも失敗して過ごす日々。小さい身体をさらに縮こまらせて、震えながら戦場に楽園を夢見る。死ぬ気で戦闘員になった後は、とにかく殺されないように片っ端から敵を殺す。いつのまにか自分の心は固めたもので見えなくなって、元からなかったような気もして。今も、いる。
「付け込まれてしまうって意味でも、心が弱い」
アクチノがそうあまりにも悲しみの声を出すものだから、クリプトンは言葉が出なかった。
ハイドロはどこまでそれを知っているのだろうか。
「そうは申しましても、コイオリードと遭遇したら本気を出しますよ。わたくしが死んでしまっては妻が可哀そうですから」
「それは俺もだ」
「協力して行こう」
ふと、前を歩くアクチノが何かを見つけた。
「扉だ」
「開けてみよう。明るい場所に出られるかもしれない」
クリプトンの言葉に頷き、アクチノがノブを回す。
「ハッ!!」
開けた瞬間、アクチノが隙間に拳を入れた。クリプトンは何事かとオロオロする。
「こいつ、待ち伏せしてやがった」
扉の隙間から気を失った敵の姿が引っ張り出された。アクチノの一撃で気を飛ばされたのだろう。
「わ、わたくしが開けていたら確実にやられてました……さすがです」
扉の向こうの気配にはクリプトンも気づかなかった。ステージ2に上がっても、まだまだ抜けがあると反省する。
「そいつ、どうするつもり?」
クリプトンは聞いた。二人が、気を失っている敵にそれ以上の手を出そうとしないからだ。
「消したいところだけど武器がない。手でやると、自分の手が汚れるから嫌なんだよな」
アクチノが無理に笑顔を作る。
「わたくしも……眠っている人に手は出したくないですね」
スズは深刻な顔をしている。
「二人はお人好し過ぎるよ。俺もそんな二人だから助けられたんだけど……こいつは殺すべきだ」
「じゃあクリプトンがやりな。点数はくれてやる」
片手で差し出された敵は首根っこを掴まれ、ぬいぐるみのようにプラプラと揺れている。
「……ぐ」
武器さえ持っていれば瞬殺なのに。そんなことをクリプトンも考える。しかし、今まで拳で殺してきたことなど何度もあった。それができなくなってしまったのは、目の前に「人間を捨てられない」二人がいるからだと結論づける。
「今は、俺も足が万全じゃねえから」
理由を付けて逃げることにした。
「私たちにも、弱い部分があるのさ」
アクチノは眉を下げてフッと笑う。敵をそっと床に横たえ、扉の向こうへ歩き出す。クリプトンとスズもそれに続いた。
扉が閉まると、横たえられた敵の胸に弾が撃たれた。微動だにしない亡骸。
その横を銃の持ち主が通る。静かに、廊下を歩いていった。
銃の叫びを聞いた者は一人もいない。
三人が入った扉の先は、また雰囲気の違った部屋だった。いや、部屋というよりは、長すぎるバスのような空間だ。壁側に張り付いた座席はあるが、座っている者はいない。電気は点いているが、煌々としたものではなかった。先が見えないほど空間は続いている。
「何だこ……うわっ!」
前触れもなく空間が揺れ出した。また、傾くのだろうか。
「動いています!?」
スズの言う通り、空間は乗り物のように動いていた。
「何か来る!」
アクチノが叫ぶと、二人にも気配が読み取れた。
「誰だ!?」
視線の先に誰かがいる。しかし、姿は見えない。何かがいる空間だけが、時空を捻じ曲げているようにクリプトンは感じる。
背後に、気配が回った。
「うぐ……!」
咄嗟に両手をクロスさせ振り向き、背後からの攻撃を両腕で受ける。捻った足が呻く。一秒でも感知が遅ければ、直に攻撃されていただろう。
「クリプトンさん!」
「無事だ! 自分の心配をしろ!」
目の前にいたはずの気配が、今度は遠くへ移った。スズの方へ。
「スズ!」
アクチノが叫ぶ。
鉄同士がぶつかったような大きな音がして、クリプトンはスズのいた方向へ首を向ける。
ひるんで動けなくなったスズを、アクチノが身体で守っていた。
「アクチノ!」
アクチノは敵の足を掴んでいた。そのおかげで、クリプトンとスズは敵の正体を視界に捉えることができた。
「あの色は、コイオリード!」
空間が傾き始めた。
一瞬緩んだアクチノの手から離れたコイオリードの戦闘員は、蜘蛛のような長い手足を動かし、壁に張り付いた。
「ケッ、柔軟性がある奴みたいだね」
呟いたアクチノは背中からスズに話しかける。
「大丈夫かい、油断は禁物だよ」
「は、はい! ありがとうございますっ」
クリプトンも二人に駆け寄り、腰の抜けたスズを起こす。その間も空間はゆっくりと動いて傾きを止めない。
「あんた、武器持ってんだろ。掟破りだな。自覚あんのか?」
だが敵は答えず、壁を四肢でシュルシュルと移動する。答える必要性を感じていないのか。答える言葉を知らないのか。
「アイツ、一人だ。俺たち三人でかかればいける!」
「駄目だ」
片手を挙げ、アクチノが反対した。
「どうして!?」
「あいつのレベルは低く見積もっても90くらいだろう。さらに武器の匂いがする。ここで私たちが手を合わせても瀕死にされるか、最悪、全員死ぬ。私とスズはあと二時間でタイムリミットだが、クリプトンはまだ時間がある。手がある内に逃げるんだよ」
自分よりも経験値のあるアクチノの指示が、クリプトンには意気地なしの言い訳に聞こえた。
「逃げるってどこに!? あんなに縦横無尽に動かれちゃ、逃がしてもらえんだろ!」
「だから、私たちがいる内に逃げろって言ってんだ。クリプトンは足もまだ回復してないだろう。早くハイドロと合流するんだ」
会話が途切れた。敵の爆弾が、辺りを煙で覆う。さらに、急激に回転を始めた空間に、皆は振り落とされた。先ほどまで天井だった場所は床になった。足元で吊り革が伸びている。
「見えない!」
「動くんじゃない! 集中しろ! 敵が来たら打ち返せ!」
アクチノの指示が終わる前に、クリプトンの目に敵が迫った。足を庇うように腕で応戦する。
「ううっ、武器とか、ずりい」
煙の中から現れる足や拳を打ち返すことしかできない。狭い空間で視界を奪われ、攻撃の前に防御で精一杯だ。
いきなり、相手からの攻撃が止まった。気配が目の前にない。
「そっちだ!」
黒く淀む視界の中で叫ぶ。
「うわあ!」
スズの声。
「今、行く……」
クリプトンが足を動かそうとした瞬間、スズがこちらに向かってスライドするように飛んできた。
「えっ」
両手を広げてスズを受け止める。反動で尻もちをついた。
「いて」
「すみません! 大丈夫ですか!」
「そこだな!」
アクチノが怪力で敵の腕を掴み、動きを止めた。両者は引っ張り合っている。
「スズは、足が速いのか?」
「いえ、ジャンプ力があるだけです」
スズに起こしてもらう。
「ジャンプ力か……」
何かを思いつけそうなクリプトンだが、答えは煙に包まれ、晴れない。
「何してんのさ! 今の内に逃げな!」
敵を捕まえているアクチノが怒鳴る。
「行きましょう、クリプトンさん!」
「待ってくれ、何かな……」
「何してるんですか! 早く!」
スズのジャンプ力、アクチノの怪力、狭い空間、低い天井、揺れるバス?
「スズ! 真上にも跳べるか!?」
「え? できますけど……」
「じゃあ、俺を肩車して思いっきりジャンプしてくれ!」
「ええ! クリプトンさんが潰れちゃいますよお!」
「考えてる時間はない! 一か六か、やってみるんだ!」
クリプトンとスズはその場で作戦を決め、命を懸けることにした。
スズがクリプトンを肩に担ぐ。
「重くて悪いな」
「い、いえ、なんのこれしき!」
二人はタイミングを待つ。アクチノが時間を繋ぐ。空間が徐々に傾き始めた。
「よし……」
ゆっくり、ゆっくり、傾いていく。三十度。四十五度。八十……
吊り革が揺れた。
「今だ!」
「ううぅぅおうりゃああああああああ!」
スズが足全体で飛び上がる。クリプトンは腕に最大の力を込める。天井へ、真っすぐに落ちていく。
「いけえええええ!」
クリプトンの拳と声は天井をへこませる。
「ぇええええええええええい!」
ボゴン、ボゴンとめり込んでいく。
「いいいいいああああああぁぁぁ!」
天井は突き破られた。二人はそのまま暗闇に吸い込まれる。
一部始終を見ていたアクチノは茫然としたが、段々と笑いが込み上げてきた。そして……
「これは、仲間を傷つけてくれた分だよ!」
全力の馬力で敵を蹴り上げると、自分も暗闇にダイブしていった。
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