第38話 来る
「結界の強化については、これで充分でしょう」
先生の声が大広間に響いた。
「素晴らしい働きをしていただきました。トオルさん、本当にありがとうございます!」
先生は振り返り、微笑んで礼を告げた。
「……別に。言われた事をしただけだ」
トオルは淡々と応じた。
ふたりの足元には屍山血河が広がっていた。
奥多摩の山間部、
最強の結界の維持には膨大な魔力が必要となる。魔人が複数いても
だから、信者たちを犠牲に捧げる必要があった。
トオルは、儀式の経緯を思い返した。
◆
「等価交換が魔術の第一原則です。魔力を費やして術を発動する。時間を、命を費やして術を強める。やりようは種々ありますが、『差し出したものと同等以下のものを得る』という原則は変わらない」
長い廊下に足音を響かせながら、先生は流暢に語る。
「……今さら『魔術基礎』を履修するつもりは無いんだが」
トオルの気怠げな応答に、
「まあ聞いてください」
先生は申し訳なさ気な苦笑で返す。
「等価交換と言いますが、価値の付け方には様々ある。単に何かを費やすだけではありません。他にありふれているものは、発動条件の難化がそうですね。手で触れることを発動条件にしたり、呪文の詠唱だったり、あるいは特定のハンドサインであったり。リスクやコストを背負った分だけ、得るものは大きくなる」
「そんな分かりきったことを確認して何になる?」
「ここからが重要なんです」
振り返り、首を傾げる。
「その価値は誰が決めているのでしょう?」
トオルは口をつぐんだ。先生は共感を示すように肩をすくめてみせる。
「私も明確な答えは示せません。が、恐らくふたつの評価軸が存在しています。ひとつは、神のごとき第三者視点の、言わば客観的評価軸。そしてもうひとつは、術者本人の主観的評価軸です。──さて、ここまで申し上げればもうおわかりでしょう」
足音が止まる。
気付けば、廊下の突き当り、豪奢に飾り立てられた大扉の前に辿り着いていた。
先生はノブを回し、蝶番を軋ませながら開け放つ。
扉の先、大広間には、ゆったりとした聖衣らしき白衣を纏う老若男女の群れがあった。
沈痛な面持ちでうずくまる彼ら彼女らを見て、先生は問わず語りを始めた。
「ダンジョン化した山域内で逃げ惑っていた『仔羊の輪』の信者たちです」
「お前……」
トオルの声には明らかな驚きの色があった。
「ええ」
先生は満ち足りたように笑った。
「記憶を操作できるあなたのスキルを使って、私と信者たちとの思い出を捏造してください。価値ある信徒を犠牲にして、結界の強度を高めたいので」
◆
「いやあ、人間というのは同種の命を奪うとこのように感じるのですね。知識としては知っていましたが、実体験した際の質感は全く違う。苦しいものでしたよ……その記憶すら今は曖昧ですが。何にせよ、トオルさんのスキルのおかげです」
トオルは応えない。
先生の手で斬り刻まれた信者たちを見下ろし、トオルは深呼吸をする。音を立てぬようゆっくりと、息を深く吸って吐く。
納得ずくだ。
納得ずくで魔人に協力したはずだ。
俺だって人殺しで、シュカだって人殺しだ。我欲のために人を殺す。人並みのモラルなんて持っちゃいない。
自分に言い聞かせながら、先生を見据える。
「そうか。じゃあ、次の仕事場へ連れてってくれよ、先生よ」
「おお!」先生は感嘆の声を上げた。「わかるのですね? まだ頼みたいタスクがあると」
「ハスラウとか言ったか。あいつの様子を見りゃ嫌でもわかるよ。やるならさっさとしてくれ」
「これは失礼いたしました。ご案内します」
先生はスキップするような足取りで、死体を踏みつけながら歩き出した。
複雑に描かれた巨大な魔法陣。その中央、ハスラウが座り込んでいた。
ハスラウは緩慢に、しかし苦しげに息をしている。喘鳴と呼ぶべき音を響かせている。
呼応するように大気が蠢動し、大地が脈動している。莫大な魔力が、緻密な魔法陣によって、間一髪のところで制御されている。
「……同調率を高めているのか」
「ええ。ハスラウのスキルについては御存知ですか?」
「精神操作の魔眼、それに起因するハッキングや魔道具と使用者の同調率向上、ってところだと見ていたが……それだけじゃないみたいだな」
「いかにも。あなたが今言ったのはスキルの一部に過ぎません。ハスラウのスキルは、魔眼のストックです。精神操作系の魔眼は、あくまでそのうちのひとつです」
その他の魔眼の能力やストック数の限界に興味が言ったが、トオルはそれ以上を聞き出そうとはしなかった。
「……で、取り込んだばっかの魔眼に同調できず、こんなザマになってるってか」
「同調率不足で苦しい現状はおっしゃるとおりですが、取り込んだばかりというのは違うんですよ。『それ』を取り込んだのは12年前です」
もったいぶった言い回しに、焦れたトオルがため息をつく。先生は軽く頭を下げ謝意を示してから続ける。
「
そして、教本を暗唱するような口調で説明する。
「この世界において、なぜ魔物が探索者に勝てないのか? 答えは簡単。探索者協会の会長が未来視を有しているからです。情報の格差はあらゆる戦いにおいて絶対的です。いつ、どこに、何が、どのように、どうするか、全てとは言えないまでも大半が天花寺司に知られている。その状況で我々魔人が探索者に戦略的勝利を収めることは、まず不可能です」
「だから目を奪ったのか」
「ええ。しかしながら……予知は未来を視る魔眼と、それを受け取り理解できる脳が揃って初めて実現されます。我々が奪えたのは天花寺司の左目のみ。未来を視ること自体には成功しましたが、その情報をハスラウの脳は受け止めきれなかった」
「処理能力が不足していたのか? ハスラウの速度ならどうにかなりそうなもんだが」
「演算能力は足りていましたよ。しかし、拒絶反応が治まらなかった。どうやら神とやらは、適格者以外の者に未来を見せたくはないようです」
「……どうでもいいが、俺は何すりゃ良い? 同調率を上げるために俺のスキルを使うなら、参考元がいるぞ。この場合は天花寺司の肉体の一部とか──」
「それはありません。が、代用品はあります」
先生が指を鳴らす。風景が蜃気楼のように歪んだ後、半透明の箱が現れた。
(結界術の応用か)
トオルは推察したが、声には出さなかった。
「これも12年前に入手したものです。ドイツから回収する際にいくらか散逸してしまいましたが……」
箱の天面が消え、中身があらわになる。
人間の脚の残骸らしきものがある。
「天花寺家の直系にして、天花寺エレナの実父。天花寺千春のものです」
◆
「おつかれさまでした。首尾はいかがですか?」
「さあな。だが、やれるだけのことはやった」
トオルは額の汗をぬぐいながら答える。
「
「充分です。何から何までありがとうございました」
深く頭を下げようとする先生を、
「やめろ、わざとらしい」
トオルは冷たい声で引き止めた。
「これは失礼」
頭をやや下げたまま、先生はトオルを見上げる。
「しかし、よろしかったのですか? 数合理人との記憶を取り込まなくて」
問われたトオルは、すぐには応えなかった。
トオルのスキルは、【
先生とハスラウに行ったような『歴史の追加』の場合は、魔力の銃弾を撃ち込むことによって行われる。
逆に記憶を抜き取る場合は、対象に触れて行う。その際、抜き取られた記憶は銃弾の形状を取る。
ハスラウが勧誘の際に提示したのは、『かつて抜き取られたらしきトオル自身の記憶』だった。
トオルにも自覚はあった。
トオルの外見は20歳前後だが、トオル自身には7年前にシュカと出会ったとき以前の記憶が無い。
自分で抜き取ったのだろう、とは察しが付いていた。
しかし、
「必要ねぇよ。俺はシュカがいりゃあ後はどうでもいい。今さら思い出したいことなんて無い」
「それ、シュカさんに伝えた方がいいですよ」
「うるせぇ」
先生はいつもの笑みを見せる。トオルは舌打ちし、話題を転ずる。
「後は結界にこもりながら、シュカのワープゲートを使ってゲリラ戦法を取ってりゃいいってか」
「ええ、その通りです。本来は、天花寺エレナの死体を入手し、ハスラウと未来視の魔眼の同調率を高め、同時進行で私の結界術を代行できる信徒を育成し、その者に隠蔽結界を任せて私は転移術を使い、フラルゴを引き連れて無差別テロを行い、ハスラウの未来視によって天花寺司の有利を潰しながら、ジワジワと日本と探索者協会を削り、戦況が有利に転んでから魔王陛下の復活と全人類の魔人化を……という手筈だったのですが……」
先生は遠い目をしてみせる。いつもの嘘臭さの無い表情だった。
「数合理人の登場によって全てパーになりました。そして、ハスラウのちょっかいにより、危うくこの拠点をも失うところでした」
「……アンタ、意外に苦労人なんだな」
「いやぁ……ともかく、トオルさんとシュカさんには心から感謝していますよ。あなた方のおかげで、間延びするはずだった計画を大きく短縮できました」
「……まあ、悪い気はしないけどよ。ハスラウに施した処置は荒療治だぜ。最中に伝えた通り、効果の程は保証できない。その上、ハスラウにどんなダメージが現れるかもわからない。いつ目覚めるかもわからんぜ」
「いいんですよ」
先生はやはり爽やかに微笑んだ。
「数合理人を上回るならその程度のリスクは覚悟せねばならない。彼は我々の想定を、常に斜め上から脅かします。リスクを排した万全の対策では到底対応しきれない。荒削りの奇策でなくては効果を見込めません」
「……そうかい。しかし、いくら数合理人とは言えこの結界を相手取っちゃ何も出来んだろ。魔王アニマの解析能力や自衛隊の動きを踏まえるとしても、3週間はかかるんじゃないか」
「甘い想定に思えますね。数合理人なら1週間以内に仕掛けてきますよ」
「その根拠は?」
「ありません!」
先生は笑いつつ、弾む声で答えた。
「が、これは経験則です。彼は常にそういう男だった」
トオルは半ば呆れながら、何事か返そうとする。しかし、唐突に訪れた静寂に気を取られ黙り込んだ。
正確には、それは静寂ではなかった。
ずっとあった魔力の揺らぎが収まっているがゆえの錯覚。
視界の端で何かが動く。トオルはそちらへ視線を送る。
ハスラウが立っていた。
「馬鹿な……まだ立ち上がれるはずが……」
トオルは驚愕に声を震わす。
「素晴らしい……やはり私の目に狂いは無かった!」
先生は驚嘆に声を震わす。
ハスラウはふたりに目もくれず、顔の前に垂らした布を剥ぎ取る。未来視の魔眼を抑え込むための、封印の魔道具であった面布を剥ぎ取る。
天使のごとき中性的な顔立ちが露になる。その美貌はゆっくりと上を向き、天井を見上げる。
否、ハスラウの視線は天井を透かし、結界を越え、時間軸をも飛び越えて未来を視る。
「来る。すぐに来る」
確信に満ちた言葉が放たれる。
「リヒトが来る」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます