Act.1 初めてのスティック(操艦桿)・3

「そんな時はね、リサ、こう言うの」ネルガレーテが腹から声を上げた。「──黙ってろ、このドテカボチャ」

「ドテカボチャ・・・!」

 合わせた両手を口元に当て、目を点にするリサに、ユーマがニヤッとしながら悪乗りする。

「ガタガタかすと、尻から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わせるぞ、って女のコが啖呵を切るのもちょっと粋よ」

「あら、そのドタマかち割って脳みそチューチュー吸い出すぞ、って言うのもワイルドよ」

「え? 奥歯ガタガタ? 脳みそチューチュー・・・?」

 初めて聞くドラグゥン流の悪罵あくば言葉に、リサが何故か愉快そうに微笑む。

「だったら、コンクリ詰めして天の河に放り込むぞ、なんてどう? 梟雄きょうゆうっぽいのに可愛らしさもあって、紅の傭われ宇宙艦乗りドラグゥン・リサにぴったりじゃない?」

 リサが堪らず、プププと噴き出す。

「──そうそう、リサには笑顔がよく似合うわよ」満面の笑みを見せたネルガレーテが、小さく頷くと踵を返す。「意気が戻ったら、艦橋ブリッジに上がって来るのよ。まずはアールスフェボリット・コスモス社のステーションまで操艦ドライブしてもらわないと」

「ありがとう、ネルガレーテ」

 救護医療処置室メディカル・ステーションの扉を開き、出て行こうとするネルガレーテが振り向きざま、リサに声を掛けた。

「あ、そうそう。アディが、こうも言っていたわね」

 ネルガレーテがちょっと考え込むような、それでいて嬉しそうな不思議な表情を見せた。

「──あの操艦ドライブ、リサらしいと言えばリサらしいかな、って」

「え・・・? それ、どういう・・・」

 一瞬きょとんとしたリサが、やおら問い直そうとしたが、言うだけ言ったネルガレーテは、リサの反応を確認する事なく、振り返りもせずに軽く手を上げて扉の向こうに消えて行った。その後を追うように、ユーマのおおきな体躯が扉の前に立った。

艦橋ブリッジに入る時は、何も考えちゃ駄目よ。何事もなかったかのように、胸を張って入って来るのよ」

 振り返ったユーマは、頷くリサと目を合わせ、微笑みを残して出て行った。

“あたし・・・らしい? あの操艦ドライブが・・・?”

 リサはユーマに貰った等浸透圧アイソトニック水に口を付けた。氷の細やかな音と共に、リサの表情に柔らかさが戻ってくる。

“それって、思っていた以上に乱暴な性格、って意味かしら・・・”

 リサは大きく深呼吸をした。

“──もう少し上手くやれる自信はあったんだけどなあ・・・”

 正直、悔しかった。

 皆に紹介してもらうまでは、自信があった。

 必要とされる専門知識とスキルはネルガレーテから紹介してもらった諸機関で身に付けたが、いずれも悪くない成績だった。中の上くらいに考えていた。編団レギオに入っても、足手纏いにならないだけの自信もあった。

“けど、勘所は良いって言ってくれたのよね? それって褒めてくれたのよね・・・アディ?”

 なのに結果的に、失神すると言う無様な醜態をさらしてしまった。自分で思っていた以上に緊張していたのか、すっかり逆上のぼせて落ち着きを失っていた。

“──操艦ドライブ記録・・・後でこっそり、ビーチェに教えてもらわないと・・・”

 ユニット枕元の制御卓コンソールに嵌まった時計を見た。アモンの操艦桿ドライブ・スティックを初めて握ってから、1時間が経とうとしていた。気を失って2、30分くらいか。

“──とにかく、まだ自分には、やらないといけない事がある”

 ネルガレーテが言った通り、まずはアモンをアールスフェボリット社のステーションへ操艦ドライブすること。本当の仕事アグリーメントは、そこから始まると言うのに。

“早くアディに、よし行くぞ、リサ、って言われたい・・・!”

 そう思い直して、リサは等浸透圧アイソトニック水を飲み干すと、モジュールから勢い良く立ち上がった。冷ややかな水が、喉に気持ち良い余韻を残す。リサの頭の中は、次の航法プログラムのシークエンス手順を復習していた。



 傭われ宇宙艦乗りドラグゥン・エトランジェ──。

 そう聞いて眉をしかめない者はいない。

 そう呼ばれる一群が、いつからそう呼ばれ始めたのかは定かではない。

 自ら保有する機艦を自在に駆り、銀河を宇宙を無尽に渡り歩く、雇われ現役宇宙艦乗りジャック・アフロート。報酬さえ見合えば、汚れ仕事だろうが何でも請け負う。

 実際、航路開拓から人命救助、武力制圧、安全保障活動、強襲鎮圧、危険物輸送に船舶運航代理、果ては密輸から強盗、星賊イェーグまがいの活動まで、その守備範囲に合法不法は問わないのは勿論の事、請け負う仕事の善悪に糸目すら付けない。だからこそ荒涼荒漠とした宇宙において最後の最後に頼りになるのが、皮肉にも“傭われ宇宙艦乗りドラグゥン”と呼ばれる族輩やからなのだ。

 もともと素性の怪しい族輩やからや凶状持ちが、徒党を組んで始めた、と言われる。それ故に行動は荒っぽく強引で、全てが自己流。法の正義や秩序や倫理すら軽んじるが、それゆえに実行力や完遂能力にいては、右に並ぶものがいない。


 そんな傭われ宇宙艦乗りドラグゥンの手足とする機艦に艤装されているのが、虚時空アイドル・ディメンション航法と呼ばれる超光速航法システムだ。

 実は現在、就役している外洋航行船舶の99.99999パーセント以上が実装している超光速航法システムは、超対称性場推進と呼ばれるシステムだ。他の傭われ宇宙艦乗りドラグゥン機艦同様に、アモンが艤装している虚時空アイドル・ディメンションドライブは、孔雀座宙域ノルニル太陽系のノルン人が唯一実用化した超光速航法システムで、一般的な超光速航法システムである超対称性場推進とは全く異なる基盤論理体系アーキテクチャーセオリーで稼動している。

 それは虚時空アイドル・ディメンション航法が、時空移転現象を利用する航法であり、単なる推進装置ではないと言う点だ。従って虚時空推進とは表現されない。超対称性場推進は100光年の距離を20時間から50時間で航行可能だが、虚時空航行だと瞬く間に移動できる。

 その虚時空アイドル・ディメンション航法の基礎となる静動次元相補理論と虚空粒子理論を確立したのが、孔雀座宙域にある太陽系ノルニルのノルン人唯一であり、工学的技術ですら開発したノルン人にしか扱えない代物なのだ。しかもそのノルン人国家であるノルニル自体も、太陽系国家として如何なる国とも、同盟や連合は言うに及ばず条約批准や交易すらも行っていないため、技術としては存在するが、このシステムを理解し複製できる者が、他の炭素系高度文明類人種カルボノ・キウィリズド・サピエンスには存在しない、と言う超入手困難技術ハードリミテッド・アヴェイラビリティ・テクノロジーとなっている。

 その極端に鎖国的で排他的なノルニルからの技術供与、信用に値する対外技術供与クレディテッド・エクスターナル・テクノロジー・グラントは、通称“信義ある確かな友人アミークス・ケルトゥス・イン・フィーデス”供与とも呼ばれ、たとえ相手が強大な国家であっても変わりはない。これは個々のノルン人の集合としての全体が、1つの個体であるかのように振る舞う、超個体社会的なつながりを有しており、そこから派生する他者には全く理解不能なノルン人の独特の価値観に由来するため、とも言われている。

 ただ面白い事に、ノルン人と一度関係を構築できた者は、次からは何のストレスもなく交渉のテーブルに付いて貰えるのだ。そうなるとその特殊な超個体社会構造から、如何なるノルン人に交渉を持ち掛けても差し障りないと言う、他の人種には理解不能な社会構造をしている。だからノルニルと交渉する場合、既にノルニルと交渉や取引経験のある仲介者を立てる。つまり、伝手つてを頼る、と言う方法がほぼ唯一と言って良い。これが俗に言う、“信義ある確かな友人アミークス・ケルトゥス・イン・フィーデス”への技術供与──ノルニルからの信用に値する対外技術供与クレディテッド・エクスターナル・テクノロジー・グラントなのだ。

 さらに奇妙なのが、この虚時空アイドル・ディメンション航法システムに限っては、供与される相手が全て傭われ宇宙艦乗りドラグゥンと言われている。宇宙を生業なりわいにしているドラグゥン連中は、ノルン人にとって何故か数少ない例外らしく、虚時空アイドル・ディメンション航法システムを艤装している艦船は、特別な例外を除いてほぼ全てが傭われ宇宙艦乗りドラグゥンの機艦と目されている。ただその理由は定かではなく、しかも虚時空アイドル・ディメンション航法の技術に限っての事なのかは、未だもって謎なのだ。


 くして虚時空アイドル・ディメンションドライブを手に入れた宇宙の無頼漢たちは、その宇宙艦船を龍虎のように操り、請われれば人外魔境だろうと、今日も足を踏み入れる。無限と漆黒の宇宙において、自らの力のみを唯一の頼りにする宇宙生活者、それが傭われ宇宙艦乗りドラグゥン・エトランジェなのだ。


「首星ホフランから11万キロ、虚時空アイドル・ディメンションドライブ稼動に伴う、周囲テンソル空間の真空期待値が、安定稼動への閾値しきいち以下に入った事を確認しました」

 ホフランの退避周回軌道リフュージ・オービットから離脱してから約1時間、ベアトリーチェからの声が、アモンの艦橋ブリッジに詰める5人の傭われ宇宙艦乗りドラグゥン艦内通話機インカムに届く。アモンの艦体がブルッと小刻みに揺れる。姿勢制御推力器バーニアの核融合爆縮パルス・スラスターが、アモン舷側で幾つか噴き上がり、艦首が向きを変える。

虚時空拡張タキオン・エキスパンドエンジンの作動ステータスはホールド中、フェードイン座標までの予定進航路シフトにオンレーン」

 相変わらず抑揚のない、ベアトリーチェの声が続く。

「アールスフェボリット・コスモス社のステーションの現座標最終確認、移動ベクトルからの会合時座標検算。フェードアウト座標を、星天解析アスタリズム・アンラベリングシステムに同調」

 ジィクが航宙路の最終ナビゲーションを設定する。

時空共役ディメンション・コンジュゲートエンジン稼働、異状を認めないわ。力場維持翼フィールド・スタビライザーを展開」

 ユーマの言葉と同時に、主機双発エンジンの間に挟まれるように収納されていた、大きな下方垂直尾翼のような虚時空航行用の力場維持翼フィールド・スタビライザーが、アモン艦体下部から垂下にスイング・ダウンして来る。

「システムを虚時空航法アイドル・ディメンション・ドライブに切り替えます」

 リサの菖蒲あやめ色の双眸が制御卓コンソールの上を走り、ブースト・レバーを握る左手がじわりと汗ばむ。

 それとなくアディが、左横の操艦担当パイロットユニットに目をやる。

 アディの視線に気付いたリサが、横目でちらりと振り向くと笑顔で大きく頷いた。緊張はしているものの、無茶ぶりをさらした離陸シークエンスの時のように、知らずにガチガチになって我を見失っている様子は、もうリサにはなかった。

 リサが艦橋ブリッジに戻って来たのは、アディに運び出されてから30分ほど経ってからだった。今から艦橋ブリッジに上がる、と救護医療処置室メディカル・ステーションのリサから連絡が入ると、グリフィンウッドマック全員は艦橋ブリッジで各ユニットに着いたまま、揃ってリサを迎えた。リサは一言、ごめんなさい、とだけ詫びを入れ、臆する素振りを見せず無重量環境ウェイトレスネス艦橋ブリッジの宙を飛び、直ぐさま操艦担当パイロットユニットに潜り込んだ。勿論傭われ宇宙艦乗りドラグゥンたちも、何事もなかったかのように平然と、敢えて声すらも掛けなかったし、無駄口も叩かなかった。その意味では、皮肉や嫌味が縦横無尽に飛び交う普段のアモンの艦橋ブリッジとは、まだ異質な雰囲気だった。

「フェードインまでのカウントダウンを開始します」

 ベアトリーチェの声に、リサの緊張も一層高まる。

 最終目的地ラスト・ネーションであるアールスフェボリット・コスモス社のステーションは、首星プライマリ・アースホフランの衛星軌道での公転をしていない。ホフランの平均公転軌道半径から180万キロ外側、ホフランの公転軌道面に対して直交する軌道で、主星ネーム・スターである恒星トレモイユに対しての公転軌道を描いている。現在のステーションの位置は、距離にして3億2000万キロ先にある。アモンが艤装している通常宙空間用主機のアクシオン対粒子転換エンジンで、その距離を航行しようとすれば、さすがに数百時間は掛かる。

 虚時空航法アイドル・ディメンション・ドライブは、補機である時空共役ディメンション・コンジュゲートエンジンから発生させたアクシオン粒子を量子パリティ変換し、ローレンツ・ブーストさせることで運動ベクトルに対して時間が逆行するタキオン現象を生じさせ、当該システムを含めたタキオン場空間全体を結果的に瞬時に虚時空移動させる、恒星間航行用のシステムだ。主機によるタキオン現象の始まりをフェードインと言い、終了をフェードアウトと呼ぶ。テンソル次元制御機構の基盤論理体系アーキテクチャーセオリーであり、俗にシュレディンガー転移とも称される。

「・・・3・・・2・・・1、ゼロ・アワー」

「フェードイン・・・!」

 ベアトリーチェのタイミング・コールに、リサの左手がパワー・ノブを押し込む。

 途端リサは、ぶるん、と震えにも似た振動が体内に起こるのを感じ、脳髄の芯が吸引機で吸い出されるような、フェードインの独特な感覚に襲われる。不意に鉄を舐めたような苦い味が湧き起こり、耳の奥がツーンと痛くなって吐き気を覚えた、その刹那。

「フェードアウトしました」

 と言うベアトリーチェの声が、リサの脳の奥でこだました。

現在座標星図カレント・ポジショニング・チャートを再描出プロッティング、アールスフェボリット・コスモス社のステーションを光学視認しました。メイン・スクリーン・ビジョンに入れます。距離150キロ」

 ベアトリーチェの言葉に、ジャングルジムのようなステーションの拡大映像が艦橋ブリッジ前方のディスプレイ・スクリーンに映り込む。そのスクリーンとベアトリーチェの間には、ステーションの設備ファシリティ概要を兼ねた立体グラフィック・データが浮かび上がっていた。

 アールスフェボリット社のステーションは全長2500メートル、枠組構造体フレーム・コンフィギュレーションに数個の環境棟エンバイアロメント・モジュールを内包する複合枠組構造コンプレックス・スケルトン・ストラクチャで、突き出した4本のドッキング用ターミナルからは埠頭ウォーフが枝葉のように延び、大小さまざまな宇宙船舶が繋錨アンカリングしている。少し離れた宙空間に浮かぶ1000メートル越えの荷役埠バースには、800メートル級の老朽した貨物船フレーターが1隻停泊していた。

最終目的地ラスト・ネーションとの相対ベクトル算出。予定進航路シフト修正、ナビゲート・プログラムを再計算」

 ジィクが、ベアトリーチェの計測した座標とステーションの公転移動速度を考慮して、あらかじめ指定された埠頭までのアプローチ・ルートを算出し、それに伴う姿勢制御を設定する。

 艦体姿勢は、フェードアウトした時点で慣性運動しているが、フェードインした時点での慣性ベクトルを維持している訳ではない。フェードインした空間とフェードアウトした空間のエントロピー差によって、フェードアウト時に慣性ベクトルが変位する。この変位量は、フェードイン時点では計測予測出来ない。つまりフェードアウトしてみるまでは、“どっちを向いて飛んでいるか分からない”状態なのだ。なので虚時空ドライブした後は、必ず座標把握とベクトル把握、それに再ナビゲートと大なり小なりの姿勢制御シークエンスが必要になる。

姿勢制御推力器バーニア・シークエンスを算出、姿勢制御プログラムをリンク」

 ジィクが慌ただしく姿勢制御のプログラムを組み立てる。

「針路クリア、光学スキャニング、赤外線警戒システム、進航への障害を認めません」

 ベアトリーチェの可愛らしい声がそれに応じる。

「アモン、転針します」

 グン、と軽く突き飛ばされるような衝撃が伝わって、姿勢制御推力器バーニアの核融合爆縮パルス噴射スラスターが稼働する。何度か艦体制御を行って、アモンはステーションの公転方向から正対するベクトルで軌道に乗る。真正面から、相対接近して来るステーションの映像が入った。



★Act.1 初めての操艦桿スティック・3/次Act.1 初めての操艦桿スティック・4


 written by サザン 初人ういど plot featuring アキ・ミッドフォレスト

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