第2話 テルー領区 待機基地

 俺達が今、着地した錘地すいちは『テルー領区』の『空撃師待機基地』だ。

 浴びせられた水をフィエムスの風系魔法で乾かしてもらい、俺達は体温と魔力を回復させるために基地内の休憩室に入った。


 アーレント帝国は、空域そらいきに存在する大小五千にも及ぶ錘地の集合体であり、それらを現在は十一の領区に分けて統括している。

 遙か昔は……大きな大地だった錘地が『厄災後』に細かく分かれてしまっているせいで、無人の錘地も数多く存在している。


 あまりに昔のことすぎて、俺達のような成齢せいれいになったばかりの若造には、ただの御伽噺にしか思えないけど……それはまぎれもなく、神々の語ってくれる『歴史』だ。

 俺がリア様から聞かされて、書き付けていたものもその『歴史』である。


 テルー領区はどの錘地も南側にあることが多く、果物が美味しい領区だ。

 特にここにしかない『甘苞果かんほうか』は、細長い実が黄色く熟すと甘い香りを醸し食欲をそそる。

 皮が手で簡単に剝けて、中身の乳白色の実も甘く柔らかいが食べ応えがあって美味しいのだ。


 食事の前だけど……この美味しさには抗えない。

 ここの待機基地、いつも果物が食べ放題で俺もエルスも大好きなんだよね。

 重い雰囲気に包まれる休憩所で、なんとか明るく振る舞っていた俺とエルスだったが一向に空気感は上向かない。


「フィエムス、甘苞果……食べる?」

「いや、後にする」


 う、和ませようとしたが、真顔で断られてしまった……フィエムスだって、甘苞果が大好きなはずなのに……

 これは、フィエムスが感情的にならないように自分を抑えている時の特徴だ。

 眉間に皺が寄っているから、抑えているのは『怒り』だろう。


 その時、つかつかとルティアに近付くセーエラの姿が見えた。

 セーエラは、ふいっと視線を逸らして俯くルティアの真っ正面に立ち、厳しい表情のまま見下ろす。


「ルティア、私達がどうして怒っているか、解るわよね?」


 発せられた声には憤りはあるものの、決して荒らげているということではなく諭すような響きだ。

 だが、その口調にルティアは身を竦ませ、小さく頷く。

 それを確認して、セーエラの口調は強くなる。


「言ったはずよ。どうして、髪を結わずに上がってきたの? 魔鳥の飛ぶ高度は突風で髪が視界を塞ぐと、あれほど、何度も、注意したよね?」

「……ごめん、なさい……」

「それは、誰に対する、なんの謝罪?」


 セーエラがこんなに厳しいのは、仕方のないことだ。

 俺達の暮らす空域そらいきは、魔法で守られている錘地の上以外はもの凄く風が強く、その風はとても冷たい。

 しかし、その冷たい風の中に熱風が吹きすさぶことがある。


 熱を帯びた風に乗って現れるのが『魔鳥』……そいつ等は強い毒性を持ち、人に喰らいついて魔力を吸い取り、殺した後の死骸に卵を産み付け繁殖していく『穢れの元』となるものだ。

 穢れが錘地に大量に染み込んでしまうとぼろぼろと崩れ、その錘地は……壊れてしまう。


 魔鳥は、大きさも種類も様々で飛び交う場所や高度も種によって違う。

 それらを早急に発見し、決して人の住まう錘地に穢れを落とさぬように排除しなくてはならない。

 そのためには『複数の魔法』が必要だ。


 だけど、空を自在に飛び速度のある魔鳥にひとりでは立ち向かえない。

 風を防いだり、やり過ごしたりしつつ、連携して境域を作り、捕らえ、そして羽の一枚も落とさないように確実に『燃やす』か『浄化分解』しなくてはいけない。


 大きな群れなどに大人数で立ち向かう『空蜓くうてい戦』ならば、ひとりふたりの魔法が敵まで届かないとか弱かったとしても、なんとか補えるし助けられる。

 だけど、俺達のような少人数で動く低空の『空撃隊』だと……ひとりの不注意や準備不足の過ちが生死を大きく分ける。


「長い髪は必ず結い上げ、視界が欠けないようにしなければ魔法が迷走する。特に、ルティアは境域設定がまだ曖昧なのだから、絶対に視界を遮るようなことがあってはならないのよ」

「だ、だって……警報の時……丁度、髪を解いてしまったばかりで……」

「だとしたら、どうして上がってきたの!」


 うーん……セーエラは責任感が強いし、俺達『第八隊』の隊長という立場だから強い言い方になっちゃうのも解るけど、ちょっときついんだよねぇ……正論すぎてさ。

 だけど、ここで『まぁ、まぁ』なんて言ってルティアのことを許してはいけないってのは、ここにいる全員が理解している。

 どうにも我慢ならなくなったのか、フィエムスが口を挟む。


「そうだ。髪がほどけていた『迷惑をかける危険な格好』のままならば、出撃自体をすべきではなかった。繋傳けいでん様がいらしたのだから、出られるかどうかの伝言ができたはずだ」


「ねぇ、出て来る時にあなたはリア様を伴っていなかったわよね? 警報が聞けるほど近くにいたリア様を、どうして置いてきたの? フィエムスのリア様が『あなたが戦える格好でない』とすぐに判断してエルスを呼んでくれていなかったら……あなたはヴィリオンに怪我をさせるだけでなく、殺してしまっていたかもしれないのよ」


冷静だが間違いなく怒りのこもった声だったフィエムスに続いたセーエラの𠮟責に、ルティアはそんな重大なことになるなんて思わなかった、とでもいうように、ばっと顔を上げて俺の方に視線を送る。


 あ、俺は怒ってはいないから。

 でも、許したってわけでもないんだけどね。

 俺が怒らないのは、俺の周りの人達が全員とーっても怒っているからってだけだし。


「ヴィリオン……ごめんなさい……」

「うん」


 彼女からの謝罪は受け取る。

 あの程度でぐらついちゃった自分のことも、ちょっと情けなかったし。

 俺の頭の上と、みんなの膝の上や肩に乗っている『リア様達』は、何も言わない。

 あれ……ルティアのリア様……何処にいるんだ?


 ふぅ、と溜息に似たような短い息を吐いて、セーエラは『もう帰りなさい』とルティアに自領に戻るように促す。

 ルティアは充分に知っていたはずだ。

 魔法の失敗が、自分にも共に戦う者達にもどれほど危険かを。


 もしかしたら『ルティア』が交代になってしまうかもなぁ……なんて思いながら、俺はもう一本の甘苞果の皮を剝き、かぶりついた。

 エルスも同じことを思っていたらしく、仕方ないかな、と呟く。


 俺達は、討伐をしくじってはいけないのだ。 

 魔鳥を一羽逃せば、数十人、数百人という領区の民に被害が及ぶ。

 ……これ以上、アーレントの民を損なうわけにはいかない。

 ま、この『西側』は、有人錘地が少ないから、俺とルティアのような経験の浅い空撃師がいてもなんとかなっているんだろうけど。


「ヴィリオン、ひとつくれ」

「食べる気になったんだ、フィエムス?」

「魔力不足は、感情の揺れが大きくなるからな。食って眠らないと回復しないし」


 俺が疲れた顔のフィエムスに甘苞果をひとつ渡すと、ささっと皮を剝いて三口くらいで食べきる。

 そして、もう一本を手に取ると肩に乗っていた、俺と一緒にいるリア様よりずっと小さい袋の『フィエムスのリア様』がぽぽん、とフィエムスの頭に乗った。


「そだよー、フィエムスはもっと寝た方がいいよー。甘いのも食べてねー」

「解っているよ、繋傳けいでん様」

「違ーーう! リ・ア!」

「……リア様」

「うーん、どーしてみんな『様』を付けるんだよー」

「当たり前だろう? 神々と繋いでくださるのだから、俺達にとっては神と同じだ」

「ただの伝令係なんだけどなぁ。まぁ、しょーがないかぁぁ……」


 リア様って、みんなにそう言っているんだな。

 俺も何度も『様は要らないのにーーっ!』って言われるんだよね。


「あ、リア様、さっきはエルスを呼んでくれてありがとうね。飴、食べる?」

「食べるーー!」


 フィエムスの頭に乗ってたリア様の『袋の口』に飴玉をひとつ近づけると、しゅるっと中に吸い込まれる。


「「「ヴィリオンーーっ! こっちもーー!」」」


 全員にくっついていたリア様達が一斉に飴を要求し、俺は『はい、はい』とひとつずつ配り歩く。

 リア様って……『ひとり』だけど『ひとりじゃない』って思うのはこういう時だよな。

 やっと場の空気がふわりと和み、明るさが戻った。


 ふぅー……後でルティアの所、行っておこうかな。

 ちょっと、気になることもあるし。



*******

本文中の『空』は誤字ではありません。

作品タイトルは『空』、本文中で指しているものは『空』です。

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