第38話 来る

「結界の強化については、これで充分でしょう」  


 先生の声が大広間に響いた。


「素晴らしい働きをしていただきました。トオルさん、本当にありがとうございます!」


 先生は振り返り、微笑んで礼を告げた。


「……別に。言われた事をしただけだ」


 トオルは淡々と応じた。


 ふたりの足元には屍山血河が広がっていた。


 奥多摩の山間部、二頭山にとうやまの山域全体を覆うように展開された大結界。強度は核シェルターをも上回る。接近する物体を感知し、迎撃する。仮に傷つけられようと、自動的に修復される。


 最強の結界の維持には膨大な魔力が必要となる。魔人が複数いてもまかないきれぬほどの魔力が。


 だから、信者たちを犠牲に捧げる必要があった。


 トオルは、儀式の経緯を思い返した。







「等価交換が魔術の第一原則です。魔力を費やして術を発動する。時間を、命を費やして術を強める。やりようは種々ありますが、『差し出したものと同等以下のものを得る』という原則は変わらない」


 長い廊下に足音を響かせながら、先生は流暢に語る。


「……今さら『魔術基礎』を履修するつもりは無いんだが」


 トオルの気怠げな応答に、


「まあ聞いてください」


 先生は申し訳なさ気な苦笑で返す。


「等価交換と言いますが、価値の付け方には様々ある。単に何かを費やすだけではありません。他にありふれているものは、発動条件の難化がそうですね。手で触れることを発動条件にしたり、呪文の詠唱だったり、あるいは特定のハンドサインであったり。リスクやコストを背負った分だけ、得るものは大きくなる」


「そんな分かりきったことを確認して何になる?」


「ここからが重要なんです」


 振り返り、首を傾げる。


「その価値は誰が決めているのでしょう?」


 トオルは口をつぐんだ。先生は共感を示すように肩をすくめてみせる。


「私も明確な答えは示せません。が、恐らくふたつの評価軸が存在しています。ひとつは、神のごとき第三者視点の、言わば客観的評価軸。そしてもうひとつは、術者本人の主観的評価軸です。──さて、ここまで申し上げればもうおわかりでしょう」


 足音が止まる。


 気付けば、廊下の突き当り、豪奢に飾り立てられた大扉の前に辿り着いていた。


 先生はノブを回し、蝶番を軋ませながら開け放つ。


 扉の先、大広間には、ゆったりとした聖衣らしき白衣を纏う老若男女の群れがあった。


 沈痛な面持ちでうずくまる彼ら彼女らを見て、先生は問わず語りを始めた。


「ダンジョン化した山域内で逃げ惑っていた『仔羊の輪』の信者たちです」


「お前……」


 トオルの声には明らかな驚きの色があった。


「ええ」


 先生は満ち足りたように笑った。


「記憶を操作できるあなたのスキルを使って、私と信者たちとの思い出を捏造してください。価値ある信徒を犠牲にして、結界の強度を高めたいので」







「いやあ、人間というのは同種の命を奪うとこのように感じるのですね。知識としては知っていましたが、実体験した際の質感は全く違う。苦しいものでしたよ……その記憶すら今は曖昧ですが。何にせよ、トオルさんのスキルのおかげです」


 トオルは応えない。

 先生の手で斬り刻まれた信者たちを見下ろし、トオルは深呼吸をする。音を立てぬようゆっくりと、息を深く吸って吐く。


 納得ずくだ。

 納得ずくで魔人に協力したはずだ。

 俺だって人殺しで、シュカだって人殺しだ。我欲のために人を殺す。人並みのモラルなんて持っちゃいない。


 自分に言い聞かせながら、先生を見据える。


「そうか。じゃあ、次の仕事場へ連れてってくれよ、先生よ」


「おお!」先生は感嘆の声を上げた。「わかるのですね? まだ頼みたいタスクがあると」


「ハスラウとか言ったか。あいつの様子を見りゃ嫌でもわかるよ。やるならさっさとしてくれ」


「これは失礼いたしました。ご案内します」


 先生はスキップするような足取りで、死体を踏みつけながら歩き出した。



 複雑に描かれた巨大な魔法陣。その中央、ハスラウが座り込んでいた。


 ハスラウは緩慢に、しかし苦しげに息をしている。喘鳴と呼ぶべき音を響かせている。

 呼応するように大気が蠢動し、大地が脈動している。莫大な魔力が、緻密な魔法陣によって、間一髪のところで制御されている。


「……同調率を高めているのか」


「ええ。ハスラウのスキルについては御存知ですか?」


「精神操作の魔眼、それに起因するハッキングや魔道具と使用者の同調率向上、ってところだと見ていたが……それだけじゃないみたいだな」


「いかにも。あなたが今言ったのはスキルの一部に過ぎません。ハスラウのスキルは、魔眼のストックです。精神操作系の魔眼は、あくまでそのうちのひとつです」


 その他の魔眼の能力やストック数の限界に興味が言ったが、トオルはそれ以上を聞き出そうとはしなかった。


「……で、取り込んだばっかの魔眼に同調できず、こんなザマになってるってか」


「同調率不足で苦しい現状はおっしゃるとおりですが、取り込んだばかりというのは違うんですよ。『それ』を取り込んだのは12年前です」


 もったいぶった言い回しに、焦れたトオルがため息をつく。先生は軽く頭を下げ謝意を示してから続ける。


天花寺てんげいじつかさから奪った、未来視の魔眼ですよ」


 そして、教本を暗唱するような口調で説明する。


「この世界において、なぜ魔物が探索者に勝てないのか? 答えは簡単。探索者協会の会長が未来視を有しているからです。情報の格差はあらゆる戦いにおいて絶対的です。いつ、どこに、何が、どのように、どうするか、全てとは言えないまでも大半が天花寺司に知られている。その状況で我々魔人が探索者に戦略的勝利を収めることは、まず不可能です」


「だから目を奪ったのか」


「ええ。しかしながら……予知は未来を視る魔眼と、それを受け取り理解できる脳が揃って初めて実現されます。我々が奪えたのは天花寺司の左目のみ。未来を視ること自体には成功しましたが、その情報をハスラウの脳は受け止めきれなかった」


「処理能力が不足していたのか? ハスラウの速度ならどうにかなりそうなもんだが」


「演算能力は足りていましたよ。しかし、拒絶反応が治まらなかった。どうやら神とやらは、適格者以外の者に未来を見せたくはないようです」


「……どうでもいいが、俺は何すりゃ良い? 同調率を上げるために俺のスキルを使うなら、参考元がいるぞ。この場合は天花寺司の肉体の一部とか──」


「それはありません。が、代用品はあります」


 先生が指を鳴らす。風景が蜃気楼のように歪んだ後、半透明の箱が現れた。


(結界術の応用か)


 トオルは推察したが、声には出さなかった。


「これも12年前に入手したものです。ドイツから回収する際にいくらか散逸してしまいましたが……」


 箱の天面が消え、中身があらわになる。


 人間の脚の残骸らしきものがある。


「天花寺家の直系にして、天花寺エレナの実父。天花寺千春のものです」


 ◆


「おつかれさまでした。首尾はいかがですか?」


「さあな。だが、やれるだけのことはやった」


 トオルは額の汗をぬぐいながら答える。


天花寺てんげいじ千春ちはるの遺伝情報を元に、ハスラウに『天花寺家の直系であった』という歴史を挟み込んだ。後はハスラウ次第だ」


「充分です。何から何までありがとうございました」


 深く頭を下げようとする先生を、


「やめろ、わざとらしい」


 トオルは冷たい声で引き止めた。


「これは失礼」


 頭をやや下げたまま、先生はトオルを見上げる。


「しかし、よろしかったのですか? 数合理人との記憶を取り込まなくて」


 問われたトオルは、すぐには応えなかった。


 トオルのスキルは、【賢者の特権カンセラリウス】。対象の歴史を読み取り、改変する能力。改変の際には銃と銃弾を模した魔道具を魔力によって具現化し、それらを利用する。

 先生とハスラウに行ったような『歴史の追加』の場合は、魔力の銃弾を撃ち込むことによって行われる。


 逆に記憶を抜き取る場合は、対象に触れて行う。その際、抜き取られた記憶は銃弾の形状を取る。


 ハスラウが勧誘の際に提示したのは、『かつて抜き取られたらしきトオル自身の記憶』だった。


 トオルにも自覚はあった。

 トオルの外見は20歳前後だが、トオル自身には7年前にシュカと出会ったとき以前の記憶が無い。


 自分で抜き取ったのだろう、とは察しが付いていた。


 しかし、


「必要ねぇよ。俺はシュカがいりゃあ後はどうでもいい。今さら思い出したいことなんて無い」


「それ、シュカさんに伝えた方がいいですよ」


「うるせぇ」


 先生はいつもの笑みを見せる。トオルは舌打ちし、話題を転ずる。


「後は結界にこもりながら、シュカのワープゲートを使ってゲリラ戦法を取ってりゃいいってか」


「ええ、その通りです。本来は、天花寺エレナの死体を入手し、ハスラウと未来視の魔眼の同調率を高め、同時進行で私の結界術を代行できる信徒を育成し、その者に隠蔽結界を任せて私は転移術を使い、フラルゴを引き連れて無差別テロを行い、ハスラウの未来視によって天花寺司の有利を潰しながら、ジワジワと日本と探索者協会を削り、戦況が有利に転んでから魔王陛下の復活と全人類の魔人化を……という手筈だったのですが……」


 先生は遠い目をしてみせる。いつもの嘘臭さの無い表情だった。


「数合理人の登場によって全てパーになりました。そして、ハスラウのちょっかいにより、危うくこの拠点をも失うところでした」


「……アンタ、意外に苦労人なんだな」


「いやぁ……ともかく、トオルさんとシュカさんには心から感謝していますよ。あなた方のおかげで、間延びするはずだった計画を大きく短縮できました」


「……まあ、悪い気はしないけどよ。ハスラウに施した処置は荒療治だぜ。最中に伝えた通り、効果の程は保証できない。その上、ハスラウにどんなダメージが現れるかもわからない。いつ目覚めるかもわからんぜ」


「いいんですよ」


 先生はやはり爽やかに微笑んだ。


「数合理人を上回るならその程度のリスクは覚悟せねばならない。彼は我々の想定を、常に斜め上から脅かします。リスクを排した万全の対策では到底対応しきれない。荒削りの奇策でなくては効果を見込めません」


「……そうかい。しかし、いくら数合理人とは言えこの結界を相手取っちゃ何も出来んだろ。魔王アニマの解析能力や自衛隊の動きを踏まえるとしても、3週間はかかるんじゃないか」


「甘い想定に思えますね。数合理人なら1週間以内に仕掛けてきますよ」


「その根拠は?」


「ありません!」


 先生は笑いつつ、弾む声で答えた。


「が、これは経験則です。彼は常にそういう男だった」


 トオルは半ば呆れながら、何事か返そうとする。しかし、唐突に訪れた静寂に気を取られ黙り込んだ。


 正確には、それは静寂ではなかった。

 ずっとあった魔力の揺らぎが収まっているがゆえの錯覚。


 視界の端で何かが動く。トオルはそちらへ視線を送る。


 ハスラウが立っていた。


「馬鹿な……まだ立ち上がれるはずが……」


 トオルは驚愕に声を震わす。


「素晴らしい……やはり私の目に狂いは無かった!」


 先生は驚嘆に声を震わす。


 ハスラウはふたりに目もくれず、顔の前に垂らした布を剥ぎ取る。未来視の魔眼を抑え込むための、封印の魔道具であった面布を剥ぎ取る。


 天使のごとき中性的な顔立ちが露になる。その美貌はゆっくりと上を向き、天井を見上げる。


 否、ハスラウの視線は天井を透かし、結界を越え、時間軸をも飛び越えて未来を視る。


「来る。すぐに来る」


 確信に満ちた言葉が放たれる。


「リヒトが来る」








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